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短編vol.10「夢宵夜明」

【登場人物】
勝   
香代
語り/大家

語り  ――まだ江戸と申しました時分に、
      魚屋さんで勝さんてぇ人がおりました。
      魚屋さんと言っても「ぼてふり」。
      天秤を肩にして方々魚を売って歩く魚屋さんの事を言います。
      腹掛けに半股引(はんだこ)、
      半纏着て三尺帯(さんじゃくおび)締めて、
      豆絞りの手拭でもって向こう鉢巻き姿。
      そりゃぁもう! 
      新しい魚を早くお得意先に届けようと言うんですから、
      往来を飛ぶようにして商っていたそうで……。
      「こんちぁ~! 魚勝でござんす」
      「おう! 何があるんだぁ? 」
      「へぃ! 今日はめじの良いのが入っておりやす! 」
      「おうそうかぁ……うちのかかあが好きなんだ。
       刺身こさえてくんねぇか? 」
      「お安いご用でございやす! 」
      お客様の見ている目の前で、
      タッタッタッタッタッっと拵えていくその手際の良さが
      素晴らしいったらありません。
      ですが……魚勝さん……大変評判は良いんですけれど……。
      お酒が大層お好きな性分でして……。
      商いが終わって帰りに1杯やるとか、
      家に帰って来て夫婦差し向かいで1杯飲むと言うのは
      結構なもんですが、
      魚勝の勝さんと言ったら、
      普段からのべつ幕無しに飲んでいたいと言うやつでして……。
      まぁ……どう言う訳かと言いますと……。
      魚屋ですから朝が早い。
      東京は江戸と言っていた時分、魚河岸が日本橋にありました。
      それともう1つ先の方の芝の浜にやはり魚市場がござい
      ました。
      芝の浜は小魚を主に扱いまして、
      時期によってはまぐろなんかも置いてありました。
      で……魚勝の勝さん。
      早くに起きて芝の浜へ行って魚を仕入れる。
      天秤担いで方々売って歩いている内に昼時分になってくる。
      普通といったら何が普通だって怒られちまいますけど、
      大概はね……腹が減ってくると飯屋へ飛び込んで直ぐに
      おまんまぁ食っちまうもんですよ。
      だけど! 
      酒好はそうはいかない。
      空きっ腹に1杯きゅ~っとやりたいもんでね。
      1杯やって何か口に入れると食が進んで大変に旨いんです。
      ただ……その後が困っちまう。
      だるくなって……何をすんのも嫌んなっちゃう。
      で、段々酒の量も増えてまいります。
      2杯が3杯になり、4杯になり、いっぱい飲んで……
      終いにゃあ飯も食わないで酒ばかり。
      いつまでもいつまでも飲んでる始末。
      表に置いてある半台にお日様が当たるから、
      中の魚はみんな痛む始末。
      前だったらそんな魚とてもお得意先にはお出しできませんよ。
      でもそこはそれお酒を飲んでいるんでね……構わず持って
      行ってしまう。
      その内にすっかり信用を失くしてお得意先も減っていく始末。
      そしてヤケになってまた酒を飲む。
      よけいお得意には顔を出せなくなります。
      その繰り返し。

―*―

香代  ねぇ……お前さん。
    お前さん。
勝   なんでぇ……人が良い気持ちで寝てんのに……。
香代  お前さんたら!

加代が勝の体を揺すって起こす。

勝   此畜生! 
    何でぇ邪慳な起こし方しやがって。
香代  邪慳で結構。
    起きてくださいよ……お前さん。

語り  ――酒やけの男が勝さん。
      天秤棒一本で渡り歩く魚屋の勝さん。
      腕は良いが酒の飲み方も良いときている勝さん。
      毎晩、毎晩、酒のせいで仕事もうだつがあがらず、
      裏長屋の貧乏暮らし。
      酒に呑まれて、
      仕事をサボって20日目の朝。
      女房の香代が朝早く勝さんを起こします。

香代  お前さん。
    早くて悪いけどね……起きて魚河岸に行っておくれよ。
勝   は?
香代  は? 
    じゃないよ。
    商いに行っておくれよ。
勝   なんでぇえぇよ。
香代  お金がないからだよ。
勝   はぁ~。
    お金ね……お金は欲しいね。
    (空を見上げて)降ってこないかねぇ。
香代  馬鹿な事を言ってんじゃないよ。
    お前さん……昨日言ったじゃないかい。
    ――明日の朝、俺は間違いなく商いに行く。今夜が最後の酒だ。
    お前さんが飲んだら魚河岸行くって言うからお酌をしたん
    じゃないかい。
勝   へへへ。
香代  笑ってんじゃないよ、
    暮も近いってのにどうするつもりなんだい。
勝   別にうちだけが近いわけじゃねぇだろ。
佳代  お前さん……頼むよ。
    商いに行っておくれよ。
勝   おっかあ……考えてもみろよ、
    十日も二十日も商い休んじまったんだぜ。
    どうせお得意さんにだって、
    他の魚屋が出入りしてるよ。
    そんなとこに……。
    「こんち! 魚勝でござんす! 」
    「なんだい勝ちゃんかい? 十日も二十日も来ねぇで
    今頃来たっておせぇよ」
    って言われるにきまってらぁ。
香代  何を偉そうに言ってんだよ。
    全部お前さんがいけないんだよ。
    それにね……お得様ってのはそんなもんじゃないわよ。
    「どうしたんだい魚勝。また酒に呑まれやがったか? 
    相変わらずだなぁ」
    なんてのはね、御愛嬌のお小言ご挨拶よ。
    きっと鯵一匹、鰈一枚は買ってくださるよ。
    そりゃぁ……嫌味も言われるでしょうけど、
    そこはお前さん、
    十日も二十日も商い休んでたのがいけないのよ。
    それより何かい?
    お前さんは他様にとられたお得意先、
    取り返すだけの目も腕も無いってのかい?
勝   何言ってやがんでぇ此畜生!
    こちとらガキの時分からこの目と腕で引けを取った事なんて
    ねぇや!
    他の出入り魚と、おいらの魚、一切れ食比べりゃ、
    「ぱちこん」 
    どっちが上でどっちが下か御天様だってわかりゃぁ!
香代  じゃあ行ってくださいよ。
勝   乗せるの上手いね、
    さすが魚屋の女房だね。
    でもよ……二十日も休んじゃさ……盤台だって箍がはずれ……。
香代  大丈夫ですよ、
    手入れをしてあります。
    水漏れなんてしませんよ。
勝   でも……包丁がなきゃ。
香代  大丈夫ですよ。
    生きのいい秋刀魚みたいにぴかぴかに磨いてあります。
勝   ああ……草鞋がねぇや……あれがねぇと……。
香代  大丈夫ですよ。
    ちゃんと新調してますよ。
勝   りょくさ大したもんだね。
香代  それとお前さん、
    魚河岸に行っても喧嘩なんてしないでおくれよ。
    ちゃんと商いしてくださいよ。
勝   そんな商いが好きならお前が行けばいいだろ。
香代  お前さん。
勝   分かったよ。
香代  いってらっしゃい!

語り  ――出来の悪い男には得てして出来の良い女房がいるもので
      ございます。
      尻をたたかれ朝早く魚河岸へだされた勝さん。
      辺りは真っ暗。
      宵も眠気も瞬く間に覚める冷たい空気。
      薄暗い道でも通い馴れた道。
      勝さんの足は自然と芝の浜に向かいます。
      だんだんと浜の香りが「ぷうん」と鼻へ入ってきますが……。

勝   あれ?
    おかしいぁぞ……いつもこれぐれぇまで来ると、
    明るくなってくるもんだけどなぁ。
    お? まだえれぇ暗えじゃねぇか。
    ああ!
    何だこりゃ! まだ問屋ぁが一軒も起きてねぇじゃねぇか。
    おっかあ! 
    時間を一つ刻(とき)ちげぇてやがる。
    どおりで暗ぇわけだ。
    ああ!
    家に戻るのも億劫だしなぁ。 
    はぁ……しょうがねぇなぁ。
    浜に出て一服してりゃぁ。……しらしら明けるだろうよ。

語り  ――勝さんは芝の浜にしゃがみこみ。
      煙管に火を点け、
      煙を深く吸い込み……ふぅと吐く。
      ぼんやりと遠くを眺めていると、
      東の空が白くもえ、
      ユラリユラリとゆれはじめました。
      気付くと勝つさんの横に黒い財布が……。

勝   なんでぇ……きたねぇ財布だね。
    ええ……革にゃちがいねぇが……ぬるぬるだね。
    長く海に浸かってたんだね……こりゃあ……やけに
    重いね、
    うん?
    中に砂が入っているのかい?
    (財布の中身を覗き込む)
    あああ!!!

―※―

勝   おっかあ!
    開けてくれ! おっかあ!
香代  はいはい。
    今開けます……。
勝   戸閉めろ。
香代  あのね……刻間違えたのは……。
勝   誰にも付けられてねぇよな。
香代  悪かったって。
勝   これ見てくれよ。
香代  何なんだい。
勝   財布だよ。
香代  みりゃ分かるわよ。
勝   いいか……魚河岸に行ったんだけどな、
    問屋が1軒も起きてねぇんだよ。
加代  だから悪かったって。
勝   まぁそれは良いんだよ。
    で!
    一服つけようと浜へ出て……海をぼうっと見てたわけよ。
    で!
    気づくとこいつが魚みてぇにおいらの横に居やがんのよ。
香代  財布が動くはずないでしょ。
勝   まぁ……そうだよな。
香代  財布に蟹でも入ってたん……。
勝   蟹なんかよりすげぇのが入ってんだよ。
香代  タコかい? 
勝   何でタコなんだよ。
香代  じゃあ何なんだい。
勝   銭だよ。
    (財布の中身をだす)
香代  すごいね。
    これ……全部本物かい?
勝   ああ……勘定してみろ
香代  ちゅうちゅうたこかいな。 
    ちゅうちゅう……。
勝   ああ! 
    じれってぇな。
香代  タコ!
勝   タコ! ってなんだよ。
香代  こんな大金見たことないよ。
勝   こっちにかしてみろ。
    よよよよよよ。
    おおお! 四十八両あるぞ。
勝&香代 四十八両!!
香代  凄い大金じゃないかい。
    どうすんだい?
勝   どうすんだいって……おいらが拾ったんだよ。
    おいらの銭だよ。
    きっとよ……海の神様が爺の代、親父の代から、
    毎日毎日魚河岸に通ってるおいらをみかねてよ……。
香代  サボってたじゃないの。
勝   うるせぇな!
    とにかくこれはおいらの銭だ。
    誰にも渡さねぇ!
    ははははは!
    これだけの大金があれば、
    おいらの人生全てが上手くいくぞ!
    働かなくて毎日毎日好きな酒飲んで……何升飲んでもびくとも
    しねぇな!
    そうだ!
    かかあもそんな汚い着物なんて捨てて新しいの買ってこいよ。
    四十八両もありゃあ……何でも叶うぞ。
    はははは!
    この金で全てが変わる。全部変わるぞ!
    金で買えねぇモノはねぇ!
    ははははは!
    ほぉら酒もってこい!
    今日は祝い酒よ!
    仲間呼んで好きなもん食って飲んで……馬鹿騒ぎだ。
    早起きは三文の徳てぇ言うが三文どころじゃねぇな。
    ははははは!
    笑いが止まんねぇな。

酒を飲んで横になって寝る勝。

―*―

香代  ねぇ……お前さん。
    お前さん。
勝   なんでぇ……人が良い気持ちで寝てんのに……。
香代  お前さんたら!

加代が勝の体を揺すって起こす。

勝   此畜生! 
    何でぇ邪慳な起こし方しやがって。
香代  邪慳で結構。
    お前さん商いに行っておくれよ。
勝   は!
    何言ってやがんだよ。
    もう働かなくても食っていけんだ。
    酒持ってこい!
香代  馬鹿な事言ってないで、
    暮も近いってのにどうするつもりなんだい?
    商いに行っておくれよ。
勝   昨日の「あれ」でどうにも出来るだろ?
香代  何だい? 昨日の「あれ」ってのは?
勝   おめぇに渡したろ四十八両。
香代  四十八両?
勝   え?
香代  え?
勝   ほら。
香代  何だい!
勝   此畜生!
    いい加減にしろよ。
    何すっとぼけてんだい。 
    四十八両だよ。
    四十八両。
    昨日芝の浜で拾ってきた四十八両。
香代  誰が?
勝   おいらだよ
香代  何言ってんだい。
    昨日は芝の浜どころか、家から一歩も出てないじゃないかい。
勝   何言ってやがんでぇ!
    昨日はおめぇが刻間違えたせいで、
    早くに河岸着いて……ぼうっと海見てたら財布があって……
    四十八両……な!
香代  嫌だよ……この人は情けない。
    いくら貧乏してるからってね……お前さんそんな夢を見たのかい?
勝   夢?
    夢じゃねぇよ。
    おりゃあ……四十八両拾って……お前にちゃんと渡したろ。
香代  この家のどこにそんな大金があるんだい?
    そんな大金がありゃあね……。

勝は焦って家じゅうを探す。

勝   おいらは……確かに……昨日の朝……芝の浜へ。
香代  行ってないわよ。
勝   ありゃ……全部夢だったのか?
加代  夢でしょうよ。
勝   じゃあ……この飲んだり食ったりした後は?
香代  覚えてないのかい?
    お前さんが仲間呼んでどんちゃん騒ぎした跡よ。
勝   なんでぇ……銭拾ったのは夢で、
    飲み食いしたのは本当だってのかい?
    割に合わねぇ夢だな。 
    おい……それよりそんな金よくあったな。
香代  ありゃしませんよ。
勝   困ったな。
香代  困ってるのよ。
勝   どうしよう……心中するか?
香代  しないわよ。
    お前さん……商いに行っておくれよ。
勝   それでどうにかなるのかい?
香代  お前さんが真面目に商いしてくれれば、
    四、五日でどうにかなるわよ。
勝   分かった……よし……おいら商いに行く。
    ああ! 駄目だ!
    二十日も働いてねぇんだ。
    道具が……盤台の箍が……。
香代  大丈夫ですよ。
    ちゃんと手入れをしてます。
    水漏れなんてしませんよ。
勝   でも……包丁がなきゃ。
香代  大丈夫ですよ。
    生きの良い秋刀魚みたいにぴかぴかに磨いてあります。
勝   ああ! 草鞋がねぇや。
香代  大丈夫ですよ。
    しっかりと新調しときましたよ。
勝   乗せるのうまいねぇ……さすが……。
香代  魚屋の女房ですからね。
    それとお前さん。
    魚河岸にいっても喧嘩なんてしないでくださいよ。
勝   大丈夫でぇ。
    よっしゃぁ! 
    商いに行ってくるか!
香代  行ってらっしゃい。

―※―

語り  ――それからと言うもの、
      魚屋の勝さんは人がガラっと変わって商いに精をだします。
      もとより腕の良いところへもってきてやる気が加われば、
      繁盛、繁盛の大繁盛。
      半年後。
      裏長屋に居た棒手振りの貧乏魚屋が、
      表通りへ小さい店を出すようになりました。
      「魚勝お料理仕出し」と看板を出し、
      岡持ち3つ4つ、若い衆も2人3人と置くようになりました。
      そして……3年目の大晦日の夜。

香代  お帰んなさい。
    どうでしたかお湯は?
勝   どうもこうもねぇよ。
    まるで芋洗いだったよ。
香代  ふふふ。
    お前さん。
    そんな所にいつまでも居たら湯冷めしますよ。
    こっちに上がってください。
勝   おお! 
    やけに明るくなって……何だかてめぇの家じゃねぇと思ったら、
    畳を新調したのかい?
香代  あたしはね、
    前々から暮には畳を張替えるのが夢だったのよ。
勝   夢かい……そうかいそうかい。
    良いもんだねぇ……気持ちいいねぇ。

除夜の鐘が鳴る。

勝   お! 
    除夜の鐘かい。
香代  ほらお前さん。
    福茶を淹れてあります。
    飲んじゃってください。
勝   はぁ……。
    畳を変えて福茶とは縁起がいいねぇ。
    明日はいい正月になるねぇ。

勝がしみじみと外を見ている。

香代  あのね……お前さん。
    実は見てもらいたい物があるんだけどね。
勝   着物かい?
    駄目だ駄目だ。
    おいらは女の着物なんざ丸っ切り分からねぇ。
香代  いえね。
    着物なんかの話じゃないんだよ。
    実はお金がね。
勝   臍繰りかい?
香代  これなんだけど。
    (財布を見せる)
勝   汚ねぇ財布だねぇ。
香代  (財布の中身をだす)    
勝   こりゃ大した臍繰りだね。
香代  四十八両よ
勝   そりゃ貯めこんだね。
香代  違うのよ。
    お前さん。
    その財布と四十八両に見覚えないかい?
勝   え?
    ああ!
    3年前……おいら……芝の浜で財布を拾って、
    ああ! 
    そんな夢見たな……ありゃ……お前の臍繰りだったのか。
香代  違うのよ。
    3年前の暮、芝の浜でお前さんが拾った四十八両は……
    夢じゃなかったのよ。
勝   夢じゃない?
香代  お前さん。
    これを拾ってきた朝、何て言ったか覚えてるかい?
    「今日から働かなくていい。
    この金で好きなもん食って飲んで毎日遊んで暮らせるぞ。
    明日からは商売なんかしねぇぞ! 」
勝   (お茶を飲みながら、頭をかく)
香代  あたしはね……急に怖くなったわ。
    この大金を手にしたら、
    お前さんもあたしもこの生活も……全部壊れてしまうんじゃない
    かって。
    でも……大金掴んで笑っているお前さん見てたら、
    もうどうしたらいいか分らなくてなって……。
    そしたら丁度、
    お前さんがいい塩梅にお酒飲んで寝込んじまったから、
    その間に大家さんのとこに相談に行ったのよ。

―*―

香代  すいません! 大家さん。
大家  どうしたの?
加代  あの……これ……勝五郎が芝の浜で拾ってきまして。
大家  加代さん落ち着いて。
香代  勝五郎が浜で四十八両拾って、
    「こんな大金があるなら明日から働かねぇって」
    どうしましょう。
大家  どうしましょうって……いいかい香代さん。
    その四十八両……一文だって手を付ちゃいけないよ。
    もし手を付ようもんなら勝公の首は飛んじまうよ。
香代  ええ!
大家  大丈夫だよ。
    私の方でお上へ届けて、上手くやっておくよ。
    加代さんは勝公の方を頼むよ。
    あいつは何してんだい?
香代  酒飲んで寝ています。
大家  こりゃちょうど良いね。
    加代さん。
    この四十八両の事は夢だの何だの言って誤魔化すんだよ。
    大丈夫。あの馬鹿の事だ気付きはしないよ。

―*―

香代  お前さんが目を覚ました時、よっぽど言っちまおうかと、
    ここまで出かかったんだよ。
    でも……とうとうお前さんには夢だ夢だって押し通しちゃってね。
    それからお前さん、大好き酒をぷっつりと止めてくれて、
    商いに精出してくれて、
    こんな店まで構えるようになって……あたしは嬉しかったよ。
    本当に嬉しかったんだよ。
    雨の日だって雪の日だって、
    魚河岸に行ってお得意先回って、
    家じゃ馬鹿な話して……あたしは本当に幸せだったよ。
勝   おっかあ。
加代  この四十八両。
    実はもっと早くにお上から落とし主が居ないって事で、
    あたしの手元へ下がって来てたんだよ。
    でも、どんな顔してお前さんを騙してた事を打ち明けよう
    かと……。
勝   おっかあ。
香代  (頭を下げる)
勝   ……ありがとうな。
香代  何言ってんだよ。
    あたしはお前さんを騙し……。
勝   あの時、おっかあがその大金を夢にしてくれなかったら、
    今のおいらは居ねぇ……本当にありがとうな。
香代  許してくれんのかい?
勝   許すとか許さねぇとか何言ってんだい。
    夢か……ははははは! 
    さすが魚屋の女房だね。
    乗せるのがうめぇなぁ。
香代  お前さん。
勝   ああ! 決まりが悪いね。
    なんかねぇのかい
香代  実は機嫌直しに一杯飲んでもらおうと思ってね。
勝   え……燗がついているのかい?
    どうもさっきから良い匂いがしやがったけど、
    畳みの匂いだけじゃねぇと思ってたよ。

香代が勝にお酒を注ぐ。
3年ぶりの酒。
勝はその香りに頭がボーとする。
勝は酒を口に運ぶが……。

勝   よそう。
    また夢になるといけねぇ。

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