![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/95765558/rectangle_large_type_2_252f58fdd56dcc738a63c94971fd6611.png?width=1200)
「ある」「いる」「なる」「あらしめる」~空間の仕組み~
ヌーソロジーの半田広宣さんがFacebookで3日連続で同じ画像をアップしておられました。
そしてそれをネタにして書かれていたことは、とても大事なことだと思ったので、読みながら自分なりにも考察してみました。
そして最初の投稿がこれです。↓
リンゴがある空間とそれを見ているあなたがいる空間
●ヌーソロジーに関心を持つ人へのテスト Q. あなたは「リンゴがある空間」と「そのリンゴを見ているあなたがいる空間」の区別ができていますか? それが分からなくなっているのが今の人間なのです。 リンゴの手前側に"自分がいる"と思っている人は、自分の肉体が"ある"空間で自分を見ているだけで、自分が"いる"空間を忘れてしまっていると言えます。大多数の人がそういう状態です。
Posted by Handa Kohsen on Saturday, January 14, 2023
大事なのはこの部分。
リンゴの手前側に"自分がいる"と思っている人は、自分の肉体が"ある"空間で自分を見ているだけで、自分が"いる"空間を忘れてしまっていると言えます。大多数の人がそういう状態です。
この違いがわかるということはとても大事なことだと思います。要は自分もリンゴも物質としてそこに「ある」という認識であるのか、自分はリンゴを見ている精神としてそこに「いる」と認識しているのか、その違いと言うことだと思います。
言い方を変えると、「ある空間」は物質世界であり、「いる空間」は魂の世界と言えるでしょう。
その二つの空間は実は次元が違うのですが、その違いがわからないということは物質世界にはまり込んでいるということを示しているわけです。
これはその翌日の半田さんの投稿です。↓
「いるもの」と「あるもの」
●「いる」空間は時空ではない 普段、私たちが時空と呼んでいるものは「ある空間」の方です。「いる空間」の方は時空ではありません。「いる空間」の方は3次元も4次元も共に反転しています。つまり、「いる」とは3次元の表を見ている状態で、一方の...
Posted by 半田 広宣 on Saturday, January 14, 2023
「いるもの」と「あるもの」がごっちゃになって、だんだん「いるもの」が希薄になってきたというのが、科学的な思考が何よりも優先されるようになってきたということと関係しているのだと思われます。
すべてを「あるもの」として分析しないと科学的態度ではないわけです。「いるもの」は虚空間に属しますから、科学的な分析には掛かりません。
唯一波動関数でその振る舞いが予測できるだけです。しかしながら出てきた結果はすべて実数ですから、その実数成分だけが利用されることで、「いるもの」はさらに収奪され疲弊してしまいます。
このままでは世界は「あるもの」に覆い尽くされてしまうかもしれません。「いるもの」を取り戻すと言うことが大事だと思いますが、何よりも「いる」と「ある」の違いがわからない人がほとんどな訳ですから、そこから話さないといけないと言うことなんでしょうね。
この半田さんの一連の投稿は、とてもわかりやすく書かれていて、ありがたく読ませてもらいました。(o^^o)
そしてこれが3個目の投稿です。
「いる」→「なる」→「あらしめる」、その結果「ある」
●では、「なる」空間ってどういうものなのだろう? 下の図からも分かるように、「いる(という意識)」も「ある(という意識)」もリンゴの外部の空間に生じてきているものです。 では肝心の「なる(存在)」の空間はどこに位置しているのでしょう...
Posted by Handa Kohsen on Sunday, January 15, 2023
「いる」→「なる」→「あらしめる」、その結果「ある」
ある意味、この流れ図について理解することが、アセンションであり、次元上昇の本当の意味と言えるのだと思います。
それは決してセンセーショナルなことではなく、とても地道に、謙虚に自分を見つめてきた人に起こることなのではないかと思えてきます。
思えば、位置の交換とは「なるもの」になるということなんですね。そしてそのさきに「あらしめるもの」があります。
それはたぶん自己と他者のことで「なったもの」と「なったもの」が組紐のように組み合わさることで、時間と空間が発生してくるという機序のことではないかと思います。
そこを通って生まれた「あるもの」は存在論的存在であり、ただの「あるもの」とは質が違うように思います。
今、目の前にある「あるもの」たちも、本当はそのような存在論的プロセスを通って存在たらしめられたものたちでありながら、それも含めて、すべてが忘却されてしまいそうになっているということが、忍びがたいわけですね。
「いる」ことさえ、忘れてしまったとしたら、それはあまりに残念すぎますが、今の人間が向き合っているのは、本当にそういうことなんですよね。だから、「いる」を取り戻し、本当の意味での「ある」の意味を思い出しましょうと言うことだと思います。
なんとかまとめてみる
ここで書いてきた「ある」「いる」「なる」「あらしめる」というのは、空間や時間というものが何なのか、物質が存在すると言うことの理由とその機序、いわゆる宇宙の創造の原理について語った話でもあります。宇宙は自己と他者という双子の原理でできてるから、存在し得たということになりますね。本当の創造の物語は、実は人間の日々の暮らしの中にある訳です。そこでしたこと、考えたこと、やってることが宇宙の創造に反映しているという事になります。
そういった仕組みであるとか、人間という存在の意味であるとか、思い出していくためにも、まずは「ある」と「いる」の違いを理解して、「なる」の境地に至りましょう。その先に何が見えてくるかは、その時のお楽しみです。
世界がやばいとか言ってても何も変わりません。目の前の空間の仕組みが理解できてくると、焦る気持ちや、恐れる気持ちはなくなってくると思います。何事も、起こるべくして、起こっています。あるべくしてありますしね。そう思えるようになったのも、ヌーソロジーの理解が進んできたからだと言えるかなと思っています。
このあたりの話はまだレアだと思うので、これからも書いていきたいと思います。ま、気が乗ったらということで。。。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?