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他人の言葉に傷つきやすい人、自分で傷つけてるんだよ。


タケさんの下手なお話にお立ち寄りくださって、感謝いたします。

他人から言われて傷つくことは、傷ついた側の、あの理由

他人の言葉に傷ついた(傷つけられた)ことは、誰しもが経験していると思う。身の回りには無神経な人も居るし、意地悪な人も居る。

で、そういう人たちは、相手のことなどお構いなしに酷いことを平気で言ってくる。

小生の体験から少しばかり学んだこともあったので、参考にしてくれれば嬉しく思うところ。

さて、傷ついた側としては、相手の言葉に傷つけられたと思い込んでいるから、それは相手のせいだと決めてかかる。そういう考え方をしてしまうと、いつまで経っても自分は弱いままの受け身で甘んじなければならなくなる。

そうなると、自分というものを失い、事あるごとに他人の言葉に支配されたり泣かされることも・・。

実は、本当に傷つけているのは自分自身だということに気づいて欲しい。それは"自分で自分を傷つけている"ことなんだ。そのことをシッカリ認識しなければ、傷つきやすい弱い心を強くすることは非常に難しいと思う。

人の心が傷つくという根本的な原因、それは、自分で自分を責めているということを理解する必要がある。

確かに、他人が発した言葉に毒があり、「あなたって、~~だね」などと言われれば傷つくことも。

最初に感じるのは、そのように言われたとする受け身、つまり「被害者的意識」である。傷ついた原因は、相手の言葉と思うし、傷を負わせた”人のせい”だと感じるのも当然だ。

もう一度言いますが、多くのネガティブな人たちは、他人の言葉によって、”傷つけられる(た)”と考えているけれど、しかし実のところ、心が傷つくのは、自分で自分を傷つけていることに他ならないってことなんだ。

例えば、自分はダメな人間だと思っている人は、相手から「おまえはダメな奴だ」と言われたら、必ず傷つくだろう。
理由は簡単明瞭。おまえはダメだと人に言われることで、やっぱり自分はダメな人間なんだと、自分を責めるからだ。

例えば、自分は周りの人から嫌われると思っている人は、周りの誰かからきつい言葉や嫌な態度をされるとすごく傷つく。
他人に嫌な態度をされることで、やっぱり自分は人から嫌われている(好かれない)人間なんだと、自分を責めてしまう。

人が傷つくというのは、自分を責める自らの心理によるもの、だから、心が傷つくというのは、他人からもたらされるものではなく、自傷行為と言っても過言ではないんじゃないか。

最大の原因は、内面に隠れた「傷つくのが怖い」という感情

怖い感情は自分の欠点や劣等感(コンプレックス)や罪悪感など、自分のネガティブな部分を見られたくない、見られることに耐えられない気持に等しい。これは”自己否定”そのものでもある。

相手から言われた言葉は単なるきっかけに過ぎない。隠しておきたい自分の弱さや隠したい部分を、覗き見られることはイヤなんだけれども、本当は自分でも見たくないという”自己否定”の表れということになる。

ダメな自分、コンプレックスの自分、そういう弱さを知っているからこそ、自らを責めてしまう、まさしく自分が自分を傷つけるということに他ならないんじゃないだろうか。

コンプレックスの受容が大事

他人からされたという”被害者的意識”がある限り、自分を傷つけた相手を憎んだり恨んでも傷ついた感情は決して消すことはできない。
いつまでも心に引っ掛かって、場合によってはずいぶん昔のことなのに思い出したりして、なおさらキズが深くなり、立ち直れない、苦しさに耐えられない、そんなふうに悩む人も大勢いるようだ。

このようなことを繰り返し続けていると、やがて精神を病んで「うつ」など、取り返しのつかない状況になってしまう可能性だって充分考えられる。

ネガティブで弱いと自覚している人は、そうならない前に、何を言われようが傷つかない強い心を養っておくことは当然で、社会生活をする上で避けて通れない人間関係を考えれば、絶対に”習得しておくべきスキル”だと思う。

じゃあどうすればいいのかと言えば、傷つく元となっているコンプレックス・欠点など、自分が認めたくない、本当は隠したいイヤな部分を否定することではなく、むしろ”率直に受容”したほうがいい。

簡単に言えば、「~~と認める」ことだ。つまり開き直って認めてしまえば、他人から何を言われようが・・、「実はそう、~~なんだよ」と”肯定”できる。それは隠したり無理に否定しなくて済むわけだから、傷もつかないということになる。さらに言えば、否定しないことによって被害者的意識を持たなくて済むはずだ。
被害者的意識がなければ、相手が悪い・相手が憎い・相手のせい、という理由が無くなる。理由がなければ、傷もつかないということになる。

しかし、自分に向けられた相手の言葉は、自分のイヤなことや隠したいことを指摘したり、思ってもみなかったことを言われたりするわけだから、即座に認める(受容する)というのは確かに難しいかも知れない。そこで・・、

他人の言葉に傷つく弱い心を強くする考え方

先ずは、「自分軸」を確保する、つまり(コンプレックスを受容した)自分は自分である、他人は他人というように分けて考えること。相手の言葉という”相手”を意識するから、自分が被害者”という感情が芽生えてしまう。

なので、相手とは別、わたしはわたしとハッキリ分けて考えれば、必然的に相手の言葉を意識する必要もなくなるし、相手が勝手に喋っているという感覚で傍観すればいいという考え方ができる。相手がどう思っているのかなんて、それこそ相手の問題で、どうでもいいことだ。

何を言われようが(コンプレックスなど既に受容している自分だから)、相手の言葉に「あっそう、だから?」、って聞き流せるようになれるはずだ。

最後までお付き合いくださってありがとうございました。

今日もよい一日を!

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