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魔女の宅急便@ほぼ全画面分析~その9の前に・おさらい

前回の「その8」はこちらから


今回は「その9」へ行く前に、ちょっと箸休め。
「アニメの表現」の基礎「作用/反作用」について(おさらい的に)説明します。
『魔女の宅急便』の中からその例を引いてみると、より楽しく『魔女』が見られるかと思います。寄り道です。

【1ー1】キキがお届け物を自分で持とうとします。
ひとはこの地球に住む限り、「重力という作用」とともに生きています。「地面へと引っ張る力=作用」です。
荷物が重いのは、より強く重力で引っ張られている「作用」の力が働いているのです。


【1ー2】キキはこのとき、重力で引っ張られる力=「作用」の力に対して、それと逆らうように持ち上げる力=「反作用」の力で抵抗しています。
この「作用」と「反作用」の力同士が拮抗して、荷物は宙にぶらさがり/持ちあがっているのです。


【1ー3】しかし荷物に働く「作用の力=重力」に「反作用の力」が負けて、荷物は地に落ちます。
このようにアニメを楽しむポイントのひとつが、この「作用と反作用」の力の拮抗する表現に注目することなのです。


【2-1】キキは重い荷物を抱えて計量計へと運びます。
しかしよく考えてみてください。
これらはすべて、ただの「絵」でしかありません。
それでもなぜ、見ているひとはその絵に「重み」を感じるのでしょうか。


【2-2】アニメは現実と違い、重力と関係のない「ただの絵」として表現されます。
その「ただの絵」が「現実らしさ」とリンクするには、「作用/反作用」が働いているかのような「演技づけ」を必要とします。


【3ー1】だから新人アニメーターはまず「歩き」の動作から学ぶことになります。
「重力という作用」に対して反発するように「歩く」=「反作用の・重力に逆らう動き」が必要になるのです。


【3ー2】ちょうど、このシーンでは、ひとりだけでなく、合計四人分の「足の運び」=「重力に逆らって足を運ぶ=作用と反作用」の動きが確認できますね。


【3ー3】あなたはアニメを見るとき、「足の運び」に注目してきましたか?
この「歩きの動作」こそが、アニメの基礎中の基礎となる表現なのです。


【4-1】重い荷物を運びながら階段をのぼるキキ。
「荷物の重み」を感じさせる「作用/反作用」の動き。
それプラス、アニメ表現の基本である「歩み(この場合、階段の昇り下り)の作用/反作用」が「演技づけ」として施されています。


【休憩】この「作用/反作用」の仕組みが、宮崎アニメで有名な「飛行シーン」に活かされているといったら驚きますか?
それをこれから、ご説明します。


【5-1】アニメは「ただの絵」であり、それが「動き」をともなうことをここまで見てきました。
ほかの言い方で言えば「重力という作用(地に落ちる力)」が一方にあり、それに逆らうヒトやモノの「反作用の力」があるのでした。


【5-2】キキはいま飛び立とうとします。
「重力=作用の力」に逆らって、「飛ぶ=反作用の力」が働こうとします。
また飛ぶ際には、「風という作用の力」に逆らう「反作用の力」も起こりますね。


【6-1】大まかに言って、キキはこのとき、「重力」と「風」という「ふたつの作用の力」に対抗して「反作用の力」で立ち向かっている、というのがわかりますでしょうか。


【6-2】だから宮崎アニメの飛行シーンは、「歩きの運動」に代表される「作用/反作用の力学」を、そのまま「飛ぶ行為」にも適用しているのです。
宮崎アニメにあっては「歩き」と「飛ぶ」は、同じ理屈で表現されているのです、と言ったら意外ですか?


【6-3】宮崎アニメの「飛ぶシーン」が、他のアニメ作品の「飛ぶシーン」とちょっと違うのは、常に「重力という作用」が働いているからなのです。
「重力という力」に逆らうように「反作用の力」で飛んでいるという「緊張状態・ぎりぎりの拮抗状態」を維持して見せることで、宮崎アニメの「飛ぶシーン」は「いかにも・それらしく」見えるのです。


【7-1】重力だけではありません。
「風」という「作用/反作用の力」も働いて、キキはいまきりもみ状態で飛んでいますね。


【7-2】宮崎飛行シーンにあこがれて真似をする作画も多いのですが、多くのひとがこの「作用/反作用の拮抗・緊張」に気づかないで、「ただ重力から解放された飛行」に快楽を見出しているので「失敗」しているのだ、といったら極論でしょうか?


【7-3】実際、多くのアニメの「飛行シーン」は、重力から解放され、あるいは「重力を無視」し、「重力などないかのように」飛ぶ主体が存分に飛びまわってはいませんか?


【7-4】宮崎アニメでの「飛ぶシーン」は、飛んでいる主体が主役じゃないんです。
「主役」は「下から引っ張る重力の力」であり、「吹き寄せ・翻弄する風の力」なのです。


【7-5】そこまで言うと大げさでしょうか?
いま「キキ」と「重力・風」とが主役を張ろうと闘っているのでした。
そんな風にこのシーンを見たらどうでしょうか?
宮崎アニメの飛行シーンの見え方ががらっと変化するかもしれません。
キキのこの勇ましい顔もどうでしょう。


【8-1】インターバルも、そろそろ終えましょう。
話をまとめしょう。
宮崎アニメにあって「飛行シーン」と「歩くシーン」は原理が同じ。
いつだって宮崎駿は「重力と闘うことの愉快さ」のなかにいる。
宮崎作品の全編を貫くのが、この「作用/反作用の拮抗」で説明がつくというわけです。


【8-2】どうでしょうか。
便宜的に『魔女の宅急便』のもっとも楽しい「飛行シーン」の図を掲げながら説明してきましたが、飛ぶ様子が違って見えてきたでしょうか?
そうであってほしいです。


【9-1】そう、宮崎アニメの「飛行シーンの肝」は、「飛んだ解放感」ではなく、いつだって「飛べるかな?飛べないかな?」の「緊張・不安」にあるときこそ「見もの」なのです。
というのがぼくのオリジナルな仮説です。


【10-1】だから、飛べないトンボが飛ぶことに憧れているけれど、こんな風に「ペダルを必死に漕いで」坂道を昇っているのも、キキが飛んでいるのと原理は同じ、「重力と闘ってペダルを踏みこむ、作用/反作用の力の表現」なんです。


【10-2】ペダルにかかる「重力」や自転車の「重み」や「坂道の勾配」や。
それら「重力としてかかってくる作用の力」の群れに対してトンボは「漕ぐ・という・反作用の力」を必死に行っている。
トンボの、この踏み込む「重みの感じ」。すごく伝わりますよね。
そしてそれは実のところ「飛ぶ表現」と同じなのです。


【10-3】さて以上で「アニメの・てにをは」の基本その1~「作用/反作用」の説明でした。
それは歩き、飛び、漕ぐという、一連の動作を貫く、アニメそのものの根幹だったのです。
ご清聴ありがとうございました。


さて、では「(ほぼ)全画面分析」の「その9」へ行きましょう。

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