出雲大社、遷宮の前と後
昭和28年の平成の遷宮から60年、平成の遷宮が平成25年(2013)行われました。昔の話になりますが、神様を仮殿に移したあと、少しの期間ですが御本殿を見学することができました。
御本殿内部にはいることは出来ませんが、階段を上り、外周を歩いて、開放された場所から内部を見学することができました。
御本殿天井には「八雲の図」が描かれているのですが、実際は七つの雲が描かれています。『何事も完成すれば衰退するのみ、まだまだ未完成で、神のご威光も、この世界も無限の未来へ広がってゆく…』との理由で未完成にしてあると説明を受けた覚えがあります。
その「八雲の図」は描かれてから一度も塗り直しが行われていないにも関わらず大変に鮮やかだったのが印象的でした。次の遷宮の時には生きてはいないと思うので二度と見れないのが残念です。
また、遷宮の10年くらい前まで出雲大社は、長期に渡り発掘調査も行われていました。還暦以上の方々は、幼少の頃から拝殿から御本殿前迄常に壁に覆われていた為に直接参拝が出来なかったようです。
発掘調査が終わり、拝殿からのみではなく本殿前まで行けるようになり、参拝も両方でできるようになりました。そして遷宮と続きました。
見た目の雰囲気が変わったからとゆうだけではなく遷宮以降、明らかに大社さんの持つ雰囲気が変わりました。遷宮の目的は技術の継承の他「神の力」を新たにしていく必要があるからとも、神様自身の若返りをはかるためとも言われています。
個人的には同じ神様が若返ったという印象は持てませんでした。そのことをTEAMスピの友人に話したのです。曰く、同じ頃大国主様が代替わりをなさったらしいです。
以前は、松平健さんの様な方な大国主様だったらしいのですが、現在の大国主様は福山雅治さんの様な方らしいです。思い浮かぶ奥様の顔も違います。
ところで、遷宮とほぼ同じ時期、出雲大社の権宮司である千家國麿さんが、高円宮典子様とご結婚されました。以降急激に大社さんに兎の石像が増えました。
伯耆及び因幡人にとって兎と大国主様がセットになる場合、お相手は八上比賣さんです。大国主様の最初の奥様ですが、正妻となった須勢理毘売命の嫉妬を恐れ、生まれたばかりの子を木の俣に挟んで因幡の国へ帰ってしまうのです(以下自粛)。
余談ですが、國麿さんは、大社高校の出身です。
TEAM スピの友人が言った様に神様が代替りをしたかどうかは判りませんが、遷宮前と後では持っている雰囲気が全く違うお社になったことは間違いありません。以前のピリッとしたお社の雰囲気を感じれることはもうないと思うと残念です。あの雰囲気も嫌いではなかったです(笑)。
あっ、大国主様に会いに大山ある大神山神社さんに久しぶりに参拝するのも楽しそうです。一説によると、国譲り後、大山で隠居生活をされているらしいです。緑に囲まれた素敵なお社です。
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