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コンテンツ飽和時代の逆をいくノベルゲームというジャンル【国士舘アニ研ブログ】

こんにちは。鯖主です。
コンテンツ飽和時代と合わせてノベルゲームについて色々と書いていきます。いつものノベルゲーム布教です。
今回は普段触れていないジャンルについても触れているので、いつもに増して粗が多い可能性があります。また、本記事にノベルゲームをネガキャンする意図はありません。

さて、現代は主にインターネットを中心に日々様々なコンテンツが発信され続け、それに伴い消費者も取っかえ引っ変え様々なコンテンツに触れている訳ですが、ノベルゲームはそんな時代とは見事に真逆の性質を持っています。

まず、時間の観点から書いていくのですが、そのためにノベルゲームと他の物語を描く媒体の中でも代表的なものを、ひとつの作品を完走するために必要な時間で比較してみます。どの媒体も作品毎の差が大きいので何となくの中央値での比較です。正直あてにならない。

ノベルゲーム:20-40時間
小説    :2-3時間
映画    :1.5-2.5時間
漫画    :5-10時間
テレビアニメ:5時間
テレビドラマ:10-15時間

比較をシンプルにするためにノベルゲームは商業作品、デレビアニメ・ドラマは1クールの作品とします。 また、小説にネット小説は含みません。

さて、このまま比較について書いても良いのですが、ここから「時間に対する進行度」も加味していきます。「時間に対する進行度」を説明する例として『暗殺教室』から原作である漫画版と、その漫画と大体同じ物語のまま進行したアニメ版を挙げてみます。『暗殺教室』は原作が全21巻、アニメ版は全47話で完結しており、漫画1巻分を読むために必要とする時間を20分、アニメ1話分を視聴するために必要とするを25分とした場合、それぞれが完走に必要とする時間は漫画版が約7時間、アニメ版が約20時間となります。この差が「時間に対する進行度」の差となる訳です。
そして、この例と同様に漫画という媒体は他の媒体と比べた時に時間に対する進行度が早い傾向にあります。すなわち漫画は、いわゆるタイパが優れている媒体と言えるでしょう。

このコンテンツ飽和時代では、このタイパ(タイムパフォーマンス)が重要視される傾向にあります。限られた時間の中でなるべく多くの作品に触れるのであれば確かに重要でしょう。倍速視聴がその典型例ですね。倍速視聴についても色々書きたいことがありますが、それは別の機会に。

少々話が逸れましたが、先程の比較に時間に対する進行度も加味してみます。要はタイパの良し悪しの比較なので、比較する項目もタイパの良し悪しに変えます。

ノベルゲーム:悪い
小説    :それなりに良い
映画    :良い
漫画    :とても良い
テレビアニメ:普通
テレビドラマ:普通

正直、こんなことはあまり比較するものでも無い気がするのでツッコミどころ満載になってしまいますが、大体このような感じになるのではないでしょうか?

ということで見ての通りノベルゲームがコンテンツ飽和時代に逆行している要素のひとつが時間です。完走まで時間の比較の時点から頭ひとつ抜けて長かったですが、それに比例してタイパの悪さも結構なものです……。

もちろん、この時間の長さがシナリオに活かされているノベルゲームも沢山ありますし、この尺の自由さはノベルゲームの強みでもあります。自由な尺の中で良い物語を描こうとした結果、これだけの尺になったのか、あるいはノルマとしてこれだけの尺を描いたのかは定かではありませんが、さすがに前者でしょう。
また、他の媒体で長い尺の物語を描こうとすると、テレビアニメ・ドラマでは各話毎、漫画や小説では各巻毎に話の切れ目ができてしまいますが、ノベルゲームはその切れ目を作らずに物語を進行させる事が可能であり、膨大な尺を切れ目無く読み進められるという点でも代えが効かないと思ってます。
コンテンツ飽和時代に逆行している要素のひとつであるのは確かですが。

続いては値段について。
これも先程のように1つの作品を完走するために必要とする金銭的コストで比較してみます。ここでは一般的かつ合法的な手段の中で最も安い方法を選びます。例えば映画であれば劇場ではなく定額制サービス(サブスク)を。

ノベルゲーム:普通-高い
小説    :やや安い-普通
映画    :安い
漫画    :無料-普通
テレビアニメ:安い
テレビドラマ:安い

『少年ジャンプ+』のような無料サービスが漫画ではかなり主流みたいなのでこうなりました。強い。

やはりサブスクが主流となっている映像媒体は安くなる傾向にありますね。サブスクでなくとも、普通にテレビ放送がありますし。テレビ放送もある意味ではサブスクですね。

既に自明な話ではありますが、サブスクはコンテンツ飽和時代の象徴的なサービスでもあります。金銭的にも時間的にも有限であったコンテンツ消費ですが、数多の定額制サービスやYouTubeなどの登場・発展によって金銭的な制約はほぼ無くなり、「有限な時間」という制約だけが残った結果が今のコンテンツ飽和時代では無いでしょうか。

さて、話を戻すと実はノベルゲームにも定額制サービスが存在します。そんな中でノベルゲームの金銭的コストを「普通-高い」としたのには理由があり、それは単純にノベルゲームのサブスクが普及してないからです。データは無いのですが少なくとも私の周りでは利用者をほとんど見かけません。ですのでノベルゲームは今でも買い切りの作品を買う方法が主流です。この買い切りという購入形式もコンテンツ飽和時代逆行ポイントではないでしょうか。
サブスクであれば作品に触れるだけ触れて、自分に合わないと感じたらその時点で別の作品に移る、なんてことが軽く出来てしまいますが、買い切りの場合はそれが出来ないことは無いにしろ、金銭的には勿体ないことをしている訳で、安易にはできないのではないかと思います。アニメで言えば定額制サービス登場前から「1話切り」だとか「3話切り」のような、それなりに安易な視聴中断ワードが存在するくらいなのでそれも理由のひとつでしょうか。一応、体験版がほとんどの作品にありますが作品の続きが気になった場合、サブスクがただ継続していけば良いのに対して、買い切りはそこからその作品を購入する必要があるので作品を完走するハードルが更に高くなってしまいます。書いていて思いますがサブスク強すぎませんか?

最後に手軽さについて。
これは作品に触れるハードルと言い換えても良いでしょう。まずは例のごとく比較をします。比較項目もそのまま作品に触れるハードルの高さにしましょうか。そもそも購入しないと始まらないので先程の比較と類似するような気がします。

ノベルゲーム:やや高い-高い
小説    :普通
映画    :かなり低い
漫画    :低い
テレビアニメ:低い
テレビドラマ:低い

これもやはりサブスクが強いですね。完走するハードルであればいくらか変わりますが、今回は作品に触れるハードルだけなので。中でも映画は消費時間が特に少ないのでとっつきやすいのかなと思います。
この記事の冒頭で「現代は主にインターネットを中心に日々様々なコンテンツが発信され続け、それに伴い消費者も取っかえ引っ変え様々なコンテンツに触れている」と書いたように、コンテンツ飽和時代は作品への興味が無くなれば、すぐに別の作品へと興味が移り変わっていきます。その一端がこの作品に触れるハードルの低さではないでしょうか。理由としては先ほど述べた金銭面だけでなく、映像媒体の大半や漫画はスマホによって場所を選ばずに視聴・購読(先述したように買わずとも読めますが)できるため、非常に時代と噛み合っている、という点も恐らくあるでしょう。少し前はこの役割を紙媒体の小説や漫画が担っていたような気がします。
このサブスクを筆頭とした金銭的制限のないコンテンツに溢れたサービススマホの組み合わせがコンテンツ飽和時代へと誘った最大の要因と言っても過言じゃないと思います。

(話を戻して)対してノベルゲームはというと、スマホや携帯ゲーム機でプレイできる作品も一定数存在するものの、主流はPCなので基本的にプレイするならPCが開ける環境である必要があります。スマホと比べたらどう考えても場所を選びます。
また、他の媒体が購入後にすぐ作品に触れられるのに対してノベルゲームはゲームですのでインストールの必要があります。それもギガ単位のデータをインストールするのでまあまあな時間かかります。このインストールしている時間がわくわくできて良い、という人も。わかる。
更に言えば絵面が変わらないので分かりやすい面白さが無かったり、やはり物語としてかなり長い傾向にあったりとプレイ中の挫折要素もぼちぼちあります。もちろん、ちゃんと面白い作品であればあまり気にならないとは思いますし、その面白さを持つノベルゲーム作品は沢山存在しているとも思います。でなければ今頃シナリオ重視のノベルゲームは淘汰されているのではないでしょうか。

ということでコンテンツ飽和時代とノベルゲームの話でした。
コンテンツ飽和時代に疲れてきた方は、是非一度ゆったりとノベルゲームをプレイしてみてはいかがでしょう?

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