父は幸せに死ねたか

この投稿は私の完全な自己満足で、且つ長いので読むのは自己責任でお願いします。


まずタイトルへの答えについては、父の人生は美しく素晴らしく幸せなものであった事は疑い様の無い事実である事を大前提として、また、父の気持ちなど分かるはずも無いのは承知の上で
私は「いいえ」と答える。

その理由として父はある時を境に急速に衰えていく身体を感じ、死が近付いていることを恐れて「なぜ自分が…」「理不尽だ」と狼狽え涙を流し、衰弱してからは泣く事も出来なくなった状態で亡くなったからだ。
2021年、父はステージ4の癌で余命半年の宣告を受け、10ヶ月後に亡くなった。


父については当時から記録として別で文章をしたためているのだが、推敲に時間がかかっていてまだ投稿出来ずにいる。
そんな中でこんな事を書こうと思ったのは
「医者が選ぶ、死ぬなら癌」という記事を読んだからだ。

過去に似たような記事は読んだ事があるが、父が癌で亡くなった状況でこの記事を読むとかなり思うところが有った。

以下、記事を読んだ“現時点”での私の思うところを書いてみた。

私は「ピンピンコロリのポックリ死」が定番ではと思っていた。しかし記事を読んでみると、所謂ポックリは大抵の場合は突然の心筋梗塞か脳梗塞であり、それは痛みを感じず即死という都合の良い事にはならず、とんでもない痛みを感じながら様々なやり残した事を後悔する時間の猶予は有るものの、何も出来ないまま死を迎えるという。

また「老衰」、これも実際は死ぬ直前まで自力で生活している人はほぼおらず、徐々に自分で出来る事が減り、身体のあらゆる所が痛み、様々な薬を飲んでは副作用に苦しみながら動くことも食事もままならなくなり、下の世話まで他人に依存する期間を何ヵ月、何年と過ごした上で亡くなる事が常であるらしい。
昨夜まで元気で朝、布団の上で眠るように…というのは稀にそういう人が居るというだけで、ほぼ現実的ではないという事だ。

しかし癌ならばある程度の死期が分かる上に、即時に体力が失われる訳ではない為、身辺整理や、やり残した事が出来る。
癌宣告を受けて笑顔になった人が居たくらいだそうだ。
だから医者曰く死ぬなら癌が良いのだそうだ。




であれば担当医はなぜこう言ったのだろう。
「治療を頑張りましょう」

病院は1週間に一度などの頻度で病院へダラダラと通わせ、抗がん剤投与や検査や何やらで今思うと父は時間と体力と精神力、そしてお金をただただ搾取されているだけだった。
その時間はもっと自分や家族、友人に使えたはずだ。

告知を受けたら癌と向き合い、身辺整理をしたり、お世話になった人に挨拶をしたり家族と旅行に行ったりアルバムを開いて思い出を語り合いながら自宅のベッドで家族に見守られながら…。

そういう人が居ない訳ではないだろうが、それが理想なのであって現実はそんなものではない。

ステージ4であろうと宣告されてから突然体力が落ちるわけもなく、「何か死ぬ気がしない」という期間がある。
元気だし、今の医療は目まぐるしい発展を遂げているから、何とかなるかも知れない、という希望を残した父は辛い治療を受ける覚悟を決めてしまったし、私もそんな気がしていた。

悪い事ばかりでは無いが、父はネガティブで用心深く、石橋は割れる物と想定し、叩いて叩いて割れないか確認する性格だった。

そんな父だから本当の根本からポジティブに癌に向き合ったのではなく「かなり無理をして」希望を見出だし、己を奮い立たせていた。
それは日記にあった自分に言い聞かせるような「前を向く」「ポジティブに」という言葉からも受け取れる。

癌は治せる時代と言うのは現時点ではあくまでも限られた種類の初期段階の話なのである。

世の中にはステージ4の癌から生還した方や、予後が長い人も居ることには居るだろう。しかし癌にも様々な種類、要因、環境、本人がどのように向き合うのかという複雑な環境下で幸運であったり必然であったりした結果だ。

当時、担当医は何時間も説明をし、質問を聞いてくれた。
父も家族も「良い先生」と感じていたし、その担当医も必死で父を治療しようとしてくれていた…

と、当時は思っていたが、癌の中でも治療が困難と言われている胆嚢癌。それを原発として数ヵ所に転移しているステージ4の末期の状態。
それを治療できる(私生活に戻れる状態に改善させられる)と本気で思っていたのだろうか。
少なくとも現在の最先端医療でもほぼ成す術がない。なのに治療を勧める。

少なくとも余命半年、ステージ4の胆のう癌の父には「治療をがんばりましょう!」ではなく「治療なんてしてないでさっさと残りの人生を満喫しなさい!」と言ってほしかった。
医者自身が死に方として癌を選ぶ理由がそれなら尚更だ。

まあ本当にそんな事を言ったら相手によっては大批判を受けるかも知れないし、担当医がこの考えをもっているとも限らない。
病院や先生は治療をする為に存在しているのだから治療を勧めるのは当然の事なのだろう。
先生にも葛藤があるのかも知れない。

後悔をしても仕方がない事ではあるので、今後の考え方の選択肢として自分の糧にしたいと思う。
もちろん治療が現実的に可能な病なら向き合うし、そもそも癌や病気にならず、且ついざ死ぬ直前までなるべく心身ともに元気に自立していたい。

私は幸せに死ねる様に生きよう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?