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今日も今日とて

今日も今日とてバイトである。そんな”日常”に戻りつつある私の中で、一つ変わったことといえば、午前中に起きられるようになったこと。陽の光を浴びることは、やっぱり気持ちいいと思いながら、部屋で横になっていた。

沖縄に行く前に言われたことがある。

「あきはに、東京は合わないよ。」

そう言えば、似たようなことを大学生になる時にも言われたことがある。

その言葉は、私の頭の片隅に居座り続けた。

そして、東京に戻り、私も確信した。

私に、ここ、東京は、合わない気がする。


では。どうしようか。

どこに行こうか。何をしようか。全てを投げ捨てて、どこへ行こうか。

・・・・

私は、病気になる前の自分に、いや、その時の、自分の気力や体力に戻りたいと思っている。

しかし、あれは、120%の私だったかもしれないことに、やっと、やっと、気づけそうである。

私は、いわゆる働き者だった。はいはい、と効率よく、出来るだけ多くのことをこなしていく人だった。無理をするのは普通だと思うほど、動き回っていた。

そのことは、私にとって長所であり、特技のようなものであると思っていた。しかし、違うのかもしれない。

本当はおっとりとしている方なのかもしれない。ぼーっとしていて、注意力散漫で、それが私なのかもしれないと思うようになった。

つまり、私は、前の私の気力や体力に戻れない、いや。戻る必要がないのかもしれない。

私は、以前の私が羨ましい。だって、あんなにも色んなことができていたのだから。やりたいことはたくさんあって、出来るだけやりたいと思っているのだから、そう思って当たり前なのかもしれない。

と同時に、今の自分で満足することを覚えなければいけない時期に来ているのかもしれないと思う。

やっぱり、気力が最大限に回復された感覚がない。

こればっかりは、どんなに頑張っても今はまだできないのかもしれない。


頑張ります。と言う私に、頑張らなくていいんですよ、力を抜きましょうと言ってくれる人は、とてもありがたく、きっと大変なことを経験してきた人なんだろうと想像出来る。



さあ、私は、久しぶりに迷っている。この場所を出るかどうか。

あまりにも、久しぶりの、そして、大きな移動を伴いそうで、ヒヤヒヤしているし、当初の予定との大幅な変更に動揺もしている。

私は、どうすればいい?

というより、

どうしよう?

が正しいのかな。

まだ、動けるかな。

来年、働くことが決まっていることがある意味私にとっては、ネックとなって来ている、今日この頃。

私は、ゆったりとした環境で生きていけるのか。

いつか刺激が足りないと、どこかに出て行こうとしないか。

ちょっぴり不安だけど、いいか。

その時は、飛び出せば。

行きたいところに行ってみて、生活して、飽きたら、どこかに行けばいいのかな。

枠を決めるのは自分だ。

だから、その枠を取り払えるように、客観的な自分を常に置いておきたい。

その思いと考えだけは忘れないようにしておこう。


おわり








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