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牧師家庭の次女として広島に生まれる。中学生の時神戸へ。阪神淡路大震災を経験する。結婚し…

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牧師家庭の次女として広島に生まれる。中学生の時神戸へ。阪神淡路大震災を経験する。結婚して韓国へ。自然芸術農業を営む。8年間の韓国生活を終え帰神。熊本地震の時ボランティアに行き、地震で壊れた家屋を解体すべく解体屋の道へ。現在熊本豪雨のあった人吉で土木の仕事に携わっている。

最近の記事

"請け"現場  その③

 そうして見積もり書を提出したのである。 渾身の力を込めて、エイ!!っとポチと送信ボタンを押す。 ザシュっと音がして、見積もり書は羽ばたいていった。 ところで、現場に重機を入れるかどうか迷っていたのだが、これまたアドバイスで、 「重機入れなくていいんじゃないすか、カーポートがあれば尚更邪魔ですよ」、と言われた。 ふむ、そうか。じゃあ重機はなしでいいか。 そして、 見積もりの返事が来ない。 これは、、、なんかヤバイのか? なんじゃこの見積もりー!って、なってないか? やっぱ

    • "請け"現場 その②

      「これで見積もりお願いします」、 と言われたその日から、喜びと緊張と不安で、ソワソワソワソワ過ごすこととなる。 LINEで来た資料とひたすら睨めっこ。 住所を確認し、処分場を探す。 ダンプをレンタルできる所を探す。 解体の単価を探す。 そもそもの、見積もりの出し方を探す。 3日後にはさっそく現地調査へ。 佐賀は遠かった。 民家の駐車場の土間コンクリートのハツリである。 写真のまんまである。 意味もなく土間をコンコンなんて叩いてみたりする(解体屋がよくやるやつ)。 ただ、広

      • "請け"現場 その①

        ことの発端は私がクリスチャンであり、とある教会の車庫解体を頼まれたことである。 教会から直に仕事をもらったのだが、教会からお金をいただくのが申し訳なく、それでももらわなければ生活もできなく(ないことはないが)、格安でやらせていただいた。 今は鉄の値段が高騰している。解体した車庫を売りに行き、売れた分も全部渡した。 お金は請求したが、業者に頼んだとして、差額で50万くらいの献金ができたかな、と考え、お金をもらったことの罪悪感を拭い去ろうとしていた。 「請け現場やったら、結構い

        • 仕事ないから近所散策(はぶてているのか?)

          仕事ない日は引きこもる中村です。 珍しく、近所散策。 とりあえず目が行くのは、工事現場。 何がいいのかよく分からないが、とりあえずジロジロ見て、なにかと一人、確認する私がいる(足場ヨシ!重機ヨシ!)。 最近は古いものを見ることが好きになった。 昭和のものを見ると、胸がブワっとなったり、キュっとなったり、 懐かしいやら、暖かい、なんとも言い難い気持ちになる(エモいとは言わんぞわしは!)。 そこに猫なんかが現れた日にゃあ、もう、ニャーーーー!!!である。 近所を歩いている

        "請け"現場  その③

          土木の仕事、終わったもうたでぃ

          久しぶりの土木に心踊らせ作業に臨んだものの、 あまりの暑さに「だっるー」って思った。 土木ってこんなにだるかったっけ? そう言えば昔、外構の仕事に派遣された時には、細かい数字の計算してみんなで話しあってる中、訳わかんなくて眠すぎて白目向きながらめっちゃ耐えてたな、、、 「待ち」の時間が長いのが土木でやんす。 そして、暑いったらない。 これだけ空調服が流行ってるのに、現場に10人ほどいて誰も使っていないというナゾ笑←自分も使ってないけど こんなに暑いのにセミがまだ泣いていな

          土木の仕事、終わったもうたでぃ

          書くことは苦痛であった

          物書きになりたいと思ってから数十年経っている自分がいて、「人生とはネタ作り」と思って生きているので、ネタはただただたまって行く一方である。 物書きになりたいと思いつつ、書くという作業が、実はめちゃくちゃに苦痛なのである。苦痛以外のなにものでもない。 パソコンに向かってちゃんと書こうとすると、完璧主義が邪魔をして何も書けない。自分で読んでは面白くないと消してしまう。 解体や土木の外仕事に携わってからは、月曜から土曜まで仕事。毎朝平均6時に家を出て、毎晩平均7時に帰って来て、

          書くことは苦痛であった

          人吉で謳う「満月の夕」〜阪神淡路大震災〜 

          Feb, 2021 ♪ほ〜ねほねロックと歌われ続けたガリガリの幼少期。私は元来虚弱で大人しかった。 かと思えば好奇心旺盛で、 色んなものに見惚れていたら足を滑らせ、気付けば荒波にもまれている。 溺れそうになりながら大笑いしている。 自分はそんなトンチンカンな人間であるように思う。 紆余曲折を経て、2021年2月現在、 行き着いた先は熊本は人吉。 水害のあった人吉で、土木作業員として働いている。 ボーっと生きていた私を揺さぶったのは、1995年1月17日に起きた阪神淡路大

          人吉で謳う「満月の夕」〜阪神淡路大震災〜