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荒ぶるエネルギー

Xのポストを見ていたら、最上さんが昨日体調悪くて動けなかったと書かれていました。そして新年会の踊りでの荒ぶるエネルギーを下ろしたことと関係しているのではないかと考察されていました。

実は、昨日は僕も動けなくて一日中横になって過ごしました。7日の本番と、そこから続くエネルギーが、14日の稽古の中で答え合わせされて、必要なプロセスを一気に進めたという感じがしていて、大きなエネルギーが動いたという実感がありました。そしてたぶんその結果だと思うのですが、昨日は立ち上がれませんでした。

でも、そういうことは過去にも何度か経験してきているので、なつかしく感じます。思えば昔踊りに取り組んでいた時にも、時々このような尋常ならざることがあって、そのたびに踊りが深化していったという自覚があるので、今回のことも、やはりそういうことが起こったんだというような感覚で受け止めています。

今思えば、意識の位置に変化が起こる時に、身体は調整が必要となり、そのために動けない時間が必要なのかも知れません。過去には発熱し、下痢し、症状を伴う大きな身体調整も経験しましたから、今回はまだ優しい変化と言えるのかも知れません。

新年会の踊りの場で起こったことは、やはり稀有なことだったのだということを思います。おそらくあそこに関わった人は、多かれ少なかれ何らかの変化が起こったはずで、それを受け止めることで、人は深化するというようなことかと理解しています。

深化は進化であり、神化でもあり、並の人間では耐えられないようなエネルギーがあの場にはあったというようなことを思います。いわゆる深い浄化でありますが、それは時に破壊的でさえあり得ます。

しかし、あれが可能だったのは、稽古場の内輪の会だったからで、普段稽古をしている場所だったからで、それを受け止めることのできる場が醸成されていたからで、一般向けの公演ではけっして起こりえない質量を含んでいたと思います。

あれがバリ島のチャロナランであったならば、参加者の多くがトランスし、悲鳴を上げていたのではないかと想像します。そのようなエネルギーがあの時にはあったのではないかと。そのような混乱が起こらなかったのは、みな稽古を経験し、ある程度経験を深めた人たちだったからではないかと。

でも、だからこそ、今年2024年は具体的に何か動き始める時なのではないかと思うのです。

今回、僕はバリの老人の面を使い、その面を舞台上で外したわけですが、このことの意味を語ることはまだできません。それはそれはあまりにも長い話になってしまいますし、まだストーリーは続いているので、自分でもその顛末を理解しきれていないからです。

それでも、こうして少しずつ紐解かれ、解明され、「こと」は動いているということを感じます。自分自身も一観客として、また一演者として、今年は動き始めるのかも知れません。そして誰よりもこのストーリーの顛末を知りたいと思っています。

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