その先は
休みを終え、戻る現実は、いつもの正月あけとはやはり違っていた。
明けましておめでとうございます。
この言葉以上に、自分がいる空間に対する違和感と、帰宅した時の自分の家ってこんなだったっけ?と思った感覚は、どうも消えない。
年末から続いている活発さは、持続しており、動き回るようになった。
そして、また、気づくことができたのは、早歩きの人混みの中を、自分も流れに沿って歩いていたことだった。
以前は、のんびりのんびりと歩いていた。それが私の限界だった。なんなら、早歩きで歩く人たちが羨ましいほどだった。自分だって前はあんな風に早く歩いてたのに、と。
それが、いつの間にか自分もその流れに混じっていることに気がつく。
ああ、しっかりと回復しているじゃないか。
そう思った。
と、同時に、もうきっと失うものなんて何もないんだ。
私は自由だ。
その覚悟、は、私をより強くする。
自分とは何か、それが見る見ると私の中で確立されていったように思う。
そして、知った。
夢を語ることの偉大さを。
今年は、自分のしたいことを具体化させる言葉を発していた。そのお陰なような気がしたのだ。
何より、その行動ができたのは、
「夢を語る場所」と「楽しそうに夢を語る人々」を見たからかもしれない。
休みの期間、初めて出会う人が多かった。今まで出会ったことがないような人達だったと記憶している。だからこそ、学ぶことはとても大きかった。
何より、一緒に住んでいた同居人は、楽しそうに生きていたのだ。
きっと悩みもあるんだろうが、何かを楽しむというより、
人生を楽しんでいるように見えたのだ。
それは、出会った人達全員に共通していたかもしれないが、決められた枠で生活していた私には、新鮮だった。
決められた枠の中で生活していたことにさえ、初めて気づいた。
枠の中で生きなくてもいいのだと知った。
同居人の中には、枠なんてなかった。いつだって、全てを、余すことなく自由に活用していたのだ。
そんな同居人の楽しむ姿に、私も楽しくなった。
出来ないことばかりに目が向いて、歯がゆかった時もある。それでも、前を向いていれば、きっと何かが起こるはずだと、教えてくれた気がした。
今の環境に、夢を語る人は、いないような気がする。
それでも私は、夢を語っていたいと思う。せめて私くらい、夢を語っていたっていいじゃないか、そう思う。
いつの日か、夢が叶うことを信じて、たくさんの大好きな人達に囲まれて、いつまでもいつまでも笑っていたい。
そんな素敵なことを思えるくらい、元気になった自分を誇りに思う。
まとまりのない文章でしたが、お読みいただきありがとうございます。
私事ですが、
休みの間、出会ってくださった方々に多大なる感謝を。誰一人として、忘れることのできない思い出を、どうもありがとう。
そして、何より、同居人、ありがとう。
強く生きていく。
そう決心し直せた、休み明けでした。
サポートいただき、ありがとうございます!とても嬉しいです^^ たくさんいいことありますように。心から感謝を込めて♡ Always thank you♡