デートと研究
今年に入ってデートをする回数が多かった。
あれだけ私が資本主義の権化と批判していたマッチングアプリに合計3ヶ月ほど貢ぎ、20回近く色んな人とデートに行った。
つまり月に2回近くはデートに割いていたことになる。
我ながら研究とよく両立できたと思う。
いや、できていないのかもしれない。
そう。できていないのだ。
両立というと、おそらくは同時に物事を進めている状況のことなのだろうが、同時には進められなかった。
デートの前後は骨抜き状態で心ここに在らずだった。そんなもんだから研究なんてとんでもなかった。
数年前はデート中にパートナーの横で方法序説を読むくらいデートと研究を両立できていたというのに。
研究の方はというと、学会発表が2回、論文投稿が1回(査読には通らなかった)と、これだけ見るとまあまあよくできた方かもしれない。
だけどやっぱり研究よりマッチングアプリのことを考えることの方が多かったし、マッチングアプリに心を支配されていたようにも思う。
研究だけに身を捧げるのも個人的にはしたくないし、研究以外のことも楽しみたいとは思いつつも、博士論文を目指すのなら両立なんてことは考えずに研究一本に絞るというのが良かったのかもしれない。
今は無事(?)お互いの時間を優先できるパートナーができていい関係を築き始めているのだけれども、やっぱり研究だけを考える時間というのは以前と比べると減った気もする。
結局両立はできてない。
でも研究が進む時もあるし、両立なんて考えずにその時のノリでやっていくのが結局一番なのかもしれない。
「一日一生」という言葉を酒井雄哉という天台宗の僧侶が残しているのだけど、この言葉が最近私の頭の中をぐるぐるとめぐっている。
デートと研究、両立できている方は連絡ください。