見出し画像

『着地点を見出す難しさ』人生釣り三昧#73

寺田心くんがしばらく見ない間にカッコよく成長していると話題になっていたのでどんなものかと調べてみたら想像の250%増しくらいでカッコよく成長していて驚いたかずおかです。

#鈴木福くんのような幼少期の面影が彼にはない

さて。

今回は『着地点を見出す難しさ』というタイトルでお話ししたいと思います。
2週に渡ってお話しした「カラードシューター」についての話にも通ずる話ですが、僕がnoteを書き続ける理由なんかも関係するお話です。

それではよろしくお願いします。

▼毎週noteを書き続ける理由▼

数年前からでしょうか、フェイスブック→インスタグラム→Twitterの順に個人発信を目的とするSNSとは徐々に距離を置くようになりました。

理由は色々とありますがしばらく前にnoteでも書いたようにあくまでも発信媒体が持つ力というのは瞬間風速力に優れた「ブースター」的なものです。
そのプラットフォームが持つ「バズるルール」みたいな計算式に自身のコンテンツを上手く当てはめていくゲームみたいなものと捉えています。

SNS普及初期の時代であればこのゲームの攻略法さえ押さえておけばコンテンツのクオリティを難しく考えなくてもそれなりの数字が取れたと思いますが今では確かな能力を持った人が流れ込んできてしまいそれだけで通用するほど甘い世界ではなくなりました。

故に本質的な本人の能力である「持続的能力」が未熟なままだとどれだけSNSを上手く使っても跳ね上がりません。

よく分からない人は一度過去に書いた記事を見ていただくのが早いかと思います。

結局、先ほど名を挙げたプラットフォームだと本人の「持続的能力」を磨くことより目先の数字欲しさにそのプラットフォームの攻略法にばかり力を注ぎがちになります。

「そんなことはない」と反論したい気持ちも分かりますが多分そういった発信を続けている多くの人がコンテンツが伸び悩んだ時に「いいねが伸びる投稿時間」とか「投稿頻度」とか「ハッシュタグの使い方」とか一度はググったことがあると思うんです。

数字が取れることにも本人の能力は多少含まれるんですがどうしてもそのプラットフォームで定められたルールというのが縛りになります。

Twitterであれば文字数、インスタグラムであれば写真数といったような制限がありそれぞれのユーザー層からくる世界観だったりも違います。
数字が欲しければまずはそのルールと世界観に自分を合わせる必要性が多少なりとも出てくるわけです。

その点noteのようなブログ系プラットフォームはコンテンツに対しての縛りが少なく一番「持続的能力」を磨くのに適した媒体だと捉えています。
コンテンツとしての縛りが少ない(出来る事の幅が広い)ので自分流にルールを決めて発信することも可能です。

最悪プラットフォームが閉鎖してもブログだと似たようなプラットフォームがいくつかあるので直ぐに乗り換えて自分流のルールでまた再開することが出来ます。

これがインスタグラムやTwitterだとそうはいきませんよね?
世界観がプラットフォーム単位で違うのでユーザーの属性も大きく異なり、そのルールと世界観に自分を合わせてしまっているとプラットフォームが変わった時に違和感が生じてしまいます。

もし明日インスタグラムが無くなってもすぐにTwitterで同等の発信や能力を発信し続けれるのであればそれは十分な「持続的能力」を持っていると言えるでしょう。

話は戻りますが僕は自分流のルールとして「継続できる」というのを最優先に置きつつ、ある程度の流れと構成を考えて書き進めないと話が薄くなるorまとまらない、合わせて「着地点」も考えなければならないという文章量を自分の中に設定しています。

その文章量というのが大体3000~4000字程度の記事になっています。
(たまに熱が入って5000字前後になることもありますが…)

これは5~10分程度のプレゼンも意識していて、仕事で似たような時間を使って思いを伝えられるようになるためのトレーニングだったりもするわけです。

規制が年々厳しくなっているとはいえ、プラットフォーム内での表現に幅があるとすればあとは動画コンテンツ(主にYouTube)ですかね。
こちらは演者としての能力を磨くのにはうってつけなんですが編集系の裏方作業にも力を入れだすとあまりにも可処分所得時間を奪うので僕はよほどの勝ち筋が見えるか「このやり方なら面白そう」という気持ちにならない限り熱を入れて取り組むことは無いかと思います。

そういった理由で僕は文章を書き続けています。

アメブロからnoteに切り替えて約2年半。
「ざっくり週一投稿」から「必ず週一投稿」に切り替えて約1年半。

「継続は力なり」とはよく言ったもので今ではこの周期でこの内容の記事を投稿することもそこまで苦ではなくなりました。

自分の文章力や表現力を振り返る上でもブログコンテンツは過去を振り返りやすく良いなと思う事が多いです。

▼企画力にも通ずる着地力▼

さてさて。

前置きがかなり長くなりましたが改めて今回のタイトルは『着地点を見出す難しさ』です。

先ほど長々と話した中にも含まれていましたが、物事を着地させる力。
要するに「着地力」についての話です。

これを磨くためにnoteを続けているという一面も少なからずあって僕が書くような内容・文章量だとかならず話の着地点が求められます。

大体「書こうと思えばまだまだ書けるけど、このぐらいの範囲で一旦まとめないと読みにくい(伝わりにくい)よね」と思いながらその都度一旦着地させるわけです。

これは企画力にも通ずる話だと思っていて「企画力」というのは分解していくと「発案力」「実行力」「着地力」という3つの要素に分けられると僕は考えています。

まだまだ解像度は低いのでそれぞれを解説してお話し出来るほどではないのですが「終わり良ければ全て良し」とはよく言ったもので兎にも角にも大きな企画や長い物語を作るほどに重要になってくるのが「着地力」

企画力というと生み出すこと(発案力)や実際に進めること(実行力)に目が当てられがちですがそれ同等に大事なのが「どうまとめるか、どう締めるか」の部分です。

規模としては小さなものですが他のSNSに比べるとブログというのは少し深いレベルでこれらの要素を磨きやすいのかなと実際に書き続けていて思います。

▼着地力を磨いていく▼

といった感じで今回は「着地力」にフォーカスを当ててお話ししていますが「カラードシューター」の企画なんかがまさにそれで色々と紆余曲折しながらもその都度判断し、着地点を見出してきました。

こういった仕事に携わる人なら共感してもらえるかと思いますが物事を綺麗に着地させるのって想像以上に難しいんです。
一つの物として完全に区切らず、次に繋げることまで考えるとさらに難易度が上がります。

そして難易度で言うと規模の大きさにも比例しているので規模の大きいことをやろうとすればするほど綺麗に着地するのが難しくなります。

1mの高さから飛び降りて狙い通りの場所に着地するのは簡単ですが10m、100mと飛び降りる高さが高くなるほど準備や装備も必要となるし天候や障害物(建物や鳥)といった外的要因の事も考えなければならなくなる。

といったように考える事が比例して増えていくんですね。

だからこそ「アラバスタ編」「マリンフォード頂上戦争編」「ワノ国編」といったようにそれぞれを区切って見ても面白いにも関わらず、それら全てが物語としてしっかり繋がっており、ようやく最終章を書くための土台が整ったと言い切った尾田栄一郎さんは偉大です。

ワンピースというあれだけの規模の物語をおそらく着地点を初期の段階から見据えて25年書き続けているって本当にえげつないことだと思います。
ワンピースの結末を見るまでは僕も死ねません。笑

流石にそこまでの規模で練習の頻度を高める事は不可能なので今は自分の実力というのを冷静に考えた上で身近に取り組める文章媒体にて練習しています。

こんな文章を書き続けているせいか文章力について褒められる機会が案外少なくありません。
これは嬉しい反面、自分が他人より文章を書いてきた(量をこなしてきた)から当然の結果でもあるわけです。

自分より凄い人は山のように居るわけで、まだまだ先を見据えると自分は未熟極まりない存在なので当分はnoteも書き続けながら普段の仕事でも引き続き「企画力」の本質を考えながら頑張りたいと思います。

「着地力」をテーマに話しながらうまく着地出来ているかは何とも言えませんがご容赦ください。笑

そんなこんなで今回は『着地力を見出す難しさ』というテーマでお送りしました。

それでは今回はこの辺で。

でゎでゎ👋





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?