汝の意志するところを行なえ
こちらのアレイスター•クロウリー著「魔術 理論と実践」を読み始めました。夢も星もタロットも全部つながっているということを感じます。
まだ1/10ほど読んだだけなのですが、最初の方の魔術の定義について書かれたところを読みながら、僕がピンときた理由を感じていました。
生き方もそうですが、宇宙観もまた似ています。大宇宙と小宇宙という言葉を使い、それらがつながっているというような宇宙観です。そこにウロボロスの蛇が出てきますし、ヌーソロジーにも通じるものを感じます。
おそらく人間が鍵であるということ、素粒子=魂というようなイメージを持っていたのではないかと思いました。
ヌーソロジーでは奥行きという言葉を使うところ、アレイスターは深淵という言葉を使っており、そこでは時間がないとも述べていますから、大枠のところで、似たような考え方をしていた人だということを感じます。
聖霊を呼び出すというような、召喚という技法がありますが、そこでやろうとしていることは、密教と何ら変わらないと思います。ベースがカバラなので、生命の樹を大事にしていますが、その構造は曼荼羅に通じるものがありますし、元をたどれば同じ所につながっているのでしょう。
ただ、魔術という立ち位置であるが故に、常に反体制的なスタンスだということで、メジャーにはなり得ませんが、つねにジプシー気質の人たちからは支持されるのでしょう。
なにより、本の帯にも書かれている言葉、
この言葉に集約されているとも思います。そして、
この言葉にもとても惹かれます。
言わんとすることを自分なりに集約するならば、
自らの湧き上がる源泉とつながり、それぞれが独立した泉であることを自覚しようということだと思います。
そう、ここでも、四角形に囲い込まれた三角形のことが思い出されます。枠を突き破り、そのままにあふれ出させることがもっとも良い流れを作り出すということを信頼できるかどうかが、今試されていることなのかも知れません。
左脳は不安でしょうがないということでしょう。不安な心はコントロールをしないと気が済みません。ルールで縛り、枠を作り、そこからはみ出すことを禁じます。
それが社会なのだとしたら、その四角形を突き破る必要があるよということなのでしょう。そうでないとアイオーンには到達できませんから。
最終的には魔術は自分をどれだけ信頼できるかということに尽きるのではないかと思いました。起こるべくして起こること、噴き出してくるものを噴き出させるという事の先に何が見えてくるのか。
悪魔的というのは四角い社会からはみ出せば貼られるレッテルです。そのことを恐れずに自分を信頼して進むべしというメッセージを発するということですね。
ヌーソロジーが言うように、宇宙が双対構造でできているとしたならば、神と悪魔は対化ということになります。神Aと神Bであり、それは双子な訳です。
そして、それは日本的には天津神と国津神の国譲りの物語にも通じる話だと思います。いろんなことがつながってきて、理解というのはあるとき一気に進むのだろうと思います。