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他人がいてくれるということ
この前、過呼吸になった時、ふと浮かんだことがある。
過呼吸になれるのは、他人がいてくれるからなのではないかな、ということだ。
過呼吸にひとりでなってしまうと、とめることが難しくなってしまう。
誰かがいてくれるからこそ、なり立つのかもしれないと、私においての場合にだけ適応されるとは思いながら、過呼吸になっていた。
・・
涙は、どうしようもなくなってからでしか、流れない人がいる。
そんな人はとても頑張り屋さんで、自分を認める、ということをして欲しいな、と思う。
人は、いろんな感情を感じることができるが、心の容量は決まっている。何かを感じた時、容量の中身が揺れ動いた時、適切な対応ができるときとできない時がある。
適切に対応できることの方が、世の中的には少ない。と推測する。
そんな時にも備えて動ける人はどのくらいいるのだろうか、とも思う。
私は一切できない。
それは、今後、どのように影響してくるのか、考えられずにはいられないけれど。その対応策が出来上がった人が、真の社会人と、言えるのではないかと、私は思ってしまう。
今日という日が終わる時、人は何を思って眠りにつくのだろうか。
どうか、安らかに、ぐっすりと眠れるといいな、と思いながら、私も今日という日に幕を下ろしたい。
おやすみなさい。
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