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『話の話』を記述する(14~反リアリズムなマルチプレーンの使用)

 ふたたび『話の話』の画面そのものの記述から外れれば、この漸近する大気が見る者に与える効果ひとつとってみても、アニメの様々な技法が基本的には「現実らしさ・ほんとうっぽさ」を追求して編み出されたとしても、その技術を本来の狙いから外れて、別様に・「ほんとうっぽさ」からはみ出して使う者が登場してしまう愉快さだ。

 「現実らしさ・ほんとうっぽさ」のためにマルチプレーンが使われた有名な例はディズニーが作った『白雪姫』の冒頭のシーンだろう。森の奥深くに分け入るように、左右の草木が確かな遠近感の印象を与えつつ画面の両端にしりぞいていく。
 そんな模範的な使用法から見たら『話の話』のこの大気の層2ときたら。
 それは間違った使用法だと、開発者なら言ったかもしれない。
 間違っていて何が悪い。
 この迫り出してくる大気の層2は確かに見る者の胸をざわつかせる効果を持っている。

 それが本来の使用法と違ったとしても、特にアニメが硬直化する果てであるリアリズムに逆らってまでも、その技法に新たな可能性を見つけ、提示する。
 それは自由というものだ。
 しかもうまくいっている表現の自由。
 しかしうまく出来ているのは確かにしても、この迫り出してくる大気(であるかすら、明らかでない)は一体、何なのだろうか。
 たゆたう海か、不穏な大気の揺れか。
 ノルシュテインとしては何かの意味に同定させたかったとしても、結局見え方としては、不可思議な・現実には巡り会えないイメージが立ち現れている。


(15へつづく)


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