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TVアニメ「アイドルマスターシンデレラガールズ U149」第1話感想 動きと個性

TVアニメ「アイドルマスターシンデレラガールズ U149」が4月5日(水)からはじまりました。
第1話を総合して感想を述べるなら、すばらしかったです。

声の演技に合わせて作画する

その放映後、YouTube等で配信された、出演した役者(声優)の感想会で明かされたのは、その「すばらしさ」を裏付けるような情報でした。

このアニメーションを構成する部品としての絵に合わせて声を当てただけでなく、録音した声に合わせて一部の絵が作られている、つまりアフレコだけでなくプレスコ的制作が行われていたというのです。

そのことを聞いて納得する部分が多々ありました。この作品全体が、何らかの「艶めかしさ」「生命感」を持っているように感じた理由がそこにあるように思います。

「少女」

子どもが主人公の作品でありながら「艶めかしい」というと通報されそうですが、子どもは時に非常に艶めかしい何かを振りまくのではないか、と、私は考えています。

その理由は、ネコの歩き姿が特にひどくエロティックに見えることと同じです。子どもは動きが「社会化していない」傾向が強いのです。言ってみれば、「動きが服を着ていない」のです。

例えば、まず、冒頭の「橘ありす」の寝顔のアップです。
正直驚きました。
「子ども」の「あどけなさ」と、「女性」へと大人びていく「生命感」が濃縮された「少女」の姿がそこに描かれていました。

それはかつて押井守監督作品の「天使のたまご」で描かれた「少女」を、あるいはエドヴァルド・ムンク作の絵画「思春期」(本記事の画像として採用した絵画)を彷彿とさせるような、それほどに気合いの入った絵が作られていたと思います。

彼女は12歳、「子ども」としては大きくなりすぎ、「女性」としてはまだまだ幼い「少女」としての姿を描いているあたり、作品として「少女」に真剣に向かい合おうとしている制作者の姿勢がにじみ出ているように思いました。

自然な間の呼吸とセリフ

次に私がすばらしい点として挙げたいのが、詰め込まれているとはいえ、できる限り自然な間の呼吸で作品全体が作られており、作品を見ながら追い立てられるような感覚も間延びしてあくびが出そうになる感覚もなかったことです。

これは、役者(声優)に彼らの呼吸を反映した作画(動きの付与)が行われていたことからできた、自然な呼吸を取り込んだ時間のデザインが行われていたということを示していると、私は考えます。

絵のテンポに従いセリフをそこに埋め込むと、往々にして急ぎすぎるテンポになりがちなのですが、この作品の第1話はその点安心して、といいますか、楽に見ることができました。

動きが表現する「性格」

注目すべき優れた点はまだあります。「キャラクターの動きの描き分けができている」ということです。
動きによって性格を作るのは、それなりに大変なことです。
ともすればステレオタイプな動かし方をさせることで切り抜けようとしたり、動きから人物の性格を描くことまで至っていない作品も結構あったりするのです。

しかしこの作品では、一人一人の登場人物に寄り添い、「個」を感じさせる動きをそれぞれのキャラクターに付けていました。そのことによって、群像劇としてのこの作品を完成させようとする制作陣の気概を感じます。

それでもまだ、この作品は第1話が作られただけです。真の価値は、これからが正念場と言えるでしょう。

内容に関しては、そうですね、他でも語られていることが多いので、本論はここでひとまず区切ります。
もし、さらに内容にまで踏み込む記事ができたら、また発表させていただきます。

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