グレイトフル・デッド
これ↓は今年の2月15日に書いた記事。
いいねをつけてくださった方がいて、あらためて読み返してみました。
響いたのは、タロットカードの話で、塔が崩れたからこそ、星が見えるようになるという話。
思えば、落下とは高い塔から落ちることですし、それはこれまでの世界とは違うところに落ちていくということなのだと思います。
「身体の内側に落ちていく」ということを先日書きましたが、本当にじゅうぶんに落ち切るまでは星は見えないのかもしれません。
2020年に田んぼをやめ、今の街に引っ越してきてから、もうすぐ3年が経とうとしていますが、ようやくにして最後の箱に手をつけられるようになったかなという感じがします。
ずっと開けられなかった箱を開け、仮置きしていた仏壇も然るべき場所に移動し、傷んでしまった畳の表替えの依頼をし、穴蔵のように感じていた家の中が、だんだんと広くなり、快適な空間に変わっていくのを感じながら、これまでずいぶんと重い気持ちを背負ったままでいたんだなということを思いました。
自分が存在している意味って何なんだろうと、あらためて落ち切ってきたからこそ、新鮮な気持ちで見れるようになってきてるのかもしれません。
ストーンと落ちながら、どこまでも落ちていく感覚の中で、なんとも言えない安心感を感じている自分に気がついてる感じです。
アメリカにグレイトフル・デッドってバンドがありましたが、特にそのバンドの名前とトレードマークの絵が好きでした。
1981年〜1982年にかけて、インドを旅行していた時にカルカッタの安宿で出会った人に教えてもらったバンドで、別れ際に、その人からグレイトフル・デッドのTシャツをもらいました。
インドを旅してる間にボロボロになって最後には捨ててしまいましたが、なつかしくなってネットを検索してみたら、似たようなTシャツがありました。
まさにこんな感じのTシャツでしたね。この絵もひさしぶりに見ましたが、なんだか心が落ち着くから不思議です。
YouTubeで見つけて、ひさしぶりに曲を聴きながら、まるで40年前のバラナシのガード沿いの安宿のベットの上に戻ったような気持ちになりました。
思えばあそこから長い長い旅が始まったのかもしれません。紆余曲折、ようやく原点に戻ってきたような感じがして不思議な感じです。