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まちあるきをしたら自分のまちが好きになった。


たまには長々とまちあるきについて書く日があってもいいだろう。
(マジで長い)

最近、まちあるきが完全に趣味になった。散歩では無く、「まちあるきが」だ。10月から週に1.2回、市内を歩いている。

私がまちなかを週1以上歩くようになったきっかけ、それは10月に行なった高校生とのまちあるきだった。
その日、私は高校生にとあるまちを案内した。初めての試みだったから、どう説明したら興味をもってくれるだろう、どう振舞ったら初対面の高校生 と打ち解けられるだろう と、色々思案しながら自分なりに案内をした。

あるとき、とあるグループとのまちあるきが終わって、女の子から思ってもみないことを言われた。「今日いろんなエリアまわったけど、お姉さんとのまちあるきが1番楽しかった!」と。
その言葉は強烈な印象を残していった。
以来、もっと色々なまちを案内できるようになりたいと思うようになっていった。

それからというもの、研究室にある、まちあるきに関する本や過去の卒論を読み漁ったり、市内の歴史博物館に足を運んだりした。
一旦、歴史的な知識を取り入れると、ここがなになにだ、など言いながらまちをあるき、情報を自分の頭に染み込ませていった。それが、すごくすごく、楽しかった。

はじめのうちは、自分の興味のあるエリアだけを学ぼうとしていた。しかし、まちを案内するとなれば、興味のない他のエリアも知る必要があると思い、それらも学ぶことにした。

ずっと、歴史は好きじゃなかった。
城とか、古い町並みとか、中山道とか、マジで興味なかった。
でも今、それらをすごく面白いと思い始めている。
ものすごく沢山のモノが過去と現在混ざりあって存在していて、まちはまるで生きた博物館そのものに見えて。本当に興味が尽きない。


建築とか、歴史とか、手仕事とか。
多方面からまちを知ると、
段々と、まちの魅力が見えてきた。
それは逆にいうと
まちの魅力とは、
多方面から見ることができること
なのではないか。

様々な観点からまちを見れるということは、それだけ、このまちの歴史は深かったということだ。
でも、このまちは深いだけじゃない。
今も、生きているのだ。
商店街には活気が溢れ、子供たちの笑い声が聞こえ、
新しいお店は次々と開かれている。
まちのために動く人が沢山いて、ひとのつながりが常に生まれ、
そのなかで経済は循環している。
今も、このまちは動き続けている。それはすごく豊かなことだと思う。


まちをあるくようになってから、まちを見るフィルターが取り外され、
私は、このまちが好きだ、と心からそう思うようになった。(つい最近。)

このまちが好きになってしまったから、私は、このまちをもっと知りたい。