野生動物画家にインタビュー! -私が見つけた野生動物の守り方-
こんばんは!
今夜は野生動物画家として各地で活躍されている、岡田宗徳さんへのインタビューの様子をお届けします!
野生動物画家になったきっかけや画家として野生動物保護へ関わる想いについてお話をうかがいました。
野生動物画家としてご活躍されている岡田さんですが、幼少期から絵がお好きだったんですか?
はい。3歳上の兄がいるのですが、私が2歳のころ、兄が地域のこども絵画教室に通い始めたんですね。
兄について行って絵画教室に通い始めたことが、絵を始めたきっかけです。絵画教室の先生とは仲良くさせて頂き、大人になってからもお付き合いがありました。
こども絵画教室が岡田さんの絵の基盤となっていったんですね。
そうですね。絵はもちろんずっとやっていましたが、当時はスポーツを一生懸命やっていました。柔道やバレーボール、色々やりましたね。小学生の頃は本気でスポーツをもっと頑張りたい気持ちがありました。小学校の文集には、柔道でオリンピックに出たいなんてことも書いていたと思います。
スポーツ選手になりたかっただなんて、意外です。どういうきっかけで画家の世界に入られたのでしょうか?
学生時代に、とある絵の審査会というのがありました。そこで私の絵が入賞したんです。大きな美術館に展示もされました。その噂を聞いた人たちから、「バイトで描いてみないか?」という誘いを頂いて、少しずつ絵のお仕事が入るようになっていきました。その時は「絵でお金をもらえるなんですごい!」と思いましたね。さらに、「岡田くんの描くイヌやネコは評判がいいね」という話になり、少しずつイヌ・ネコの絵の依頼が増えていきました。文房具やアパレル系の企業なんかにイラストをおろしていましたね。
その頃はおかげさまで、1年先ぐらいまで描かなければいけない絵が決まっていました。寝ても覚めてもイヌかネコの絵を描いている状態でしたね。
大人気だったんですね。
もう太陽の光を浴びるときついくらい部屋に引きこもって絵を描いていました。部屋は閉め切って、電気の光だけで生活していました。気が付いたら春を越して、初夏だったみたいなね。暑いのに冬物を着て、なんか随分暑いよねって思ったら、 もう初夏なのね、みたいな…。そんな生活を7年くらい続けていました。
7年もそんな生活をされていたんですか!現在の活動に繋がる、なにか転機があったのでしょうか?
いきなり転機があったというわけではありませんでした。当時は絵を描いてお金を頂けることが嬉しくて、無我夢中でやっていました。そんななかでも、もう少しここに手を加えたらもっとこの作品って良くなるのになって思うことがありました。
でも、1年先までいろんな描かなきゃいけないものが決まっている中で、 ちょっと違う絵とか、もしくは背伸びしてクオリティーの高いものに挑戦するというのは、なかなか難しい状態でした。クライアントさんは私のやりたいことを求めていません。そうなった時に、少しずつ、自分の中では描きたい絵と求められる絵に差が出てきてしまったんです。 6年、7年と年月を重ねていくうちに、こなしているだけのような、描けば描くほど下手になっている感覚がありました。
求められるものと自分のやりたいことが違うというのはつらいですね。
はい、そうですね。そこでいろんな人に相談し始めました。相談していく中で、ある方が教えてくださったのが、海外、例えばアメリカでは、ワイルドライフアートと言って、野生動物と自然をテーマに描く絵があると紹介してくださいました。 こんな面白い世界があるのかと、とても新鮮に感じました。元々動物が好きだったこともあり、少しずつ描いてみることにしたんです。
そのうち、ワイルドライフアートの老舗の協会(Society of Animal Artists)がアメリカにあることを知り、入会して自分を高めたいという気持ちになりました。入会には審査がありましたが、無事入会することができ(日本人として3人目の正会員)、そこからすこしずつワイルドライフアートにシフトチェンジする形となりました。
紆余曲折があって、今の活動があることがよくわかりました。では、現在のご活動の質問に戻りますね。作品を描くときは、毎日少しずつ描かれているのでしょうか?
皆さんが絵を描く時って、「描こう!」と決意して机に向かって、紙を置いて描き始めると思うのですけれども、私の場合は本当に生活の一部です。ご飯食べたり、顔を洗ったり、歯を磨いたりっていうのと同じような感覚です。何かちょっと絵を描いていないと気持ち悪い感じですね。なので、ある1日をご紹介すると、朝起きて絵を描いて、ご飯を食べて絵を描いて、昼ご飯を食べて絵を描いて、という一日を送っています。1日に1作品描いているわけではなく、常に3つか4つの作品が常に動いています。それぞれの作品で構想を練っているものもあれば、下塗りをしている段階のものもあったりします。仕上げの段階になっちゃうと、さすがにもうそれだけしか描きませんが。一日8〜12時間は絵を描いていると思います。
絵は何で描かれているのですか?
鉛筆で描いて、色付けはアクリル絵の具です。今はデジタルで描かれる方も多いですが、筆で描くと、こうやって描いたらこういう表現になるのかと、新たな発見があるのが魅力だと感じています。使う筆はほぼ決まっているのですが、たまに興味本位で使ったことがないような筆を買うこともあります。筆の持つ力を引き出せているか、なんてことも考えながら描いていますね。まだまだ道は極めきれていないと感じますよ。
なるほど。職人ですね。「まだ道は極みきれていない」だなんてかっこいいです。
現在の活動の中で、絵の収益を寄付につなげる活動をされていますが、どういったきっかけではじめられたのでしょうか?
イヌ・ネコの作品を中心に描いていた頃、自分の絵が社会の役に立っているのだろうかと、ふと思うことがありました。そういったことや、もっと自分の描きたい絵に挑戦したいと思っているときに「NPOどうぶつたちの病院沖縄」の長嶺隆先生に出会いました。長嶺先生はヤンバルクイナをはじめ沖縄に生息をする動物たちの保護活動をされています。
私は2007年に沖縄を初めて訪問しました。訪問した際に、先生に「先生方って、やっぱり直接動物たちの命を救えてすごいですよね」という話をしたんです。でも、長嶺先生は「いやいや、そんなことないよ。もちろん自分たちは獣医師だから直接救う活動をしているけれど、例えば岡田さんは絵が描けるのであれば、例えばですけど、ヤンバルクイナの絵を描いて、こういう動物が絶滅の恐れがあるんだよとか、世に知らしめる活動をしてくれると助かるよね。」というような話をしてくださったんです。 そんなことでもお手伝いできるか!と目からウロコでした。実はこの言葉にかなり助けられました。おそらく、長嶺先生との出会いがなかったら、今頃絵は辞めていると思います。それからというもの、長嶺先生とはずっと親しくさせて頂いていて、今年でお手伝いを始めて17年目を迎えました。
また、色々な方々を通じて北海道の齊藤慶輔先生という猛禽類の先生との出会いもありました。
野生動物の活動を始めた当初は、私の中では動物の種、例えばヤンバルクイナとか、特定の種を絶滅の恐れから救うことに関わるイメージを強く持っていました。
しかし、長嶺先生が「昔は保護施設がなくてもヤンバルクイナは普通に生きていた。なぜ、昔から生きている動物たちが生きにくい状況となっているのか・・ケガしたヤンバルクイナを助けても、返せる森、生息地が守られていなければならない。生息地の保全と種の保存は両輪でやっていかないと意味がないと思う。」というお話をしてくださいました。その時に思ったのが、“昔からその地で生きてきた動物たちが生きにくい環境”は、 人にとっても生きにくい環境が出来ようとしているんじゃないかと思ったのです。
自然を守るとか、生息地の環境を保全するっていうのは、ヤンバルクイナたちにもそうかもしれませんけど、人にとってもプラスなんじゃないかなと思っています。動物の絵を描いていますが、生息地保全への気持ちが長嶺先生のお話を聞いてから強くなりました。
素晴らしいエピソードをありがとうございます。生息地の保全と種の保全は両輪。当たり前のようですが、見落としがちな視点ですね。
活動をするなかで、特に大事にされていることは何ですか?
大事にしていることは、必ず現地で取材をするということです。一番やってはいけないと思うのは、「なんかあのお兄ちゃん、沖縄によく来るようになって、なにかやっているけど、 何してるんだろうね。」というふうに思われていてはダメだと思っています。地元の方々とコミュニケーションを取って、一緒にやっていくっていうか…。
あとは、野生動物の密猟なんかも話題に挙がります。これは需要と供給の話だと思うのですが、私も夜、森を取材していた時に何回か密猟者と間違われパトロールから職務質問を受けたことがあります。色々考えていくと、ただ単に自然保護って言っても、ゴミ捨てをやめましょうとか木を植えましょうとか、それだけの話ではなく、人の生活っていうところを考えないといけないなと感じています。人間の経済活動は全部、自然とつながっています。だからこそ、絵を通して伝えるだけでなく、描く前には、取材先の現地の人とのコミュニケーションを大事にしています。
また、野生動物の保護や生息地保全のお手伝いが、自分の絵の未熟さを補う盾にならないように気を付けています。絵は絵で質を上げられるように、自分の頭の中のイメージに近づけるために、日々努力を惜しみません。
最後に、今後の展望などありましたらお聞かせください。
今後、日本自然保護協会さんと活動する予定があります。今まで北海道と沖縄での活動が中心で、本州が抜けていたところがあります。今後は本州にも活動を広げていきたいです。
また、東日本大震災から13年経ちましたけれども、あの地域のシンボルであるイヌワシの保護活動もお手伝いしたいです。イヌワシの生息していた南三陸は、津波で山が削られてしまうなどの影響で数が減っているそうです。そこでもお手伝いができたらと思っています。
あと、沖縄にもいろいろ離島があるので、「あいつ、石垣島には行くけど、宮古島には来ないよね」みたいな感じで言われないよう、頑張らなくてはと思っています。
岡田さんの熱い人生のストーリー、野生動物の保護支援に懸ける想いを聞かせていただきました。ありがとうございました!自分にできる形で野生動物保護に貢献する姿はかっこいいですね。岡田さんの今後の活動にもぜひご注目ください。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?