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さくらさんが天国へ行った話


最期の闘病

 2024年8月9日夜、さくらさんが大きな深呼吸とともにこの世を去った。時間は21:00を回った頃、私の隣で眠るように亡くなった。

異変

 私がさくらの異変に気付いたのは亡くなる5日前の8月4日。ご飯をほとんど食べず、大好きなおやつでさえ途中でポイッと捨ててしまう。さくらの表情を見ていて「もうダメかもしれない」という不安が頭をよぎった。本当に生命力の強い子だったが、19年近く一緒にいればなんとなくその子の限界値が見えてしまう。私はさくらの母犬が眠る納骨堂へ向かった。そして母犬に「さくらが限界かもしれません。あの子がまだ生きたいと思っているなら私が全力で支えます。でももしあの子の体が限界を迎えているなら苦しむ前に迎えに来てあげてください」と手を合わせた。

治療1日目

 翌朝、かかりつけの動物病院に行った。血液検査、エコー、レントゲン、排泄物の確認などで時間がかかるため一時預かりに。お迎え予定の15:30まで「予感、外れてくれ」と願いながら仕事をしていた。病院に着くと「急性膵炎の可能性が高い」と告げられた。18歳を越えてから週2〜3回の通院が日課になり、血液検査・エコー検査も前週に受けたばかり。前週には正常範囲内だった数値(白血球、リパーゼ、CRPなど)がほんの数日でびっくりするほど上昇していた。急性膵炎は読んで字の如く急に発症し急激に悪化する。

 「膵炎に効く注射が開発されたんですが使いますか?ただ値段が高くて…」と値段表を見せながら説明してくれる獣医さん。体重1kg当たり3,000円の注射を5日間連続で投与する、という内容だった(※値段は病院によって異なります、ご参考程度に)。体重10kgのさくらであれば1回3万円×5日間=15万円。心の中では「高っ!」と思ったが私の中に「断念する」なんて選択肢があるわけがない。膵炎は激しい腹痛や嘔吐・下痢も伴うため膵炎の注射に加え、痛み止め注射、吐き気止め注射、補液の治療も5日間一緒に行なってもらうことになった。

 ご飯もこれまで食べていたウエットフードではなく、限りなく低脂肪の療法食へ切り替えることに。元々好き嫌いの激しいさくらさん、食欲が落ちている状況下ではこの療法食に見向きもしない。体力が落ちているのにご飯を食べてくれなければ命取りになる。先生に相談し、シリンジを使った強制給餌をすることになった。病院で見せてもらったお手本どおり、自宅で強制給餌を試みる。なんとか食べてくれるものの、本当に嫌そうな顔をする。復活させるために総合栄養食を食べさせたい気持ちと、最後の食事になるかもしれない…好きなものを食べさせたい…という気持ちが葛藤した。「さくらに嫌われてもいい、食べてくれるうちはこの子の生命力に賭けてみよう」と腹を括り療法食を食べさせた。

 さくらの痛みやストレスが少しでも軽減するようにこの日からオムツを使うのをやめた。オムツを使っているときはトイレをする前と後に「ワン!」と教えてくれていた。「そろそろトイレしますよ」「蒸れて気持ち悪い、早くオムツ替えてくれ」のサインだ。オムツを外すとこの「トイレしますよ」のサインが出ない。さくらの居住スペースにはペットシーツを敷き詰めていたので、正直いつどこでトイレをしてくれても構わないのだが、トイレしたまま放置していると怒る。怒らせるのは体力消耗・ストレスに繋がるので動きを見ながら排泄介助をし、トイレをしたらすぐに新しいシートに替えた。さくらが寝たままの状態でトイレをするときは、上にある方の脚がほんの少しだけ上がる。このサイレントサインも見逃さないよう細心の注意を払った。

治療2日目

 8月6日の朝、病院に行く前に療法食をシリンジで与えると器用に口から出すようになってしまっていた。「本当に食べたくないんだろうな…」。療法食の味がイヤなのか、ご飯を食べること自体拒否しているのか。病院で再び獣医さんに相談し「とにかく食べてくれるものを与えましょう」という方針に切り替わった。とはいえ脂っこいものや味の濃いものは治療の妨げになってしまう。膵炎の子に負担のかからない食材を教えてもらい、ご飯を手作りすることにした。病院での治療は初日と同じく時間がかかるため一時預かりに。この時間を使ってドタバタと仕事をする。この日は外部との打ち合わせも入っていた。不安な気持ちや疲れが見えないよう、いつもの10%増しのテンションで臨んだ。

 打ち合わせを終え、ハンドブレンダー(スムージーを作るときのアレ)を買いに家電量販店へ。ミキサーではシリンジの先端に食材の繊維が詰まってしまうからだ。そしてそのままスーパーへ行き、焼き芋・ササミ・マグロ・アジを買った。マグロとアジは先生に薦められた食材ではなかったが、さくらが食べてくれなかったときの保険として好物を追加した。さくらとともに帰宅し、手作り食開始。焼き芋に常備しているさくら用の甘酒を混ぜてペーストにしたもの、茹でたササミに煮汁を混ぜてペーストにしたもの、マグロとアジは焼いた後に鰹出汁を混ぜてペーストにした。焼き芋&甘酒のペーストは全く嫌がらずにシリンジ1本(30ml)を完食。少し時間を置いてササミペーストも完食。保険用に作ったマグロ、アジのペーストはまさかの不発だった。

 その日の夜、急にさくらが立ち上がりソワソワしている。トイレはさっきしたし、お水も飲んだばかり。どうしたんだろう?と思った瞬間、さくらが倒れ込んだ。「てんかん発作だ…」。よりにもよって膵炎と闘っているときに再発してしまった。発作を起こしているときは、ケガをさせない環境にすること以外何もしてやれることがない。唯一できるのは動画を撮っておくこと。病院で症状を説明するときに動画以上の材料はない。苦しんでいる様子を撮影するのは本当に胸が張り裂けそうになる。感情を押し殺してさくらにスマートフォンを向けた。発作がおさまったところで、ゆっくり体をさすって「大丈夫よ」と声を掛ける。しばらくすると私の足を枕にして寝始めた。てんかんは一度起きるとまたすぐに発作を起こすことがある。もし夜中に発作を起こしたら「暗いー!隣にさやかがいないー!」と思うかもしれない(多分思わない)。部屋を薄暗くし、さくらの隣でパソコンをカタカタ。仕事も溜め込んでいたのでそのまま徹夜することにした。

治療3日目

 8月7日の朝、まだ寝ているさくらを起こさないようにそーっと寝床を抜け出しご飯作り。シリンジにペーストを詰めていると寝室から「ワン!」。さくらが起きた。昨日と同じメニューの中からさくらが選んだのはやっぱり焼き芋&甘酒のペースト。ササミペーストは半分ほど残した。マグロとアジは匂いを嗅いだだけでそっぽをむいたので、そのままラップに包んでジップロックに入れた。病院で食べさせてもらう用に、焼き芋ペースト、ササミペーストを追加で作って同じくジップロックへ。これを読んでいる方は「大量に作って冷凍すればいいのに」とお思いだろうが、さくらは温度や風味で食い付きが180度変わってしまう犬なのだ。以前手作り食を大量に冷凍したときは、自然解凍しようがレンジで温めようが湯煎しようが1袋も食べてくれず私が食べるはめになった。

 病院では先に療法食を食べさせてもらい、どうしても食べなかったときにこのペーストを使ってほしいとお願いした。初日、2日目と同じ治療に加えてこの日からてんかん治療の注射も始まった。本来であればMRIなどの精密検査を受けさせるべきだが、18歳という年齢で膵炎を発症している体にこれ以上の負荷はかけられない。「もし診断が間違っていても私の責任でいいです」。動画も見てもらった上で方針を決めた。

 夕方、治療を終えたさくらを迎えに行く。血液検査の結果を見せてもらったが症状は改善していなかった。看護師さんの腕の中でウトウトしているさくら。「病院でお預かりしている間にも、てんかん発作が起きました。てんかんの注射を打っているので少しボーッとした状態です」。さくらの体には力が入っておらず、今まで見てきた中で一番弱々しい姿だった。こんな状態で治療を頑張らせることが本当に正しいのか…。「さくらが苦しんでいたら安楽死を選択できる飼い主でありたい」と自分の中で覚悟を決めていたはずなのに、いざさくらを目の前にすると「まだ生きたいと思ってくれているんじゃないか」「また復活するんじゃないか」という希望を持ってしまう。自問自答しながら先生に「安楽死も考えた方がいいでしょうか」と聞いてみた。

 「うーん…その判断はまだ早いと思います。さくらちゃん頑張ってくれてますから」

 帰り道、罪悪感でいっぱいになった私は、助手席でぼんやり外を眺めているさくらを横目にボロボロと泣いた。

治療4日目

 8月8日の朝、夜中から早朝にかけててんかん発作が頻発していたためさくらも私もほとんど眠れていなかった。朝ご飯、トイレを済ませて朝イチで病院へ。先生にお願いし、さくらがゆっくり眠れるよう病院でもオムツを外してもらい、治療・検査以外の時間は酸素室に入れてもらった。私が倒れてしまえばさくらも共倒れになる。仕事の合間にアラームをかけて仮眠を取り、夕方またお迎えに行った。「今日は療法食を食べてくれなかったので、持ってきてもらったペーストのご飯を2回食べさせてます」。昨日と変わらずぐったりしていたが、ご飯を食べてくれていたことにはホッとした。しかしこの日の検査結果も改善は見られず、ヘマトクリット(血液中の赤血球の割合を表す数値)が31に下がっていた。犬の正常値は37〜55、それを下回ると貧血。老犬なので31でも普段ならさほど心配しないが、この状態での貧血は不安でしかない。「これ以上下がりませんように…」

 夜ご飯はあまり食が進まなかったさくら。少し寝たあとに「ワンワン」と鳴いた。もう一度ご飯をあげてみようと体を抱き起こすと、さくらのお腹からかすかにチャプチャプと水が動くような音がした。水を大量に飲んだわけでもないのに何の音だろう? 深夜なので病院はもう診療時間外。連れて行くなら夜間救急になる。今この状態のさくらを急患へ連れて行くべきか。元々病院嫌いのさくらにきょうも長時間の検査を頑張らせたばかり。急患へ行くなら高速を走っても片道30分、予約ができないため1時間以上病院の外で待つのはざらだ。帰ってくる頃には夜が明けている。その2〜3時間後にはまた病院…。覚悟を決めてそばで見守ることにした。

治療5日目

 8月9日の朝、急いで病院へ行き症状を説明をする。「検査のあとに治療もあるので、また夕方お迎えに来てください」。せめて検査結果が出るまで病院で待ちたかったが、この日も外部企業さんとの約束が入っていた。不安なまま打ち合わせを2件終えたところで病院から着信が入った。病院から預かり途中に電話がかかってくることなんて滅多にない。「さくらちゃんが吐血しました。ヘマトクリットも9まで下がっています。お仕事切り上げられるようなら、すぐに病院に来てください」。「わかりました、なるべく早く向かいます」。5分後には次の打ち合わせが始まる。今から延期のお願いをすることなんてできない。「さくら、頼む。私が行くまで死なないで」と願いながら打ち合わせに臨んだ。相手は長年の付き合いがある女性社長。平静を装っていたが「さくらちゃん元気ですか?」の一言で鎧が崩れ落ちた。情けないことに涙が浮かんでくる。事情を話すと女性社長は強い口調で「何やってるんですか!今すぐ病院に行ってください!さくらちゃんが今一番そばにいてほしい人はさやかさんでしょ!」。この社長は普段とても物腰が柔らかく、優しい言葉遣いをする人だ。私が病院へ行きやすいよう、あえて強い口調を使ってくれたのだと思う。打ち合わせを中断させてもらい、すぐに病院へ向かった。

 病院へ向かう途中、この社長からメッセージが飛んできた。
 「こんなときまで周りに気を遣わないでください。仕事は後からいくらでも取り返せます。大好きな動物のために起業したさやかさんが、一番大切にしなきゃいけないのはさくらちゃんです。とにかく今はさくらちゃんのことだけ考えて、よく寝てよく食べること。返信は不要です」

 プライベートなことを仕事に持ち込むのは社会人として恥ずかしいことだ。仕事をストップさせれば、周りの人に迷惑がかかる。頭ではわかっていても、さくらのために生きてきた私にはこの社長がくれた「逃げ道」が本当にありがたかった。

 診察室へ入ると奥の酸素室に横たわるさくらが見えた。先生から「検査の途中でさくらちゃんが血液を吐きました。エコーを見たところ胃の内部で出血しているようです」。お腹のチャプチャプ音の正体はこれだった。「今の状態でできる治療は胃の粘膜を保護する対処療法ぐらいしかありません。体調が戻って出血が止まってくれれば輸血という選択肢もとれますが…」。酸素室の中のさくらは呼吸が荒く、極度の貧血状態のため歯茎も舌も白くなっていた。私が触ってもほとんど反応しない。ほんの1週間前まで獣医さんと「ご飯もよく食べるし外も歩けるようになったんですよ」「あと3ヶ月で19歳、まだまだ大丈夫そうですね」なんて話していたのに、こんなことになるとは思ってもいなかった。

 酸素室の中にいるさくらはずっと目を閉じたまま、苦しそうに体全体で呼吸をしていた。酸素室の濃度が下がらないようすぐに小窓を閉める。お尻からは黒くて緩い便が漏れていた。「あぁ…もう限界なんだろうな」。そう思うと我慢していた涙が込み上げてくる。ウエットティッシュでお尻を拭いてもまた黒くて緩い便が漏れてくる。私は走って車に戻り、大声で泣いた。本当にさくらとお別れになるかもしれない。最後の最後にこんなに苦しめてお別れなんてイヤだ。まださくらと一緒にいたい。

 病院に戻ると何も言わずにそっとティッシュを渡してくれる看護師さん。「酸素室、好きなだけ使ってくださいね」。さくらは今何を望んでいるんだろう? 酸素室にいるのがラクなのか、自宅に戻りたいのか。そんなことを考えながらさくらを見ていると、またてんかん発作が起こった。一度では収まらず、数十分の間に何度もけいれんを起こした。私は見ていられなくなり「先生、さくらをこれ以上苦しめたくないです」。先生は「迷っているうちは安楽死を選択しない方がいいですよ、きっと後悔します」。目の前には苦しんでいるさくらがいる。まだ一緒にいたい。でもこれ以上苦しめたくない。もう何が正解なのかわからなくなった。

 私はもう一度車に戻り、仕事でお世話になっている獣医さんへ電話をかけた。症状を説明し、先生ならどんな判断をするか聞いた。「それ以上できる治療はないし、その状態だと持って2日だね。正しい判断をするのは獣医師じゃないよ。飼い主さんが下した判断がその子にとって一番正しい」。やっと心が決まった。

 「先生、さくらを連れて帰ります」。きっと、かかりつけの先生もさくらが長くないことはわかっていたと思う。「これ、胃の粘膜を保護してくれるお薬です。さくらちゃんが飲めそうだったら飲ませてあげてください」とシリンジに入った薬を手渡してくれた。「明日の朝も予約入れておきますね」。最後の言葉は先生の優しさだったんじゃないかと、今は思う。

お別れのとき

 さくらを連れて帰ると、もう日が暮れていた。目を閉じ、苦しそうに呼吸するさくら。水を飲むことさえできない。コットンに水を含ませて舌を湿らせる。あしたの朝までさくらの隣にいよう。さくらの寝床に一緒に横になり、頭を撫でていると涙が溢れてくる。最後の最後にこんなに苦しい闘病をさせてしまった申し訳なさと、ここまで一緒に暮らしてくれたさくらへの感謝で胸がいっぱいになった。時計が21:00を回った頃、さくらが大きな深呼吸をした。「さくら!さくら!」何度呼び掛けてもさくらは動かない。呼吸もしていない。胸に耳を当てると心臓も止まっていた。あれだけ「もう苦しめたくない」と思っていたのに、諦めの悪い私は心臓マッサージと人工呼吸を繰り返す。でも、さくらは戻ってこなかった。さくらの体に覆い被さるようにして泣いた。さくらはもうこの世にいない。現実を受け入れるのに時間がかかった。

 目と口を閉じさせ、脚を折り畳む。部屋の冷房を17℃に下げ、体の回りに保冷剤を敷き詰めた。最後の瞬間まで綺麗な体でいられるよう、お見送りの準備をした。

お見送り

 翌朝、火葬場に連絡を入れた。「もしきょう空いていれば火葬お願いします」。「14:30の枠が1つだけありますが、いかがですか?」。もっと遅い時間、なんなら明日以降に変更したい、という気持ちが出てきてしまい言葉に詰まる。「あす以降にされますか?」「いえ、きょうの14:30からお願いします」。苦しみから解放されたさくらを少しでも早く母犬の元に返してやりたかった。

 最後のお見送りはさくらへの感謝と愛情を思いっきり伝えよう、そう決めて花屋さんへ向かった。花屋さんに着くと「さくらはもういないんだ…」という現実にまた涙がこぼれる。30分ほど車から降りられなかった。泣き腫らしたぶさいくな顔で車を降り、花を選ぶ。犬にとって危険な花かどうかチェックする必要もない。私が思うさくらのイメージカラーはピンクだった。華やかに送ってやれるよう、ピンクベースの薔薇をたくさん買った。さくらの性格を表すような花はないか…スマートフォンで検索する。「デルフィニウム:あなたは幸福を振りまく」。たくさんの幸せを与えてくれたさくらにピッタリだ。よくよく調べると「傲慢」という花言葉も持っていた。これもさくらにピッタリ。「自由気ままに好き勝手に生きてほしい」と思いながら一緒に暮らしてきたせいで、こんな言葉が似合う犬に仕上がってしまった。でも犬なんてそれでいい。人間のもとに自ら望んでやってくる犬なんていない。その子にとっていかにイージーモードの犬生にしてやれるかが愛情だと思っている。

 手に持ちきれなくなった花束を一度レジに置かせてもらおうと店内を歩いていると、親友にばったり出会った。訃報を聞き、さくらのために花を買いに来てくれていた。

 「ここの花屋さんなら桜の木売っとるかなと思って」
 「8月に桜の木は売っとらんやろ」
 「そもそも誕生日11月なのに"さくら"って…」
 笑いながら2人でボロボロ泣いた。

 お昼過ぎ、さくらを乗せて火葬場へ向かう。予定より早く到着したため先に受付を済ませる。「さくらちゃんお預かりしておきましょうか?」「いえ、もう少し一緒にいたいです」。車に戻りさくらとの最後の時間を過ごした。冷たく硬くなってしまった体を抱き締める。「ありがとう」「苦しい思いさせてごめんね」という言葉が頭の中で反芻する。泣きながら何度も「さくら、ありがとう」と感謝の想いを伝え続けた。

 8月10日15:30、さくらは天に昇った。たくさんの花、お気に入りのクッション、大好きだったおやつと一緒に。

 「ママ、おやついっぱい持ってきたけん1つあげる」
 「いいよ、さくらが全部食べり」

 そんな親子の会話を想像しながら空を見上げた。

 帰り道は連休前でとても混んでいた。「早く帰らなきゃ…」。いつものクセで気持ちが焦る。ナビの時計を見た瞬間「あ…もうさくらいないんだ、早く帰らなくていいんだ」。寂しさと空しさでまた泣けてくる。私がさくらのことを笑って話せる日が来るのは当分先になりそうだ。

あとがき

 私と過ごした18年9ヶ月、さくらが幸せだったかどうかはわからない。さくらが天国で「幸せやったかはわからんけど、まぁまぁイージーモードやったよ」と母犬に報告してくれていたら、それだけで満足だ。

 さくら、私と一緒に過ごしてくれて本当にありがとう。
 私は世界一の幸せ者でした。


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