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【全文公開*イベントレポート②】映画『はちどり』 キム・ボラ監督 リモート舞台挨拶@大阪・第七藝術劇場

2020年7月5日(日)、大阪・第七藝術劇場にて、映画『はちどり』上映後、キム・ボラ監督によるリモート舞台挨拶+Q&Aを行いました。本イベントの様子を全文公開! レポートいたします。

(※以下、映画の内容を含みます。ご注意ください)

司会(第七藝術劇場・番組編成/小坂さん):
本日は、映画『はちどり』をご覧いただきありがとうございます。本作は、3月に開催された大阪アジアン映画祭で日本プレミア上映されましたが、コロナの影響でキム・ボラ監督の来日がかなわず、今回このような形で観客の皆さまと初めてお話をいただけることになりました。貴重な機会をありがとうございます。最初に、映画をご覧になったお客さまに、監督より一言お願いいたします。

キム・ボラ監督:
皆さん、こんにちは。日本で『はちどり』が公開され、好評をいただいているという知らせが韓国にも入ってきています。韓国には『はちどり』のファンの方たちがいて、その人たちを「はちどり団」と呼んでいるのですが、日本での公開をとても喜んでいて「日本にもついに『はちどり団』ができるんですね」と期待してくれています。SNSでのたくさんの感想も拝見し、とてもうれしく思っています。日本は韓国にとって近い国で、似た文化や歴史を共有していると思うので、共感いただけているのかなと思います。このことは本当に意味のあることだと思います。ありがとうございます。

司会:映画『はちどり』は、1994年の韓国を舞台に、そこに生きる少女の世界を描いた作品です。キム・ボラ監督ご自身の体験を基にされている部分もあると聞いていますが、この物語を監督の長編デビュー作として映画にされたきっかけや経緯を教えてください。

キム・ボラ監督:
まず、この映画の前編とも言える『リコーダーのテスト』という作品を2011年に作りました。短編でしたが、たくさんの応援と愛をいただきました。その映画の主人公も「ウニ」だったのですが、観てくださった皆さんから「これからウニはどんな風に生きていくのでしょうか? とても気になります」という質問を多くいただきました。そのことがきっかけで、“この作品は長編映画にできるのではないか”と思うようになりました。また当時、アメリカの大学院に通っていたのですが、10代の学生時代を振り返り、その頃に感じていた感情、トラウマも含め忘れられない言葉など、色々なことを自分の中で整理をしている時期でもありました。その作業と併行しながら、2013年に『はちどり』の初稿を書き上げました。

司会:ありがとうございます。お客さまからもぜひ多くの質問をお伺いしたいと思いますが、その前に本日会場にお越しいただいている映画監督の安川有果(やすかわ ゆか)さんに監督の立場からご質問いただこうと思います。安川さんは大阪アジアン映画祭で一足先に『はちどり』をご覧になり、第七藝術劇場で監督作品も上映しているというご縁があります。では、安川監督、よろしくお願いいたします。
安川有果監督:はじめまして。私は普段、東京で映画を作っているのですが、いまは出身の大阪に仕事で帰ってきているところでした。3月に大阪アジアン映画祭で観てとても感銘を受けた映画『はちどり』のキム・ボラ監督がリモートでトークに参加されると聞いて、ぜひ伺いたい、とこのような機会を設けていただきました。今日はどうぞよろしくお願いいたします。

キム・ボラ監督:
安川監督にお会いできてうれしいです。今日はわざわざお越しくださりありがとうございます。

安川有果監督:
お客さまからのご質問もたくさんあると思うので、私からは2つ質問をさせていただきます。
まず1つ目の質問です。この作品では、14歳の女の子を描くなかで、女性の生きづらさや自由に生きることを妨げている問題を自然と描き出していたと思います。その一方で、男性の存在を決して悪者ではなく、彼らもまた社会の構造のなかでの犠牲者である、と一面的ではない描かれ方をされていたのがとても印象的でした。それは意識されていたことだったのでしょうか?
2つ目の質問は、映画を撮るうえで特に気をつけていらっしゃること、また今後深めていきたいテーマなどがあれば教えてください。

キム・ボラ監督:
まず1つ目の質問についてお答えします。
私は20代の頃からフェミニストとして生きてきました。韓国だけではないと思うのですが、
女性たちは家父長的な枠組みの中で生きざるを得ないですよね。そういう環境の中で、フェミニズムに関する本をたくさん読んだり、フェミニズムのコミュニティの人たちと集まって勉強会をしたり、ジェンダーについて考えたり、様々な活動をするような空間に身をおいてきました。そんな風に20代以降、私はフェミニストとして多くの時間を過ごしてきました。そのような時間がこの映画を作るうえで非常に助けになったと思っています。

映画を作る際、どういう形で撮ろうかということは考えないようにしています。例えば、“政治色を出そう”とか“こういった主義に基づいて映画を撮ろう”というように決めてしまうと、それはプロパガンダ的な映画になってしまうと思うからです。私は、20代以降、とても幸せなフェミニストとして生きてこられたと思うのですが、私が世の中を見るレンズというのは、フェミニズムの考えに基づいていると思います。そのため、家父長制度を見つめる視線というのも、やはりフェミニズムの観点からのものだと思います。

家父長制というのは、ある意味で病気よりももっと大変なものではないかと思います。人の心を傷つけ、あるときには人を死に追いやってしまう、まるで災難のような制度であり、文化であり、そして環境でもあります。家父長制がある限り、女性も、そして男性も決して幸せにはなれないのではないかと思っています。そういった世界観をもってこの映画を撮りました。

人物を描写するときには、どうしたら人を理解できるのか、愛することができるのか、このような制度の存在や抑圧的な状況の中で、どんな風に人は触れ合えばいいのか……そういうことを描きたいと思い、ウニとヨンジを登場させました。なので、“この世界には、こういった抑圧がある”ということを前面に押し出すのではなく、“こんな抑圧があるにもかかわらず、人はどんな風に生きていったらいいのか、どんな風に人生を探し、救いを求めていけばよいのか”ということを考えて映画を撮りました。

2つ目のご質問に対する答えですが、私は生きていくうえで、映画の中でヨンジ先生が最後に言った言葉のように「人生は不思議で美しい」と感じています。

人生はただ単に美しく、ただ単にきれいなものだとは思っていません。人生には時には苦痛もありますし、顔を背けたくなるようなこともあります。でも総合的に全体を見渡したとき、やはり人生というのは美しいものなのではないか、と最近特に強く感じています。これから映画を撮るときにも、世の中を見る視線としては、そういう見方になると思います。苦しいことはあるけれども、でも人生というのはのぞけばのぞくほど、どこかに喜びや恩寵があると思います。それは私の愛する人や周りの人たちとの関係から感じることです。

人生には悲しみや暗い感情、非常につらいこともありますが、それと同時に愛や喜びもあるので、それを全部含めたうえで、人生は美しいと私は感じているので、これからもそういった世界観をもって映画を撮りたいと思っています。悪人でも善人でもない、そういうレッテルは貼らず、全体を見渡すようなレンズで、丁寧に人物を観察しながらキャラクターを作っていきたいと思います。おそらく私の2作目は、リアリズムに基づいたものとまた違うような作品になるのではないか、いままでのものとはまた違った作品になるのではないかと思っています。

安川有果監督:
とても丁寧に質問に答えてくださってありがとうございます。質問の答えとキム・ボラ監督のお人柄に触れて、次の作品がますます楽しみになりました。私も「はちどり団」として、色々な人に勧めていきたいと思います。

キム・ボラ監督:
どうもありがとうございます。

安川有果監督:
まだ勉強中ではあるのですが、私も次回はフェミニズムの視線を組み込んだ映画を長編で作ってみたいと思っています。機会があったら、キム・ボラ監督にもぜひ観ていただけるよう頑張りたいと思います。今日はありがとうございました。

キム・ボラ監督:
私も楽しみにしています。お互い連絡が取れるような方法を見つけて、監督の作品も観たいと思います。いい質問をいただきまして、本当にありがとうございます。

<観客の方とのQ&A>

Q:素敵な作品をありがとうございました。
ラストのシーンで、周りの同級生たちは、ウニの心境の変化にはおそらくまったく気づいていないと思うのですが、ウニ自身は物語を通じて世界との関わり方が決定的に変わったのだという風に受け取りました。
先ほど監督は「学生時代のトラウマを整理しながら映画製作していた」とお話をされていましたが、個人的な経験として、ウニのような心境の変化を通じて心を救われた経験があったのでしょうか。もしあれば教えてください。

キム・ボラ監督:
この『はちどり』という作品は、私の自叙伝的映画とも言えるのですが、シナリオの様々な創作過程を経て、あくまでもフィクションとして作り上げた作品です。とはいえ、私を取り巻く家族との関係性や、ウニが抱えた深い感情、どこにも所属できないさみしい気持ちなど、私の経験と非常に似ている部分があると思います。

家族と一緒に暮らしている以上、どうしても家父長制的な社会から抜け出せないと思いますし、家族がいる限り、家族との葛藤というのは必然的なものだと思います。特に男性の家族との間には、権力的な関係が存在します。私も多分にもれず、20代以降は父とかなりケンカをし、多くの葛藤がありました。「親不孝」「ろくでなし」と言われることもありました。

映画の中で、家父長制がどういうものなのかを証明する過程が私には必要だったと思うのですが、それはやはり大変難しい作業でした。まるで私が家族の恥部をさらけ出すように思ったのだと思います。そのような過程を経て、いま家族はとてもいい関係になっていて、『はちどり』のこともとても応援してくれているのですが、一時はそういう時期もありました。お互いに意思の疎通をはかり、対話をすることによって確認できることがありましたし、和解もありました。そういう意味で、私はこの『はちどり』を撮ったことで自分の気持ちが楽になったと言えると思います。

先ほど申し上げたように、この映画は私の自叙伝的な意味合いも含まれているのですが、映画を撮る際に憎しみが残ってしまってはいけないと思っていました。健全な形で映画を撮りたい、そのためには許すことが必要なのではないかと思ったのです。その健全な形で映画を撮り、許しがあれば、そこで終わるのではなく、映画はどんどんと先へと進んでいき、普遍的な意味合いも持つことができると思い、和解もできると思いました。

私は、映画の中に出てくるヨンジ先生のようないい人に多く出会うことができました。その人たちは私のメンターとなったり、精神的な支えになってくれたり、あるいは私の後輩になってくれています。そういう人たちとの出会いを通して、人とのコミュニケーションに喜びを見出すことができました。そういう背景があったので、この映画がさらに成熟したものになったのではないかと思っています。

Q:タイトルを『はちどり』にした理由や込められた思いがあれば教えてください。

キム・ボラ監督:
「はちどり」というのは、鳥の種類の中で世界的に一番小さい鳥と言われています。1秒間に80回以上羽を羽ばたかせて遠くまで飛んでいく小さな鳥なのです。この「はちどり」という鳥が象徴しているものは、諦めない心、そして希望や愛や不屈の意思と言われています。それがまさにウニの姿と重なるように思いました。映画の中のウニも、小さな体で一生懸命生きていて、人と出会ったり、何も怖がらずに誰かを愛したり、そういう姿が見られましたよね。「はちどり」とウニが似ていると思い、このタイトルにしました。

Q:何度も出てきた家族の食事のシーンがとても印象的でした。監督が影響を受けた映画監督や映画作品があれば、教えてください。

キム・ボラ監督:
好きな映画をあえてひとつあげるとすれば、エドワード・ヤン監督の『ヤンヤン 夏の思い出』という作品です。そこからたくさんのインスピレーションを得ました。『はちどり』の中で、ウニがじゃがいものチヂミを手で食べるシーンがあります。この家族は、置かれている状況はあまりよくないですし、不和も感じられるのですが、家族どうしが食事をするというのは、最小限の絆なのではないかと思いました。

…… 個人的な意見なのですが、もし女性の観客の方でご質問があれば、ぜひお願いします(笑)。(註:これまで男性からの質問が続いていました)

Q:今日はありがとうございました。私は、1994年にちょうど14歳で、その頃、日本ではオウム真理教が世間を騒がしていたり、また翌年の1995年には阪神・淡路大震災が起こり、中学生の頃は自分にとっても大きな転換期だったと思っています。今日『はちどり』を観て、当時の韓国でも大きな社会的な事件があり、監督の人生や同じ年代の女性たちに大きな意味を与えたということを知り、感慨深く拝見しました。また、別の韓国映画でも、私のような1980年代生まれの女性が感じていることを描く作品が日本でも紹介され、私も同じ年代を生きている者として非常に興味深く感じています。
韓国では同じ年代の女性たちが元気で、監督のように声をあげていらっしゃる方も多くいるように感じています。そこには何か文化的な背景はあるのでしょうか。もしあればぜひ教えてください。

キム・ボラ監督:
ありがとうございます。女性の映画監督は、独立系映画でも多くいたのですが、商業映画のほうに移行して数が減ってしまうという問題がありました。韓国や日本に限らず、世界的なことかもしれません。例えばカンヌ映画祭のコンペティション部門に入る映画というのは、男性監督による作品が多いですよね。これは決して女性が映画を作れないということではなく、社会的な構造によるものではないかと思います。例えば、審査員に男性が多かったり、金銭的な問題だったり、色々なシステムの影響によってなかなか女性監督の作品が世に出ないという状況があったのではないかと思います。

韓国では、2016年に起きた江南駅殺人事件*や「#Me Too」運動により、フェミニズムの運動が盛んになり、注目を集めるようになりました。関連本も多く出版され、ベストセラーになっているものもあります。この先の道のりはまだ長いと思うのですが、女性が社会構造の中でどういった立場に置かれているのか、ということが少しずつ知られるようになってきたと思います。そういう意味で大きな転換点になっていると思います。

そのような流れとあいまって、女性監督の作品を観たいと熱望する声も多く上がっています。そして映画が上映されると、全面的な支持をしてくださるんですね。そのため、映画業界では「女性監督の映画は、すべてヒットする」と言われるほど、大きな注目を集めています。

これまで作られてきた映画は、主人公が男性で、女性が接待するような酒場が出てきたり、性売買が描写されていたり、女性に対する暴力が平然と描かれているものが多くありました。あるいは、女性はただ単にかわいいだけの存在、お人形さんのような存在として描かれていたりするものです。そういう映画はもうこれ以上観たくない、嫌気が差した、という声もたくさん聞かれるようになりました。そのような背景の中で、女性監督が多く活躍し、社会の変化と相まってシナジー効果を生んでいるのではないかと思います。

ご参考までに、『はちどり』が上映された2018年釜山国際映画祭に出品された女性監督による作品数は、50%を占めました。これは釜山国際映画祭でも初めてのことです。そして、女性監督による作品は、多くの賞も受賞しました。このことは、世界的な流れから見ると自然なことかもしれません。

先ほど私が冗談交じりに「女性観客の方から質問があればぜひ」と申し上げたのですが、このような質疑応答をしますと、最初に手を挙げるのは男性であることがほとんどでした。女性は自分の意見を持っているけれど、なかなか手を挙げられないという状況があったと思います。そういう経験があったので、先ほどはすみません、そのように言ってみました。

そういうわけで、いまのフェミニズムの流れに乗って、『はちどり』という作品もたくさんの方に愛していただいたと思います。日本にも「82年生まれ、キム・ジヨン」という本が紹介され、多くの方が関心を持っていると聞きました。それも同じ流れなのではないかと思います。これから私たちはどんな風に生きていったらいいかを考えるときに、社会を作っている構造を見ながら考えられる時代になったのではないかなと思いますし、そういう変化は、私にとってとてもうれしいことです。

もう一つだけ付け加えますと、今回この作品にはウニという少女が出てきますが、これまで男性監督が描いてきた女子中学生のキャラクターの場合、まずとりあえず「かわいい」、そして「何も考えていない」、画面に映るときにはふんわりとしたような背景の中に映っている、そしてけらけらと笑い、悩みなんて何もないということが多く、それが典型的なタイプとなっていました。もしくは、とにかくボーイフレンドだけにのめり込んでいて、ボーイフレンドの話しかしないとか、周りの女性たちが嫉妬するとか。そういった描かれ方が非常に多かったと思います。でも、そういうキャラクターに対して、女性の観客は嫌気が差していたんですよね。

『はちどり』に出てくるウニというのは、全く対照的で、自分の虚しい気持ちや辛い気持ち、苦しみなど、色々な感情を全て顔に出しています。女の子の友達も出てきますし、ヨンジ先生のようなロールモデルになるような人との絆もある。そういったことを見せ、描くほうが、より現実に近いのではないかと思いました。『はちどり』を観た女性の観客の皆さんが「ああ、これは私たちの物語ですね」と気に入ってくださいました。私としても、女性の本当の顔を見せたいと思って作りました。ただ単にかわいいとか何も考えていない女の子ではなく、メディアが作り上げた"にせもの"の女の子ではなくて、女性の真の顔を見せたいと思って努力しました。

司会:ありがとうございます。残念ながらお時間になってしまいましたので、質疑応答はこれにて終了とさせていただきます。日本でも作品はヒットしていますので、「はちどり団」がもっと増えると思います。
最後に監督から一言お願いいたします。

キム・ボラ監督:
このようにリモートで質疑応答をさせていただくのは2回めなのですが、大阪の皆さんにとてもいい質問をしていただきました。ありがとうございます。何より、貴重な週末の時間を割いてわざわざ足を運んでくださってありがとうございます。この質疑応答の間、皆さんが一生懸命耳を傾けて聞いてくださっていることもオンラインを通して感じることができて心が温まりました。大変ありがたいと思います。今日は本当にありがとうございました。

(了)

* 江南駅殺人事件:2016年5月17日深夜、江南駅出口付近ビルのトイレで、23歳の女性が見知らぬ男に刺殺された事件。その後の供述で男が「日頃から女性を憎んでいた」と発言し、「被害者は女性というだけで殺された」、「その場所にいたら、私が殺されていたかもしれない」と多くの女性が声をあげるきっかけになった。一方で、韓国社会の男性たちも「被害者の性別は問題ではない」と主張するなど大きな議論を呼んだ。

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