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父と母とフリーズした僕

父の天王星と母の太陽

今日、父と母のホロスコープを眺めていて、はたと気がついたのは、父の天王星が母の太陽とセキスタイルでアスペクトを作っていたという事でした。

母の太陽は水瓶座にあるので、デトリメントになります。その上、ノーアスペクトだとばかり思っていたのですが、実際には土星がセキスタイルでアスペクトしていました。

ということは、ただデトリメントというだけではなく、ドミサイルも獲得しており、それなりにバランスは取れていたということになります。

この前も書きましたが、僕の天王星と母の太陽がM/R(ミューチャル・レセプション)の関係になっていて、それは僕にとっても意味があったし、母にとっても意味のあったものだと思うのです。

しかし、今日発見したのは、父の天王星も母の太陽はレシーブしていて、そのおかげで母の太陽はさらに品位が高くなっていたようだということなのです。

父の天王星も、母の太陽とアスペクトすることで、エグザルテーションを獲得しているので、これはお互いにウィンウィンの関係になってたということですね。

そのことに気がついた時、なんか、不思議な感じがしました。

僕の中では、父とは母とにかく仲が悪くて、喧嘩ばかりしていたというイメージが強かったのですが、ちゃんとつながりもあったし、仲の良かった頃もあったと言うことなんだと思ったんですよね。

僕のホロスコープから見た父と母について書いたのがこちらの記事です。↓


やられたという感じ

僕のMCルーラーは太陽であり、ICルーラーは天王星と土星ですから、太陽が母を表わし、天王星が父を表わすということになります。

そのことと、先ほど書いた、父の天王星と母の太陽も、お互いに良い関係であったということが、まるで、僕が太陽を母から受け取り、天王星を父から受け取ったような感覚になったからです。

僕のホロスコープでは太陽と天王星はMCとコンジャンクションで、もっとも目立つ位置にある天体なのです。僕を象徴するのが太陽と天王星だと思っていたので、それが父と母を表しているということは、今さらながら、やられたという気持ちになりました。

ほんとあんなにいろんなドラマやら、修羅場やらを潜ってきたというのに、騙されたというか、狐につままれたというか、ほんとそんな気持ちになったんですよね。


父と母と僕の関係

父と母の太陽はスクエアで、僕と母はオポジション。そして僕と父はスクエアの関係になっています。

父の太陽は牡牛座で地のエネルギーが強く、母の太陽は水瓶座で風のエネルギーが強く、僕の太陽は獅子座ですから、火のエネルギーが強いです。

火は理念を語りますし、風は人権を語りますから、僕と母は基本的に話の根っこのところで、どこか通じるんですよね。

しかし地のエネルギーは物質的ですし、お金に根差しますし、そういうところに価値を置く父に対して、僕も母も合わないところはたしかにありました。

そういう点では、父は理解してもらえず、寂しかったかも知れません。しかし、時代性もあったでしょうが、父の頑固さもなかなかのもので、彼にとっての自論の正しさを認めさせようとするパワーはとても強引で、人の話を聞く耳持たないようなところはありましたから、母とすればずいぶんストレスを溜めることになったものと思われます。


父と母の大変さ

そのあたりの父の大変さ具合というのは、エッセンシャルディグニティを計算してみて、なるほどと思いました。

それはデトリメントが4個もあるということです。月、水星、海王星、冥王星がデトリメントなので、何かにつけ、やりすぎたり、言いすぎたりというようなところはあったのだと思います。

それに対して、母もデトリメントが二つ、太陽と金星。フォールがひとつ、木星があるので、やはり過剰に反応するようなところもあったと思われます。

価値観の違いの上に、どちらも言いすぎ、やり過ぎの傾向があったかもしれません。母もかなり負けん気の強い人でしたので、二人の喧嘩は時にとても派手でした。さらにはどちらも引かないから、いつまでも修羅場が続き、幼い僕と妹にとっては、とてもとても生きた心地がしなかったというのを覚えています。

なんか、今さらだけど、なるほどなあという感じです。


フリーズした記憶

これはたぶん僕が3歳か4歳くらいの時だと思うのですが、一度母が家出したことがありました。喧嘩がエスカレートしていき、やがて母が家を飛び出しました。妹を連れて出たので、僕も必死に外に飛び出して、あとを追いかけました。

一緒にバスに乗って駅に行きました。母は父の実家に行こうとしたようですが、もう列車はなく、あきらめて、母の実家に行くことになりました。布団を敷いてみんなで雑魚寝しましたが、僕はなかなか眠れませんでした。

明日からどうなってしまうんだろう。母を助けてあげられないだろうか、あまりにショックな成り行きに僕の感情はフリーズしてしまったような感じがしました。その時に感じた孤独感は今でもありありと思い出せます。

これは僕の月に刻まれた記憶なんでしょうね。おそらく3〜4歳くらいの僕は、今でも存在しているのを感じます。しかし、35歳を超えたあたりから、ビジョン心理学やスリーインワンのセッションをしていましたから、何度も何度もその子に会いにいって、共に過ごしてあげて、たくさん話して、今では懐かしい記憶という感じにもなっています。

そういう感じだから、今は落ち着いて父と母のホロスコープを眺められるんだろうなとも思います。

そうそう、その家出の経緯としては、翌日になって、父が訪ねてきて、祖父母を交えて話をしていたのを覚えています。そして母はまた家に戻ったのでした。その後も修羅場はたくさんあったんですけどね。(*^-^*)


家族

いずれにしても、天王星と太陽の結びつきと、それを僕が受け継いでいるということが、こうして書きながら、少しずつようやく受け入れてもいいのかなという気持ちになってきています。

そういうことも含めてのストーリーなのでしょう。そういうことを今、このタイミングでまた振り返って、懐かしんでいるということで、亡くなった父も母も、応援してくれているということなのかも知れないなとも思います。

結局のところ、ずいぶん親不孝な息子でしたが、今になっていろいろあったなあと振り返りながら、たとえ大変な家庭であったとしても、あれが僕が育った家庭であり、やはり家族だったんだということを、味わいつつ、噛み締めつついます。

4室が居場所を表すとしたら、4室水瓶座というのは、やはり天王星がルーラーということになります。その天王星が獅子座でデトリメントということは、たとえ太陽と合だったとしても、それなりには普通ではない経験をする場所だったと言えるのかも知れません。

そして、まさにそれが僕が作ってきた家庭でもあるんだなと思いながら、たしかに普通ではないかも知れないと思いました。息子たちからすれば、変なお父さんのところに生まれてきちゃったなあと思ってるのかも知れません。(^^)

それにしても、とてもなつかしいですね。いろんな場面を思い出しました。まさに、昭和の香りがします。



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