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アニメドラマ版「義妹生活」8話までの感想と解題①「無口なドラマ」と「雄弁な映像」

「義妹生活」というアニメを見ている。ここでも取り上げたことがある、同名の小説をアニメにしたものだ。Youtubeでの3話までの先行配信からずっとリアルタイムで追い続けているが、漸くこの作品の「ジャンル」がわかった気がする。

アニメ作品「義妹生活」は、「アニメドラマ」である。
これが私が至った結論である。

「アニメドラマ」と呼べる作品としてどのようなものがあるかを考えてみると、これがなかなか難しい。もっとじっくり考えてから、これについては考えてみたい。

画面の特徴

1.固定カメラで「隙間」からとらえる絵

第1話からそうだか、この作品は全編を通して時間と空間を主にFixで切り抜き、「どう使えば作品の『広さ』を作ることができるか」に注意を払っているように感じる。
画面全体に焦点が合っているレンズを通して、カメラは主に屋内で繰り広げられるドラマを撮っている……つまり、視聴者はそのようなドラマを見ている。だから、部屋の構造を体感で身に染み込ませなければ、部屋の様子がわからなくなっている。そしてそこに、「ドアが開いている隙間から部屋の中の様子を見る」ショットが多くなっているのだ。視聴者はたぶん、このことによって登場人物に感情移入しにくくなっている。
このことは、次の特徴とも相まって、他のTVアニメとは違う印象を与えているだろう。

2.アナログ記録媒体のエミュレーションと「日記」「記憶」

Youtubeにおける先行配信を見て私が非常に驚いたのは、音声が入っていない「8ミリフィルムカメラ」で撮影し、小さなスクリーンに投影したと思われるがごとき「映像の挿入」があったことだ。話が進むにつれてそれは「記録」であり「記憶」であるとわかってきた。

そしてそれに引きずられるように、「画面での会話」ではない別の場面での会話シーンが目立った。例えばそれは悠太と沙季が並んで道を歩いている場面で使われている。
これもまた視聴者にとっては、感情移入しにくい作品としてとらえられる一つの要因になっているのだろう。そしてそれはこの作品に私たちの想像の余地を与えてくれる「余裕」「間」「時間」を作り出しているだろう。

3.一人語り(モノローグ)を廃した「無口な」作りと、雄弁な「映像」

この作品の一つの特徴として、TVアニメにはめずらしく、モノローグが(ほぼ)無いことが挙げられる。脚本協力している作者の各話の解説と感想によれば、特に主人公の悠太のモノローグが無い。また、場面の説明や状況説明のためのセリフも削られている。「渋谷」という「実在する街並み」を導入するなど、言葉で説明していない情報をできるだけ詰め込んでいくことによって、「個人の会話」にフォーカスを当てられている。

沙希のモノローグも、ほぼ無い。その代わりに、ガッツリと第⑥話の半分くらいを費やして「日記」が視聴者に、音声で提示される。
小説では心情の吐露が描かれている部分を「作品全体の情報」に埋め込み、登場人物のモノローグに頼らず、ため息や視線、言い淀みなどで表現する。実に「無口」で「雄弁な」ドラマに仕上がっているのではないか。

続きます

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佐分利敏晴
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