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古代メキシコ展を見に行ったら、縄文に出会ってしまった話。

8月の終わり頃に、上野の国立博物館に行きました。6月16日から9月3日まで公開されていた「古代メキシコ展」を見るのが目的でしたが、ひさしぶりの上野はとても広々としていて、青空がとてもきれいで、暑かったけれど、気持ちは宙に舞い上がりそうな感じでした。

そんなこともあって、この日はたくさん歩きました。古代メキシコ展の中でもたくさんの時間を過ごしましたが、そのあと考古展示室や本館の日本ギャラリー、アジア館など、時間の許す限り見て周り、最後には足が棒のようになりました。

時間が足りなくて、正倉院宝物展が見れなかったのは、少し残念ですが、これはまたの機会に足を運びたいと思います。

古代メキシコ展はたくさんの人でごった返していて、とてもゆっくりできるような雰囲気ではありませんでしたが、やはり本物の持つ迫力というのはたいしたもので、いくつか惹きつけられるものもあり、タイムトリップしたりしながら、その場を楽しみました。

そんな中、ぼーっとベンチに座っていたときに、メキシコと言えば、カスタネダだったなあと思い出しました。カスタネダの本はすべての本を3回ずつくらい読んだくらいに一時期ハマりました。

それもあって、今、目の前に並ぶ展示物から、古い時代の呪術師の面影を見たような気がしました。カスタネダや他の呪術師たちが、なぜあれほど気持ち悪がり、その存在が恐ろしげに描かれていたのか、なんかわかるような気もしたんですね。


古代メキシコ展を見たあとで、他の展示室を見て回りましたが、一日通して何より心に残ったのは、考古展示室にあった縄文の土器や弥生の埴輪でした。それと日本ギャラリーにあった観音像です。

そこには本当に原初の響きを感じましたし、見ながらじわりじわりとエネルギーが湧いてくるのを感じました。

縄文の土偶を見ながら背筋がゾクゾクしましたし、鳥肌が立ちました。そして、これこそが「うしろ」にあるものだと言うことも感じたのでした。縄文の土偶や土器を見ながら、気持ちのよい、愛おしい存在を感じました。

驚いたのは、日本ギャラリーで大きな観音像を見上げた時に、無意識に、「ああこれだ」とつぶやいていたことです。何がこれなのかはっきりとはわかりませんが、自分の中で何か納得しているものがありました。ここに帰結するなにものかが縄文から続き、さらには今の時代の僕の中にも息づいているというような感覚です。


思い返せば、7月に北千住で見た最上さんの踊りに通じるものがあったと言えるのかもしれません。それを確認したという感じもします。それは僕にとっては大きな気づきとなったと思いますね。

そして、こちらのYouTubeに上がっている最上さんの踊りは、あの日、僕が感じたことにとても近いという感じがします。ひさしぶりに見ましたが、同じ類いの質の響きを感じるんですよね。

https://youtu.be/FIu3blS3yfE?si=f6Z2GmL7ZSjdSGDW


それぞれ、土地なりの経緯というものがあるのかもしれません。同じようなベースからスタートしたとしても、どのような経緯を辿るのかは、そこに生きた人々の選択なのだということを感じました。そして、今もまだその選択は続いているのだとも思います。

ひとりひとりが日々の選択を意識的に行なっていく必要があるのでしょう。その結果、マクロ的になんらかの変化が現れてくるのだろうという気がします。なにより、感性というのは大事だなと思いました。そして自分が心地よく感じる方向に向かって進んでいくという事でしょうね。

古代メキシコ展を見たからこそ、日本の縄文時代のすばらしさがはっきりとわかったという感じがします。やはり、思い立ったら動くが吉ですね。

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