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桜の木と原初舞踏の稽古
昨日の原初舞踏の稽古の記録としてこれを書いておこうと思います。
昨日の稽古の前に、2週間前(前回)の稽古の時に満開の桜の下、地面が桜の絨毯になっていた公園に寄ってみました。
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ここを発見した時には、まさに息を飲むような思いで、その空間の凄さに圧倒されたのですが、稽古の後、何人かで再び訪れた時には、ひとりでに屋外での床稽古みたいになって、みんな次々と地面に寝転がり始めたのがとても面白かったです。
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ところが2週間後のこの日は、もちろんすでに桜は終わっていて、濃い緑の空間になっていました。
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濃い緑色の葉っぱが太陽の日差しを程よく遮ってくれて、桜の木の下はとても気持ちよかったです。
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そして、よく見ると地面の上には桜の花の残渣がたくさん残っていて、呼吸するたびに心地よい桜の香りがして、それは桜餅を想起させてくれました。
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2週間前の満開の桜と桜の絨毯のイメージが深く印象に残っていたので、このあまりの変貌ぶりにはちょっとしたショックのようなものを感じましたが、この桜餅のような香りを感じながら、あの時の豊かさが、このような豊かさに遷移したんだということを感じ、むしろ桜の木の多層性、存在の大きさ、奥深さにあらためて触れたような気がしました。
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この2週間、桜に取り憑かれていたようなところがあって、小川町の家の近くの桜の下で踊ってみたり、そこで撮影した動画を編集してみたりしながら、ずっと桜にどっぷりと浸かり込み、思いを馳せていたから、この時の変化がとても強く心に刺さったのかもしれません。
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だからこそ、この日の変貌してしまった桜の公園を見た時に、むしろ桜の木の中に息づく「充実」というか、「濃密なエキス」というか、「本質」というか、それはおそらく「存在」であり、「魂」であると言ってもいいような、なんらかの生命原理のようなものに直に触れているということだったから、そこで過ごした時間がとても濃いものとなったのだと思います。その時点ですでに桜のエネルギーに酔っていたのかもしれません。
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床稽古では大地から噴き上がるような衝動があって、ゆっくりと立ち上がっていく時に、汗の匂いが、桜の匂いと重なって、それはこの時期里山を歩く時に至る所に漂っている春独特の新芽の匂いを彷彿とさせてくれました。
そしてさっきの桜の木の存在に自分が重なっていくような感じがして、そのまま昇天してしまうのではないかという勢いだったのをググググっと腹に納め返した時に、身体自体がとても濃いものになったように感じました。そしてそれはきっと桜の木の中の「充実」と同じような感覚のものなのかも知れないと思ったのでした。
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この充実があるから、内側が満たされているから、桜は樹皮から花が噴き出すように出て来たり、あんなにも見事な桜の絨毯を生み出せるのでしょう。
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そんな充実を感じながら、桜の枝ぶりを身体がひとりでに現そうとしているような床稽古となり、それはとてつもなく満たされた時間だったなと思います。
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そして、昨日の稽古の中でどうしても記録しておきたいことをエックスで二つポストしたので、それをコピペします。そのひとつ目はこちら↓
昨日の稽古。目を閉じて足の裏を感じながら動いていた時、ある瞬間、床の下に伸びる反対の自分と繋がった感じがした。その状態を意識しながら、反対の自分を感じながら足を出すと、何もかもが濃密になって、世界が変わってしまった感じがあって、とても気持ちが良かった。忘れないように書いておこう。
この感覚は以前にも経験していたことだけれど、とにかく日常の中ではほとんど忘れていることなのです。しかし、こうして丁寧に感じて、つなげていった時に起こることは、足だけの問題ではなく、身体全体の位相を変えてしまうような劇的な変化を生み出すわけで、可能なことならこれを当たり前のこととして身につけたいと思ったのでした。この時の足の感覚は能の歩行とも通じるし、全世界を動かしうるような強度を持った歩行という感じさえするのでした。
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そして二つ目のポストはこちら↓
もうひとつ、書いておきたいこと。それは手を封印し、その上で手をあげようとした時のこと。
封印と封印を解こうとする力の拮抗が、まるで幹から新しい枝が伸びようとする時の生命力のようであり、身悶えであり、衝動であるかのように感じられたこと。そして上がった腕がとても充実していたこと。
まさにこれは木になり、新しい枝を伸ばそうとする時に、樹皮が変化し、動き、組成を変えていきながら、長い時間をかけてようやく枝が伸びていくような感じ。
まさにそのように腕が少しずつ上がって行く時の葛藤は、一見苦しそうに見えても、実は全然苦しみでもなんでもなく、時に湧き上がる興奮というか、感動というか、エクスタシーというか、それはとてつもなく充実した感覚であり、満ち足りる感覚であり、生きている証であり、そこにこそ、強度ということの意味があるんだということを感じたのでした。
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そのように上がった腕はけっして虚しくないのです。よく最上さんがおっしゃる「腕が上がる時には何千本もの腕が同時に上がる」ということの意味が、この時体感としてはっきりとわかったように思いました。そのくらいの強度を持たないと本当は腕は上がらないということなのだと思います。
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桜もまた、そのようにして枝を伸ばし、さらに有り余るエネルギーを降り注ぐように、あの花を咲かせ、あの香りを漂わせ、周りの空気を変え、周りの土を変え、そこに集まる動物たちを育んでいるのだと思いました。
と、こういうことを書きながら、僕自身、そのような踊りがやりたいのだろうと思いました。木に憧れます。そして木になりたいと思うのです。
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