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一里塚

今日もまた3時過ぎに目覚めました。とても寒いので、そのまま寝床の中で丸くなりながら、先日の踊りの動画を見ていました。

本当にとてもきれいに撮影していただき、感謝の気持ちでいっぱいです。映像のみならず、音もクリアに録音されていて、ちょっとした衣擦れの音も、息づかいも残されていて、感服しました。あの時のあの空間の深みさえもが記録されているようなすばらしい撮影だと思います。

すでに何度も見ましたが、見るごとに、あの日のことが奇跡的な出来事であったように感じられてきました。もちろん踊りについて満足はしていないのですが、あの日、あのタイミングで、あれ以上のことはできなかったし、あれでよかったのだと思えるようになりました。

そして、しっかりとこの踊りが自分にとっての一里塚となったということを確認できたように思います。先日も書きましたが、この踊りは大河ドラマの一部を切り取ったものであり、そのダイジェストというようなものだったと思っています。

昨年の1月末に数年ぶりに再開された原初舞踏の定例稽古に参加し始めてから、もうすぐ丸一年になろうとしています。この一年の間、稽古に通い、稽古場の空気を吸い、最上さんの言葉に感化されながら、自分の内側にある、踊りに対する思いが少しずつ熟成されてきたようにも思います。

まだまだ未熟なゆえに、足りないところもありましたが、今回、新年会での踊りに参加させていただき、ますます「深み」を、追い求めたいと思いました。

思い返せば4年前。2020年の2月に初めて稽古に参加させていただきましたが、最初の床稽古の最中に、込み上げてくるものがあって、号泣してしまいました。あの時に、自分の中に封印していた踊りに対する気持ちに気がついたのだと思います。

しかし、その後2年半ほどの間、稽古はお休みとなり、再開されるまでの間は糸の切れた凧のようでした。でも、今となってはそれもこれも、すべて必要なプロセスだったのだと思えてくるから不思議です。

そして今年もまた稽古に通えることがうれしいです。あのような空間は他にはないと言ってもいいくらいに、熟成された舞踏空間としての稽古場があることがうれしいです。

そこまでに空間を育て上げた最上さんのご苦労は大変なものであったと思います。そして稽古場に通う個性的な人たちも、みなそれぞれに苦労しながらも精進している仲間なんだなということも思います。そこには霊的共同体としての意味もあるのかも知れません。

社会に不安が蔓延し、心が落ち着かない時代だからこそ、身体に向き合い、その中に入っていくことは、何よりも大事なことのように思います。答えは外からやってくるものではなく、内にこそあるものだと思うからです。

そして、それを確かめることができるのは自分の足で、一歩一歩と踏み出した人だけなのでしょう。情報をどんなに収集しても、積み上げても空っぽのままです。やはり身体を使って、自らの足で踏み出してみなければ、強度のある足跡を刻むことはできません。

そして強度のある足跡だけが一里塚となって、新たな神話を紡いでいくことになるのでしょう。それができるのは内発の踊りだからこそと言えるかも知れません。

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