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俺はこうして生き延びた

前回の更新から時間がかなり経過してしまいました。
大変申し訳ございません。
続きを書こうと思ったのですが、
気分が乗りませんでした。
そういう時って皆さんにもありますよね?


「お前は何者だ?」

という方がいましたら、私のこれまでの投稿を一度見てください。
高卒で国語力のない私ですが一生懸命過去を振り返っています。


さて、前回の投稿は2019年1月のところでストップしていましたね。そこから話を再開していきましょう。


2019年の1月私に声をかけてきた人がいました。Kさんです。2018年6月から通ってくれているお客様です。


Kさん「僕の友達でジムを出店したい人がいるんだけど、一度その人と話をしてみないかい?俺の後輩だよ~」


その当時の私は、拡大移転を考えていたのでとりあえず話すだけなら行ってみるかと決めました。Kさんはとても良い人でしたし。2018年の地震の時も色々と助けてくれた方です。


後日私とKさん、紹介して頂いたNさんと3名で会食をしました。
2年も前のことなので細かくは覚えていないのですが、確かNさんが「中央区にジムを出さないか?」と打診してきたと記憶しています。
私は即答で断ったと思います。



現在通っていただいているお客様のことを考えたら違うエリアには行けないと考えたからです。
(今思うと中央区の方がビジネス的には面白かったかな?)


Nさん「そしたら麻生エリアでいい物件があれば移転する?」

「それは勿論OKです!」

そこから

よくわからない関係のまま


「よっしゃー!移転するぞー!」的なノリでその日は解散となりました。


その1か月後ぐらいでしょうか?
Nさんの知り合いの不動産屋の社長さんと物件を見に行くことに。なかなか条件に合うテナントはありませんでした。今だからわかるのですが、良いテナント(物件)に出会うかどうかは、ほぼ運みたいなものです。


結局私の希望に見合う物件は見つかりませんでした。
けれども気持ちは「移転」する気満々。
今のジム(MiuraGYM)が12坪でしたので倍の24坪が良かったのです。



でも、そんなテナントはない。
一度見に行ったテナントで麻生駅目の前で20坪の物件がありました。「ここじゃ狭いな」と即断ったのですが、それ以上のテナントが見つからずそちらのテナントを申し込むことに。
それが現在のANGIN山晃ハイツ麻生です。心の底からこの場所が良いと決めたわけではないのです。

(写真:契約時の店舗 電気は何故が落ちてました)

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多分申し込みをしたのが3月ぐらいだったと思います。この時お世話になった不動産屋の社長さんにはとても感謝しております。仲介手数料や諸々コチラが有利となるように運んでくれました。


テナントの申し込みと並行して今度は法人化の手続きを進めていきました。これはNさんの紹介の司法書士の先生のお世話になりました。余談ですがその時の先生が私と同じ名前だったので親近感がわきました。


そもそも、移転拡大と法人化をセットと私は考えていました。もっと売上を向上させたい、もっと社会的信用を得たい、もっと社会に貢献したいと考えていたのです。それを実現するには「法人化だ!」と思い立ったのです。


さぁ、ここまで話を進めてきたのですが、


登場人物をもう一度整理します。


まずは私。お客様のKさん。よくわからないけど助けてくれるNさん。2019年の1月から2~3ヶ月経過しても未だによく分からない3人衆です。


2019年4月無事法人化。「Innovation  Body 株式会社」を設立。カラダを革新するという意味が込められています。テナントも無事ことが進み契約に。初月の4月はフリーレント(賃料無料)にして頂けました。


しかし、このタイミングが不味かった。5月から契約にした方がお得だったのです。実際4月はほぼ何も作業が出来ていませんでした。(5日間ぐらいしか作業していません)。無計画で走り続けてきた私の悪い癖が出てしまいました。


地銀に創業融資を申し込みに行く事になりました。


こちらもNさんに大変お世話になりました。担当者を紹介していただき、資料を用意してくれたりしました。


銀行の方とのやり取りは初めてで私の中では苦戦をしました。Nさんにだいぶ迷惑をかけてしまいました。何度か叱責された記憶があります。友人と映画館でアベンジャーズを見ているときに、重要なLINEが来て映画の重要なシーンを見逃すアクシデントもありました…(笑)。


話を本題に戻します。色々作業を進めていく中でオープン日を決めようということに。沢山の人に来て欲しかったので私は日曜日に拘りました。色々考えた(工事や物品の入荷時期も考えて)結果2019年の5月26日(日)に決定。


2019年の5月は人生で一番疲れました。


銀行融資の対応、既存店舗でのパーソナル指導(1日平均7名)、新店舗での内装作業など。毎日動き続けました。

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内装工事はほぼ業者さんにお願いしていましたが、予算の限界もあり一部は自分で行いました。塗装と床材を敷き詰める作業を行いました。


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これからジムを開業する人は聞いてほしいのですが、床材を敷く作業はかなり時間がかかります。端の方は既製品ではサイズが合わないためカットする必要があるからです。敷き詰める際に注意するポイントがあります。詳しくは私のYouTubeをご覧ください。



Nさんの協力もあり融資は500万円で決まりました。この時の喜びは人生の中でも忘れられない一つです。

オープンまで時間がないので急ピッチで仕上げていきました。床材を何とか敷き詰めた後は業者さんにバトンタッチ。(床材の前にクロスと軽い大工工事がありました)電気工事が始まりました。エアコンも新設して頂きました。完成したのが5月22日ぐらいだったと記憶しております。


その時私はまだMiuraGYMとして営業は続けていました。5月26日に移転オープンなのに5月23日夜まで通常営業していました。その日の晩最後のレッスンを終えたのが22時でした。そこから翌日の引っ越し(備品・器具)の準備に取り掛かりました。必要なものをダンボールに詰め込んだり、運びやすいように器具を一部解体したりと。これもかなりの時間を要しました。結局すべて終えたのは26時ころだったと思います。翌日も朝早くから作業を計画していたのでジムに泊まりました。


翌日5月24日。オープン2日前。朝5時起床。引っ越し業者さんが来る前に新店舗の整理整頓に。新しく組み立てた器具の配置やゴミをまとめて除去。引っ越し業者さんが来るのは午後でしたので、午前中はレンタカーを借りて必要備品の購入からすべてを行いました。


午後引っ越し~搬入の開始。2時間ほどで終了。そのあとは再び自分たちで器具や備品の配置を定めていく。この日もなんだかんだ作業が長くなりジムの床で寝ました。


翌日5月25日。オープン1日前。この日は明日からオープンで予約いただいているお客様が来るので書類関連を整理していました。最後にトイレや玄関前などを掃除。沢山のお祝いのお花も届いていました。自分の店のオープンをこんなに沢山の人が祝ってくれるなんて思いもしませんでした。感謝。


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迎えた5月26日。


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ANGINオープンの日。店の中は完全に完成!


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唯一出来なかったのが予算不足で看板が設置できませんでした。(2021年6月9日に設置)遠方からお祝いのために足を運んでくれたお客様もいました。そのお客様も自分にとっての恩人です。岩見沢在住のAさんです。この方は気遣いの神です。自分が困っているときにいつも優しいアドバイスや差し入れをしてくれました。感謝しております。


ここでオープンしたのでもう一度最初の登場人物の整理をしましょう。


まずは私。お客様のKさん。今回色々こと進めてくれたNさん。私たち3人の関係はオープンをもってそれぞれの役割を終えました。読んでいる方に誤解を与えたくないのでハッキリしときますが、InnovationBody株式会社(ANGIN運営会社)の株の保有者は100%私です。経営には登場してきたKさんもNさんも一切関与しておりません。私は雇われ社長ではなく、正真正銘の創業社長になります。

勿論これだけ設立時にお世話になったKさんとNさんには成果報酬として謝礼はお支払いしております。それはビジネスの世界では当たり前の話だと思いますので。今でも何かあれば人生の先輩、経営者の先輩であるNさんには色々とアドバイスを頂いております。


オープンからの苦悩


トレーナーが私含めて2名になり、立地も駅前になったことで売上は爆上がりするはずでした…。

しかし現実は違いました。

むしろ、一人の頃より売上が少ない月もありました。かなり商売を甘く考えていました。赤字が続き、自分の給料をまともに頂けない月が続きました。会社の存続のためには仕方ありません。


2019年の12月。


毎月固定費+融資の返済で約100万円(家賃・人件費2人分・社会保険料・広告費・光熱費・通信費など)あるのに口座の残高は50万円しかありませんでした。このままでは年を越せない。むしろ「死ぬかもしれない」という思いでした。


「大袈裟だな」と思う方は、同じ経験をするとわかると思います。


このころの私は毎日朝会社に来て、商売繁盛木札を前にして祈っていました。


もちろん、ただ祈るだけで売上が上がるなんてことは有りません。1ヶ月15冊ぐらいのペースで本を読みました。(暇で時間に余裕があったから)。日々学びを深めブログやSNSで発信し続けました。人間の心理を学びどうすればお客様に響くのか、届くのか学び続けました。


ある日の仕事帰り、雪道の中を歩く私。いつものラーメン屋の前を通りました。店の入り口には貼り紙が貼ってありました。


「本日スープ品切れ」


それを見たときに私は気が付きました。「これはもしかして?」


続く…



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