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父との男二人旅

 父との二人旅は、ある意味、僕の人生という旅の始まりだった。

実際に二人で旅した期間は、高校休学の手続きなどの準備期間を入れたとしても4ヶ月に満たない。けれど、その4ヶ月の出来事と、その後、僕と家族に訪れる大きな変化はやはりあの会話から始まったように思う。 

僕は、 私設の小さな保育園を営む夫婦の4人目の子供、次男坊として、後に、 長姉から末弟まで18歳差5女3男の大家族の一員として、この世に生を受けた。

幼い頃から「なぜ生きているのだろうか?」と感じたり、通っていた保育園などで同い年の子供達が楽しそうに遊んでいるのを見て、「何がそんなに楽しいのだろう?」と考えたりする以外は、わがままで甘えん坊な典型的中間子の特徴を持つ子供だった。

そんな僕の高校2年生への進級決定通知が届いた日の夜のことだった。珍しく父の部屋へと呼ばれ、何事かと怪訝な顔をする僕に、父はこう投げかけた。

 「おとん、旅に出ようと思うけどどう思う?」  

あまりの唐突さに言葉が出てこなかった。無言で立ち尽くす僕に、PCのディスプレイを見るように促しながら説明を始める父。そこには、バックパックを背負い、自転車やヒッチハイクで各地を旅して回る、所謂いわゆるバックパッカーの旅の記録が映し出されていた。

父は昔から旅が好きで、GWなどの連休があると家族みんなで大きなワゴン車に乗り、泊まりがけで色々な所に出掛けた。と言っても、我が家にはホテルや旅館に泊まるだけの財政的な余裕は無く、道の駅での車中泊やテントを張れる公園などでのプチキャンプがもっぱらだった。

そんな父だから、「旅に出ようと思う」と言われても、正直、「行ってくれば?」くらいにしか思わなかったのだが、次の父の一言で事態は急変する。

「アユムも一緒に行かないか?」
最早もはや、何を言っているのか分からなかった。

今まで「学校」という集団に馴染めず、高校生になって、やっと、「自分の居場所」と言えるような仲間たちに出会えたような気もしていた。テニスという、一生懸命になれるものにも出会えた。その環境を捨てろと言われているような気がしたのだ。

何かは分からないが抗ってはいけないような感覚があった。僕は、
「少し考える時間が欲しい」
と、やっとの思いで声を振り絞り、パニック状態の頭と心を落ち着かせるために自室へと戻った。

その後、ドライブをしながら、この二人旅にどんな意味があるのか、父のどのような思いが込められているのか、僕の人生にとってどのような意味を持つのか、どのような経験になるかを父は熱く辛抱強く語ってくれた。

60kmの道のりを二人で歩くことからはじまった旅は、父の仕事などで中断を挟みながらも約3ヶ月に渡って北は岩手、南は四国に及び、祖父が倒れ、その介護のために旅に出られなくなってからも、喧騒を離れ静かに自分自身を見つめることの大切さや、沢山の人達とのかけがえのないご縁、考え方など沢山の経験と感動を与えてくれた。

楽しいことも、悲しいことも、嬉しいことも、嫌なことも、これまでに人生で出会った全ての人・もの・事どれひとつが欠けていたとしても、今の僕はないと感じるが、父からの一緒に旅に出ないか?という一言と、その旅について、僕の人生について、真摯に、そして誠実に向き合ってくれた、あの時の会話がなければ間違いなく今の僕はなく、両親の離婚やそれにまつわる経済的な状況を乗り越えて来ることは到底できなかったと感じている。

親としてでは無く、一人の人として子供と向き合う時、子供の方も一人の人間としての自覚が芽生え、自分自身の人生について、より積極的に考えることができるのだと思う。

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