私が書くワケ
見てくださり、ありがとうございます。
今回は、私が”私と母の戦闘日記”を書く理由について書かせていただきます。
私は、今、自分の身に起こったことを、私と母の戦闘日記として書いていっています。
これは、自分の悲しみを共有してほしい、と思っているワケではありません。では、なぜか。
もっとオープンに親子関係について語れる世の中になってほしいと思っているからです。
親子関係というものは、あまりオープンにされてきませんでした。私にとっては、逆にオープンにしてはいけないものだと思って教育されてきたと思っています。理由は、我が家の恥だと思われるから。
今思えば、大した家でもないのに・・・と思ってしまう部分もあります。(ごめんなさい。)
しかし、周りを見てもそうですが、親子関係の話を聞くこと、あるいは話すことはタブーのようになっている風潮があると感じています。親、というのは、その人、本人を見るために必要ないことかもしれません。しかし、子が育つ中で一番の影響を受けるのは、親です。
それは、当たり前のことであり、もし、嫌な部分が似ていたとしても、拒絶できないことだと思っています。好きな部分や感謝する部分は、どんどん吸収していって良いのではないかなと思っています。(私も親から学んだことはたくさんありますし、今でも教えてもらえて本当によかったと思える部分がたくさんあります。)
吸収したことと自分というものを、切り離さずにはいられないのが、子であると私は思っています。
だから、意見を求めるために親のことを友人に相談することは、あっていいことだと思っていますし、そうやって、自分のいる世界を広げていってほしいなと思っています。その世界を広げていくことは、生きていく上でも必要なのではないかなと思います。
それと同時に、世界を広げられるのは、自分自身しかいないということも、また、事実です。
ですので、自分自身が動いていくことが大事であると思います。
親子という関係は、とても難しいと思います。親の視点と子の視点があり、私は、親になったことがないので親の視点は全く分かりません。だからこのようなことを書くことも、信じられないと思う人もいるかもしれません。
親は良いことも悪いこともたくさん教えてくれます。
たとえ成人していても、親からしたら子であることは変わりなく、そんな子どもの権利、というものが就活で親によって剥奪されるのは、悔しさ以外の何物でもなかった。
今までに、私の実力が足りてないと、言われたことも、
相談してこなかったことが悪いんじゃないの?とも言われました。
もちろん、その意見も最もであると思います。しかし、私の親は話し合いができない傾向にありました。話し合いが出来ない人が親であり、経済的制約を受けてしまえば、子どもは親に従わずにはいられません。そして、それに対する具体的解決策を持っている人はいないように思えるのに、これ以上どうすれば良いのか教えてほしいくらいでした。
私は、戦った結果、このような状況になったことを、後悔はしていませんし、逃げた、とも思っていません。
ただ、親だから、子どもだから、そんな理由で辞退せざるをえない人が一定数いるのは、おかしいと思う。
恋人がそれをしたら、DVになるのに、なぜ親だったら、介入出来ないのか。警察や市の団体が介入できないのであれば、せめて、相談できる場所や人がいてほしいと願います。そして、私はそんな人になりたいと思っています。
子と親が生きている世界は、全て同じなわけではなく、違う部分もある。だから、親が生きてきた世界の当たり前を理由にして押し付けるのは全く違う。
その理由で子ども(成人していたとしても)が、自分の生きている世界の当前を捻じ曲げてまで、意思決定をする必要はないと考えます。
そんな不条理なことをされて、戦わなくてもいい。だけど、せめて泣き寝入りするのではなく、自分の中で折り合いをつけて自立という面で、立ち上がってほしい。
そう思います。
辞退せざるをえないような環境は今後減っていってほしい、と思います。
就職は、何よりも子の自立の証ではないかと思っています。
今までの親子関係であったり、就活における家族のこと。相談できる人がいないのであれば、ぜひ話してほしいと思います。
少しでも、悔しい思いをする人が減ることを祈っています。
お読みいただき、ありがとうございました。
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