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『Colored SHOOTERが出来るまでの話』人生釣り三昧#72

車のライトをいじって光り方や色を変えたりする人はよく見るのですがウィンカーの光り方だけを異常に強く発光するようにいじっていると思われる軽自動車に出くわしてフラッシュの猛攻を受けたかずおかです。

#強光で点滅するのは反則

さて。

今回は『Colored SHOOTERが出来るまでの話』というタイトルでお話ししたいと思います。
(以下:Colored SHOOTER→カラードシューター)
このネタで一記事は余裕で書ける程度には色々あったので表で話せる部分だけでもお話ししていきます。

それではよろしくお願いします。

▼理想と現実の妥協点▼

そもそもカラードシューターが生まれたきっかけは4年前。
僕がまだ入社1年目で関西支店にて営業をしていた頃です。

その頃、愛知県を担当していた営業と企画担当の方が伊豫部さんのお店を訪問し色々と打ち合わせを行い、その時に出てきたのが「lb(号数)別にカラーが違うラインがあったらいいのに」という言葉でした。

色付きライン自体はサンラインの得意分野でもありバスラインに絞っても「BMS AZAYAKA」や「インビジブル」といった複雑なマーキングラインを展開しています。

BMS AZAYAKA(ビーエムエス アザヤカ)
INVISIBLE(インビジブル)

単色でもマシンガンキャストのように色が付いたラインがありますが伊豫部さんが描いていた完成イメージはこれらの製品と全く異なる物でした。
先ほども書いたようにカラーはlb別に違うのです。

12lbが赤なら14lbは青といったように号数ごとに色を変えてしまおうというわけですね。
確かにバスプロとして活躍する方々だけでなく一般的な方々でもバス釣りをそれなりの年数しているアングラーというのはタックル数が多い傾向があります。

似たようなタックルでもラインのlb数だけが違うといったような細かいタックルセッティングが行われるのも日常茶飯事。
そんな時に号数シールをリールに貼っているという人もいるけど「リールにシールは貼りたくない」という人もいるでしょうしシールが剥がれることもあります。

なによりリールの置く位置や角度によってはひと目で分からない。

そこでライン自体を染色しそれがlb数ごとに違えば水上でもパッとひと目見て号数が分かるじゃないか。
ということですね。

ちょっとラインの説明が長引きましたがそんな感じのコンセプトです。

ただその時は前述したように僕は営業だったので話をチラッと耳にしただけで直接的に自分が絡む企画になるとは思ってもいませんでした。

そこから半年後くらいでしょうか。
予想していたより遥かに早く企画業務部への異動が行われました。

アパレル・グッズ類の企画を主に見据えながらもその傍らで淡水ルアー(バス・トラウト)関連の販促系についても携わるようになり、伊豫部さんと交わる機会が生まれました。

ライン企画の発案以降、技術的には難しい事ではなかったので数回サンプルを作成しながら色を調整したり強力の変化を確認したりと企画自体は進行していたようです。

ただ、社内的には「どう売っていくのか」「どう展開するのか」の部分が一番のネックとなっていたのかアクセルを踏み切れない感を強く感じました。
企画として進んでいるけど進まないといった状況ですね。

・ベースラインとなるシューター自体が大量生産するラインでもなく高価な部類のフロロラインであること。
・今の市場に根付いた固定概念が故にカラー付きという時点でクリアラインの売れ行きを上回る事は基本的にあり得ないということ。

これらの要因が生み出す制限がアクセルを踏み切れない一番の要因だったのかと思います。

仕事をしていると理想と現実の狭間でどこまで妥協できるかという部分で悩むことはよくあって、妥協というと聞こえは悪いですが凄く大事な事です。
理想の追求もどこかで折り合いをつけて節目ごとに着地していかなければただの自己満足、会社という組織で考えると果て無き理想の追求は誰も救わず社員の首を苦しめるばかりになってしまいます。

今回のこの企画もお互いが納得する妥協点を見出すことがまず最優先だと感じ、(そうしないと企画自体がボツになりそうな雰囲気だったので)色々と考えた結果タイミングにも恵まれ「45周年記念モデルとして発売するのはどうか?」という結論に辿り着きました。

▼いくつかの分岐点▼

社内的にも「それならアリかも…」という雰囲気になったところで伊豫部さんとの撮影時に「あのラインの事なんですけど、45周年が近いのでそこに充てた限定生産モデルとしての展開はどうですか?」と相談し納得していただきました。

それであれば売る為の号数(4lbとか)を無理に追加する必要もなくなるしそういった路線に企画ごと持っていく事が可能になるわけですね。
号数も伊豫部さんが主に使う号数という事で12~20lbの5号数という事になりましたがこれも後々の事を考えれば何かと都合の良い展開数だったと思います。

あとは規格を進めやすいように社内での環境整備が必要だったのですが、周年記念という要素を含める上で「ただ色が付いたラインを売る」というのは容易ではないと誰もが思っていたと思います。

ベースラインがシューターという事もあったので機能的な部分は早めに決まっていたしそこへの信頼は問題無かったのですが圧倒的に「意味」から生まれる価値が足りてなかったんです。

そこの意味をいくつか盛り込む必要性が求められる以上、通常の販売経路だと採算度外視どころかただの赤字。
それは会社の取り組みとして良くないと僕は思うので半ば強引に営業陣を説得して直販で売ることにしました。
(本当に直販に厳しい特殊な業界だと改めて思いましたね…)

ここに至るまでにも色々ありましたがこの時点で個人的には「アクセルを踏み込める環境が整った」と思えたので迫る45周年に向けてアクセルを踏み込みます。

まずパッケージは通常のプラパッケージではなく専用化粧箱を用意すること。
さらにそのパッケージにサンラインプロスタッフのサインを入れる。
この2点を決めました。

サインアングラーとして採用した5名も必然的に「この5名になるよね」とういところであっさり確定。

それぞれの方々にサインを依頼してパッケージを仕上げていく一方で、ラインの最低生産数的なものが影響して全てを単品で売るとなるとそれなりの数量になることが予想されました。

そこでアパレル・グッズ類を担当していたという事もあり進行中の企画から派生として使えそうな物を同じく限定仕様にしてセット売りを組むという流れに。
(営業陣を説得する段階で可能性としては視野に入れてましたが自分の中でハッキリと決めたのはこのタイミングでした。)

そんなこんなである程度全ての物が形になっていき、連動していく販促計画についても大枠の方針が決まり2022年を迎える頃、自体が大きく急変しました。

あえて名前は挙げませんがサインアングラーとして起用予定していた方が突如、契約を終了する可能性が出てきてしまったのです。

会社ともそれなりの長く濃い付き合いがある方だったのでまさか契約終了になるとは思っていませんでしたが怪しい気配が漂い始めたので実際に交渉を行う上の方々にも「ここで辞めるのはプロとしてどうなんです?」という事を含め色々と考えを伝えましたが流石に直接は言えなかったと思います。
(対面できたのなら言わせてほしかった)

それでも心のどこかでは「このタイミングだけは絶対に無いな」と思って待っていましたがそのまさかの結論に至りました。

既に完成していたパッケージとアパレルでもサインをデザインとして取り入れる予定だったものを一旦取りやめて急遽代役を探すことに。

現時点で既に決まったこのメンツに肩を並べれるだけの人間というのはパッと出てくるわけもなく不本意な妥協点を探す事になるか、と覚悟した矢先一筋の光が差します。

これは本当に奇跡的な展開だったと今でも思います。

長きに渡りアメリカのバストーナメントシーンで活躍しつつも昨年亡くなられたAaron Martens(故アーロン・マーティンス)さん。
彼のご家族と彼のためにも何かしら形に残る物をサンラインとして作れないかという声がサンラインアメリカを通して彼の奥さんから届いているという話を聞き、これ以上の代役というか適任者はいない!と思い即決断しその役割を担ってもらうことになりました。

これが数日以内に決まったのは不幸中の幸いとしか思えませんでしたね。

▼最高峰のラインを使わせない▼

そんなこんなで紆余曲折しながら今回の形に着地したわけですが序盤にも話したように最高峰のラインをベースラインとして採用しながらも「これは使えない」と思えるほどの「意味」からくる価値を捻出することとの戦いでした。

実際にそこまでの物になったかどうかはお客さんが判断することになりますが周りの声や画面上の声を見てもその辺は狙い通りになったのかなと思います。

保存用、観賞用といったような複数買いも多くみられました。
勿論それも嬉しいのですが製品としてのクオリティも当然高いので半年~1年くらいかけて売るくらいの量はありますし是非使ってください。笑

色々考えてそのように仕上げましたが、別にそんなことせずいつも通り普通の製品として仕上げて売るのは営業に任せて売れたら万歳、売れなかったら数年後に廃盤にして処分というやり方にするというのも一つの方法でした。

それでも今回の企画をここまでにしてみたのには色々理由があって一番は「50周年」を見据えた予行演習です。

50周年というのはこれまでとは明らかに重みが違うというか会社としても「派手に、華やかに、盛大に」盛り上げたい大きな節目になると思います。
ジャンル構成比の中でも大きい磯市場とバス市場はそれなりに期待されてほしいし、その期待を超える企画を考えなければならないでしょう。

国内市場自体は緩やかに、確実に縮小していく中でどれだけ「派手に、華やかに、盛大に」を意識した企画が実行できるかは分かりませんが初めての周年企画がそこは流石に無謀だなと…
特にバスジャンルは毎回周年記念に絡めた企画を行っている訳でないので余計に「現状の立ち位置の把握」をしておきたかったんです。

売れる売れないがどうでもいいわけではないし当然、売れた方が良いけど「50周年の布石」としても捉えているというわけですね。
ここで培った経験も市場の反応も全て財産であり50周年の布石だったと言えるようにしたいと思います。

5年後も同じ会社の同じ部署で働けているかは分かりませんが…
むしろそこが一番心配なところかもしれません。笑

兎にも角にも既に発売したカラードシューターですが僕自身これはあくまでも現在の環境と与えられた時間で生み出した最適解です。
「ここはもっとああすればよかった」と思う部分も山ほどありますがそういた悔しさやもどかしさも含めて全て5年後に取り返します。

そんなこんなで今回は『Colored SHOOTERが出来るまでの話』というタイトルでお話ししました。

カラードシューターはセット品も含め発売中ですのでお求めの際は「サンラインショップ」をご利用ください!

SNS含め色々な媒体で発信していますがどれも写真で見る以上に現物は凝っている感を感じてもらえるかと思います。

それでは今回はこの辺で。

でゎでゎ。

12lb(レッド) 並木敏成
14lb(グリーン) 故アーロン・マーティンス
16lb(ブルー) 伊豫部健
18lb(イエロー) 下野正希
20lb(パープル) 大森貴洋


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