人を許すということ ネグレクトを超えて


最近、おみくじにしても、ふと目についた文字にしても

「人を許す」

という文字を見かけることが増えた

占いを読んだり、視てもらったりしてもそうなのだけど

ちょうど、言われたことを

ちょうど今、実感していたり、

ちょうど今、やっていたりすることが多いのだ



「人を許す」

ということを

私は一生をかけても

できない人間だと思っていたが

介護認定3の実の父や

介護認定1の義父母の世話を

するうちに

恨みつらみを返すことが

どうでもよくなってきている

そんな、自分がいることに気がついた



実家の両親とは

ほとんど会話というものがなく育った

父は朝早く出て行き、夜遅く帰ってくる

母はどれだけ話しかけても

返事がないことがほとんどで

言葉のキャッチボールや

考えの共有を経験するということは

皆無だった

私に初潮が来ても、

発育に合わせ、ブラジャーが必要になった時も

全く関わろうとはしなかったし

助けもなかったし

親身にもならなかった

でも、初潮が来たら

いつまでも、ちり紙やトイレットペーパーで

ナプキンを代用するわけにもいかない

小学生だった私は

目も合わせようとしない母に

思い切って言った

「ナプキンが欲しいんだけど」

どんな反応をするのだろう

喜んでくれるのか、それとも

やはり母は、目も合わせず、ニコリともせずに

千円札を一枚私によこし

「あそこの八百屋で買ってこい」

そう言った

仕方なく言われた通り八百屋へ向かう

田舎の八百屋なので、店頭には野菜が並び

店内には日用品が置いてあるような

雑貨屋だ

学校で見せてもらったナプキンのパッケージの

記憶を辿りながら店内を探す

すると、一番奥の突き当たりに

ちり紙と一緒に積んであるのが見えた

レジに恐る恐る持っていくと、顔見知りの店主が驚いた顔をして

「ちーちゃんが」深刻な顔で言った

うちに帰ってすぐに開ける

しかし、種類を選ぶような余裕がなかったため

2センチも厚みがあるんじゃないかというような

大型のナプキンを買ってしまった

でも、下着に血がつくよりはいい



子供の頃の、生活全てがそんな感じだった

ニコリと笑いかけられたこともなければ

優しい言葉をかけられたこともない


大人になってから

他の兄弟も「褒められたことがない」と言うのを聞いた

でも

子供のころは、どこの家でも同じようなものだと思っていたから

悲壮感がなかったことは幸いだった

友達の家へに行くことも禁止されていたから

よその家の生活レベルも知らなかった



大人になりようやく、そのような体験談を

ぽつりぽつりと話せるようになった

知り合いは、驚いた表情で言った



「それって、ネグレクトだよ」



子供の頃はわからない

子供には親を訴えられないし

人に言いつけることもできない

優しくされなかった自分が悪いのだと

自分を責める癖が染み付いた

パニック障害は今も治らない


結婚し、子供ができてからは

母の態度が一変した

生まれた孫に向かって「大好きだよ」と言っている

みるみる若さも蘇ってた

その代わりように

私たち兄弟は目を見張った

そんな、普通の母親のような言葉が言えるんだ

そんな、普通の人間が言うような言葉が口から出るんだ

母が、自分の生んだ子供に優しく接する姿を見て

私は、自分のことのように癒されたが

私が子供だった時間は帰ってこない

なぜ、あれほど冷たかったのか

なぜ、あれほど憎まれなければならなかったのか

死ぬ前にしつこく聞いてみたかったのに

母の死はあっという間で

そんな時間さえ与えられなかった



残された父も、すっかり大人しくなり

私に罵声を浴びせ続けたあの姿は

見る影もなくなった

私の顔を見ると、狂ったように罵声を飛ばした父

嫌がるとさらに面白がって

さらに笑いながら罵声を飛ばした

そこで私が泣いても、また笑い飛ばすのだろう

何だろうこれは

何だろうこれは

私はどこで弱音を吐いたり

甘えればいいのだろう

何だったのだろう

あの醜態は

どうしてあそこまで傷つけられ、馬鹿にされ

苦しめられなければならなかったのか



母が亡くなり

残された父は「要介護3」がつき

自由に歩くこともできなくなった

罵声を浴びせる元気もないのか

すっかりおとなしい老人となった

一つ下の弟と一緒に父の世話をする

やはり、父が死ぬ前には

どうして、あんなに酷いことを言い続けたのか

キツく問いただしてやろうと思っていた

しかし、

ご飯を作って食べさせたり、

オムツを替えたりと

下の世話や、

着替え、

髪を切ったりしているうちに

そんなことが、どうでもよくなってきた

父の食事を用意して、エプロンをかけ食べさせる

自分も父と一緒に食べる

それだけで、いいのではないかと思えるようになった



私の生活を父親らしく、ぽつりぽつりと心配するようになった父

痴呆が頭を占領しているだろうに

正気に戻ったタイミングで親らしいことを言ってくる

こっちの生活も、義父母の痴呆が進んでいるし

病院にも行っているし、

ヘルパーさんたちによくしてもらっているけど、周りには

迷惑ばかりかけているよと、思い出しながら話すと

わかっているのかいないのかわからないが

そうかと相槌をうつ

そういう時間を一緒に過ごすだけで

いいのではないかと思えるようになった

私のパニック障害は

いつ治るのかアテもなく

気が狂いそうな日も度々ある

人には理解できないようないくつもの制限があるため

生活に支障をきたすことも度々だ

息子を遊びに連れていけない場所も多いが

こんな私でも

息子は慕ってくれるし、大好きでいてくれる

息子とは生まれた時からお喋りをたくさんして

馬鹿笑いし合いながら暮らしてきた



世界中にたった一人でいいから

私のことを、大好きな人がいてほしい

世界中にたった一人でいいから

私のことを、大好きな子が生まれてきてほしい



神様は

見事にその願いを叶えてくださった



特別に何処かへ行かなくても

それで充分だと思う

経験したことは人に話せる

知っている痛みは、理解することができる

長年、

積もりに積もった恨みは

晴らさなくても

ここにきて

穏やかになっている自分に驚く

あんな親を、介護するとは考えられなかったが

介護し続けていることがいいのかもしれない


やり返さずに淡々と介護する自分を褒めたい

今はただ、

こころ穏やかに過ごせる日々が愛おしい



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