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07. 「まま、いらない」

次なる課題は転院先探しと、次年度に迫った息子の就学だった。LITALICOジュニアの授業や先生方に助けられてはいたものの、相変わらず息子のこだわりや行動の切り替えの不得手、コントロールできない衝動性など、親の困りごとは多々あった。

家事や仕事の最中に、涙が吹き出し数時間泣き暮れる。3年前は半年に1回ほどだったこの涙は、段々と間隔が狭くなり、息子が年長の夏には数日に一度になった。他人を変えることはできない、息子も夫も。だから自分が変わるしかない…でもどうしたらいいのか、方法が分からない。うなだれ泣きながらも、湧き上がってくるのはただ「長谷川先生と話がしたい」だった。先生は私にとって、 “お母さん” のように甘えられる唯一の存在になっていた。

壁に頭を押し付けながら泣く私を見て、「1週間くらい岐阜に行って、先生と話しておいで」…思いがけず、夫が背中を押してくれた。経済的な問題など2の次だと、夫も感じてたのかもしれない。数日分のカウンセリング予約を急いで取り、できる限り仕事を片付けて、岐阜へ向かった。

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5)こころぎふ臨床心理センター(カウンセリング)開始[2019年9月]
5)同センターによる訪問カウンセリング[2019年10月]
6)Medical Switch in Clinic(転院)[2019年11月]
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生きてても死んでても同じという顔だった、と、後に長谷川先生はその時の私の様子を表した。先生が心理検査(POMS)を勧めてくださり、自分のうつ状態はその数値と説明で把握した。深刻な状態なのだそうだ。連日のカウンセリングの後、先生がくれた助言は「1ヶ月ほど休職して家から避難すること」だった。

一瞬過ったのは、向こう1ヶ月の予定。数日後は息子の誕生日。父子だけの暮らしで夫が息子にキレる可能性。毎日の保育園送迎。就学前相談の準備。小学校の説明会、見学。仕事…。よく覚えていないのだが、長く迷うことはなく、全てを手放して避難をすることを決めた。ただ実のところ、「何も考えられなかった」のだと思う。

「今は何も考えられない。明日の予定なんて考えても意味がないかもしれない。明日や未来があるかどうかなんて、誰にも分からないことだ」そんな心持ちだった。

避難の決意は、子育てで感じている自分の苦痛を認めることだった。苦しいと感じることを、許すことだった。心を殺さずに、苦しいと感じていいのだと。

それからの1ヶ月、私は先生のアドバイスに従ってひたすら自分のための時間を過ごした。知らない土地へ赴き、行き先のない散歩をし、河の流れをぼんやり眺め、温かい日差しの公園で昼寝をした。

仕事の責任についてはあえて考えないようにしていたが、行く先々で母子が目に映った。手をつないでのんびり歩き、穏やかに笑い、和やかな雰囲気だ。もちろん、私は彼女達の生活のほんの一場面を垣間見ただけだ。分かっていてもなお、羨ましさでちくちくと胸が痛む。

私もあんな優しい時間が欲しかった。写真の息子はいつも可愛いと思えるのに、目の前にいるときは一瞬も気が抜けない。家でも外でも、目に入るあちこちに注意が移り、予想できない方向転換を繰り返す。私は息切れしながら追いかけ、追いつけずに大声で注意したり、知らない人に謝り続けたり。二語分を覚えたてだった2歳頃は、園に迎えにいくと「まま、いらない!」と毎日泣かれてた。「まだ遊びたいから帰りたくない」という意味だったと寸年経って理解したが、その時は言葉そのままを受け取っていた。私は必要ない母親なのだ、と。

避難した一ヶ月、私から家族に連絡することはもちろん、父子からも連絡はなかった。息子の遊び相手はいつも夫だから、私がいなくても、不自由なく楽しく過ごせているに違いない。こんな時の気持ちを「寂しい」というのだろうか?

避難直後に、就学前相談の最終面接が予定されていた。最低でも通級の利用を承認してもらうのが私の希望だった。支援の必要性を訴える材料を増やすために、長谷川先生による訪問カウンセリングをお願いした。意見書をまとめてもらうため、保育園と家庭での息子の様子を長谷川先生が観察する、というものだった。

訪問カウンセリングの結果、息子はADHDだけでなく、自閉スペクトラム症との合併である、という新たな見解が出た。父子の日課になっている「戦いごっこ」が、息子の衝動性を増長させている可能性も指摘された。後日のカウンセリングで先生がぽつりと「…あの家庭生活は地獄だね。私でもあの子は育てられないかもしれない、と思ったよ…」と言った。私が「家庭が牢獄だ」と思っていたことは、うっすらと罪悪感も感じていたから、先生には話したことがなかった。けれど先生はあの場で、同じ感情を抱いてくれたのだ。霞が徐々に晴れていくようだった。人は共感してもらえるだけで、こんなにも救われるものなのか。

訪問カウンセリングの結果と、追加で行った検査の結果を携え、先生には最終面接にも同席してもらった。私が自分の言いたいことをうまく伝えられない可能性があったからだ。当日は息子も同席する必要があり、走り回る息子を抱きとめながらの私には、やはり言いたいことを話す心の余裕はなかった。先生の有り難いサポートのおかげで、息子は私の希望通り、通級利用の許可が得られた。

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