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仮想リスク

2月の終わりのある日に東京に引っ越すことを決めた。

長く考え続けていた訳でもなく、友人と話したたった30分程度の時間で決めた。

まとまった貯金もないけど、今できることに集中すれば、パソコン一つでなんとか毎月10万円くらいなら生み出せるだろうと考えた。

逃げることができないようにその日のうちに1ヶ月後の3月31日に退去する旨を不動産屋に電話した。そして今日3月5日、ピックアップしたいくつかのシェアハウスの内見に回るために東京に来ている。今は日暮里のモスバーガーだ。

こういうことをするのは3年ぶり、二度目のことだ。

その時もお金がなかったけれど、なんとかなるだろうと根拠のない確信があった。そしたら交通事故にあって、慰謝料が入ってくるというシナリオを神様なのか宇宙なのかが与えてくれて(死にかけたから正直こんな荒療治は二度と御免だが)目的は結果的に達成された。

今はネットがあるから、何かを始めるために場所は関係ないと聞く。

たしかにその通り。ただ、同じ環境(場所、友人、コミュニティ)に居続けながら進化するのはなかなか難しいと感じる。

もちろんそれができる人もいるし、逆に目的もないのに場所だけ変えても意味がないこともわかる。

私のような、目の前の課題から逃げることができない環境を作らないと重い腰が上がらないような「自分に甘い人」には環境の変化が効果的だ。本気でやらないと生活できなくなるから、そのくらい追い詰められればいくら私だってやるだろう。

幻冬社の編集者であり幅広く活躍されている箕輪さんがある番組で、突き抜ける人とそうでない人の違いは「身を削ることができるかどうか」

つまりリスクを取れるかどうかだと話していた。

印象深かったのは「そのリスクも仮想なんですけどね」と言っていたことだ。

リスクなんてものは本当は存在しなくて、そう思い込んでるだけ。私なんて本当にそれがわかりやすい例だ。失うものなんて何もない。

逆にリスクがあるとしたら、このまま何もしないことだ。

私はもう若くない。土台作りを始めて、何か価値を生み出していくプロセスを組むためにはギリギリの年齢だ。

会社員・マッサージ・エロ・FX・仮想通貨・・・・私を取り巻くバラバラの点のつながりをいつか感じることができるのだろうか。

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