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[セルゲイ・ロズニツァ]粛清裁判 THE TRIAL(2018)

《はじめに》この記事は、二部構成になっている。PART1では、歴史背景を全く知らぬまま「ただ1930年ソ連で行われた裁判」に関する映画として観賞した時の記録である。PART2では、ガイドブックとウェブインタビューを観て、歴史について大まかに分かった後に記したものである。

PART1 

 わたしは寝ていた。その日はバイトで、朝がとても早く、そして疲れていた。わたしは寝てしまった。裁判を見つめる群衆の一人として、わたしは寝てしまった。
 しかし、はじまりと終わりはしっかり起きていた。そして、群衆らのデモ行進でも起きていた。途中の、よくわからない人の名前が羅列する中、細々とした質疑応答についていけずに、寝てしまったのだった。

  さて、わたしは2020年という1930年とは全くかけ離れた世界に生きるひとりの観客である。しかし、わたしはなぜか、恐れ多くも?1930年の、この裁判に参加した群衆の一人のような気がしてならない。なぜなら、カメラは傍聴席にあって、映し出されるやり取りは傍聴席からの視点だからである。そして時折映る群衆の姿に、裁判そのものの意味があまりわかってないような、野次馬感を強く感じたのだった。照明の光に目を覆い、奇異の目で見つめる群衆。検察官の「銃殺」要求にだけ、強く反応する群衆。そして、判決後のスタンディングオベーション…。
 わたしには、それだけわかる。真ん中はごっそり、睡眠とともに抜けている。でも、それはわたしだけではないはずだ。その場にいた傍聴人=観客=群衆だって、同じはずだ。

  最後に出てきた衝撃的なテロップをどう理解しよう?産業党は存在しなかった…でっち上げだった…では、あのように怒ることもなく、もはや虚ろな感じで弁明していた被告人たちは、なぜ捕まったのだろうか。彼らは罪を認めていたが、それは、なぜ?なぜ自分たちが悪いことをしたと思ったのだろうか?それをあそこまでへりくだった形で言えたのだろうか?

 わたしは残念ながら、20世紀前半のソ連の動乱を知らない。だから、わたしはただ、被告人の態度に眉をしかめてしまうのだ。なぜ、彼らはあそこまで罪を認めて、自分が悪いと言い張るのだろう。それはある種の演技ではあるのだろうけれど、そして、そうするしか術がないのだろうけど… もし彼らが本当に転覆を目指していたのならば、あの態度は少しは説明がつく。なのに、存在しない党を巡って、彼らはどうして…?全て演技とでもいうのか?では、刑罰はどうなるのか?

 最後にファウンドフッテージについて触れておきたい。このような大々的な見せしめ裁判だったからこそ、しっかりとした記録が残っている。そのことが同時にとても恐ろしいけれど、このように21世紀に蘇らせることができるのだ、そのおかげで。それはまた異なる意味合いを持つだろう。わたしのように、遠い異国の観客は、何も共有できずに呆然と寝てしまうかもしれない。しかしそれでも、ファウンドフッテージによって、「生の」(たとえ被告人らが演技をしていたとしても!) 記録が、スクリーンの中に再び刻印される。

  それは、アウラだった。たとえばウィキペディアのページや、本で、このトンデモ裁判について読んだり聞いたりするのでは味わえない、動揺だ。映画によってアウラが失われると述べたベンヤミンに怒られるかもしれませんが、わたしはこれをアウラだと思う。動く人々の、動く言葉の、のっぺらとした弁明の、息遣い、咳き込み、声の小ささ、ハリ… そして、傍聴人の圧倒的な数。そして、照らせれる顔。これらを受け止めた時、わたしは何の知識がなくとも1930年と繋がることができるのだ。ファウンドフッテージは、魔力がある。時空を歪ませるような、魔力だ。禁断の扉だ。そして、ファウンドフッテージはアウラを再生することができる。映画では失われてしまうものを。

PART2

「裁判は1年かけて準備され、陳述もシナリオができていた。協力を拒んだ被疑者は公開裁判なしに処刑された。この裁判をモデルに同じような裁判が開かれ、大粛清で重要な役割を果たした」
「スターリンは演劇的な芸術を利用して、政治的な目標を達成した。この映画は劇映画でもある。被告は演じている。同時にドキュメンタリー映画だ。時代を映している」(セルゲイ・ロズニツァ)

「ここまで読んで、やっと歴史にたどり着くことができた。全てが「シナリオ通り」なのか…。となると...」

 わたしはここで、凍りつく。わたしもすっかり、騙されていたのだ。もちろん、当時の状況は知らないし、逆に当時の熱の中にもいない。なのに、わたしはすっかり騙されていた。たしかに、そのセリフのあまりにもよくできた反省文に、おかしさを覚えるし、個性のない文面に眠気を覚えたし、今考えればおかしなことだらけだった。なのにわたしは、最後まで被告人がなんらかのことをしたと疑わなかった。

 なぜなら、裁判という仕組みは「何かをしていないと行われない」からだ。少なくとも2020年の世は、そうなっているからだ。しかし、その常識は常識ではなかった。1930年ソ連では、なんでもできてしまったのだ。

 ああなんたること、わたしは、ここで熱狂していた群衆とは違った形で、自らの愚かさを露呈することになる。群衆らは、ひとつの熱の中にいて疑う余地は全くない。しかしわたしは…常識という名の網の目の中にいて、起こったことを見つめていない。起こったことは、常識の外にあるものなのだ。そんなの、いくらでも無限に存在するのにもかかわらず。

 しかし、わたしと群衆は奇妙な点で共通している。監督の「この映画は自分で考え、解釈しないといけない。頭を使う映画だ」を踏まえると、わたしと群衆は同じく、自分で考え、解釈することから逃げていたのではないか。時代も国も、常識の概念も異なるわたしと群衆のあいだには、「無知に安住する」睡眠の川が流れていたのだった。

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