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ヌーソロジーについて書いてみる

3年前のFB記事

3年前にFacebookに書いたものを読みながら、この感覚が、今では普通にわかる感じになっているということに気がつきました。この記事です。↓

この図の反転した空間が人間の心の基盤であり、魂であり、それのことを素粒子として、見てるんじゃないの?ってことですね。 このところ目を閉じると夢を見ると言っていいくらい、夢を見ているのですが、この夢の空間も同じく、この反転した空間な訳で、夢...

Posted by 大西 淳 on Wednesday, August 28, 2019

こういうことって、言葉を連ねると余計にわかりにくくなるような気がします。直感的に、わかる人はわかるというようなものでもありますし、だんだんとそういう人は増えてきているようにも思います。

この下の図の方は、時間の流れが入っていますが、実際にはまったく同じものです。


重々帝網を即身と為す

これもそうですね。これは空海の「重々帝網を即身と為す」を模式化したもので、まったくライプニッツのモナド論と同じ世界観を示しています。対象Aも対象Bも対象Cも対象Dも、それぞれが全宇宙を内包しているという図です。フラクタル構造と言ってもいいですね。ひとつひとつが素粒子であると言ってもいいということでもあります。

この宇宙観がわかったときには、戦慄が走りました。宇宙がなんなのかということ以上に、自分という存在の意味が、わかってしまうから、それはそれは、恐ろしく素晴らしい体験であるとも言えると思います。

空海はおそらくこれを見たでしょうね。そしてそれを説明するためにも、曼荼羅などを残したのではないかと思います。

円心

この円心というのもそうなのです。

二つの円がありますが、実際にこの図が意味しているのは、三次元球面(四次元)を模式化したものと言えます。片方の円が存在するときには、もう片方の円は存在しません。片側が実の世界で、片側が虚の世界ということの模式図ですね。

表が見えるときには裏は見えず、裏が見えるときには表は見えません。なので、この二つの円は反転していると言える訳です。

実と虚

表と裏というのは、実際には実と虚なんですよね。表と裏とか、陰と陽とかの表現では連続性が否めないので、イメージしにくいのかなという気はします。

実と虚は反転しているので、次元が違うということですね。そしてその反転の特異点に観察者がいるということがポイントなのかなと思います。

だから、観察者は実の世界と虚の世界の転換点なんです。実を見ているときには、自我が表れて肉体と化し、虚に入ってるときには、自我は消えて霊となると言えるでしょうか。

夢を見ているときと言うのも、実際に虚の世界にいるのではないかと思います。もしくは虚の世界のエコーを受け取っているのかも知れませんが、いずれにしても、実の世界ではないので、本来は、意識を持った状態では、けっして入っていけないはずの世界だと言えると思います。

しかし、夢うつつの時には、微妙な時もあるのかも知れませんね。明晰夢であるとか、夢の中で自分の手を見るとか、そのような夢見の技法がありますが、それは特殊な状態と言えるのかも知れません。

ヘミシンクもそうですね。瞑想中に幽体離脱のような経験をする人もいますが、その時にはおそらく反転した空間である、虚空間の方にアクセスしているのだろうと思います。

悟り

ただ、自我を持っているときには、基本的にはそこに入れませんから、自我をなくす、もしくは自我を超克するというような意識状態に入る必要があるのだろうと思います。それを昔の人は悟りと呼んだのかなと思っています。

その意識状態が、ヌーソロジー的には、ψ7~ψ8ということのようですね。普通の人間の意識はψ1~2の中に閉じ込められています。反転が見えてくると、ψ3~4に出ます。そして持続の空間が自分の本体であるということがわかってくるとψ5~ψ6です。そして物質は自己と他者の交差の記録であり、組紐的に創造されてきたものが物質であり、物質こそが自己と他者を結びつけているものであるとわかってくると、ψ7~ψ8ということのようです。

その時には空海の「重々帝網を即身と為す」です。この宇宙は自他の意識が交差することで編み上げられた構造物であり、その宇宙はわたしの内在であるという世界観に到達することだと思われます。

それはひとりひとりがみな個宇宙であるということであり、その宇宙が交差し、重なり、共鳴するところに物質が生まれてきたということもできるかも知れません。

四次元の方向

ヌーソロジーの入り口として、僕にとっての入り口になったのは、この図を見て、「見る」と言うことの意味を知ったときでした。観察とは次元をまたぐことなのです。

1次元を観察しようと思ったら、1次元に直行した方向から観察する必要があります。そして、2次元を観察しようと思ったら、2次元に直行する方向から観察する必要があります。

なので、3次元を観察しようと思ったら、3次元に直行する方向から観察する必要があり、それは4次元方向だということになります。

この上の図における、鉛筆の方向が三次元に直行する方向ということですから、それは観察者の視線ということなのですね。

そのことが意味しているのは、観察者の視線は4次元から3次元をのぞき見ているという事になるわけですから、観察者の存在する位置は、4次元であるという事になります。

だから、観察者は肉体的には、この3次元の空間に存在していますが、観察している意識そのものは、3次元の外側=4次元に存在しているのだということです。

人間という存在はけっしてちっぽけな存在ではありません。それどころか、宇宙を創造してきたのは人間なんだということだったりします。日常生活であるとか、家族との関わりであるとか、この世界の中で我々がする活動はすべて、宇宙の創造につながっているということでもあるんですよね。

そのことに気がついたとしたら、どんな風に生きていきたいと思いますか? ある意味、そこに意識が到達してからが、本当の人生になるのではないかという気がしています。そして、今生まれてきている若い人たちの中には、こういうことを当たり前に感覚として、ささっとわかる人も増えてきているような気もします。

そう考えると、なかなかに楽しみです。すごく大事なタイミングで、生まれてきたんだなということを思いますし、見届けたいと思います。(^^)

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