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春のあさ

熱を出して
三日ほど寝込んだ

明け方に見た三日月は春らしいむらさき色
何も食べていない事を思い出し、フローリングの床を裸足で歩く

少し頭が痛い
午前5時のキッチンに立ち
ゆっくりとガス台に火を入れる

東の窓が明るくなる頃気温が下がる
お茶の入ったカップをしっかりと包み、足先を丸める

イングリッシュマフィンにバターを塗る
マーマレードジャムの瓶にスプーンを突っ込む

久しぶりにのる自転車は
ペダルが重たくて、なかなか進まない
のろのろ走りひなの巣を目指す

途中の神社を通り過ぎる時
けやきの木が新芽で黄緑色に染まっていることに気づく

花見の翌朝、目が覚めたら熱が出ていたのだ
ひどく時間が流れてしまった様に思う

背中がだるいなあと思いながら
桃月堂の工場の中を歩く
ここは、おせんべいを作る工場

お米を蒸す香りがいつもより強く感じられる
私の職場は、工場2階にある吹き寄せを
作る部署
通称「ひなの巣」

1階から中央の階段を登り、ひなの巣の入り口で履物をはき替える

微かな音を立てて扉を開けると
まだ誰も来ていない

3日ぶりの私の作業台には桜の花びらが
少し茶色くなって置かれている
古賀さんが置いてくれたんだとすぐにわかる
花びらの脇に、桜餅の絵とお大事にという一言が添えられたメモがあったからだ

ひなの巣では、工場の一角で毎年
夜桜の会を行う
来たい人がくればいいとハジメさんはみんなに言うけれど、ひなの巣の職人さんは何故か毎年
よほどの事情がない限りみんな参加する

窓を少しだけ開ける
工場の脇にある線路から貨物が通過する様子が見える

作業台を一つずつ拭いてゆく
帰る前に菓子の入ったケースは全て片付けるので個人の作業台は何も置かれていない

食品を扱うスペースなので、2回作業台を拭く
扉が開き、古賀さんが入って来る

無言でロッカーの扉を開けて、小さな箱を持って来たので手を止めて、そっと覗く

古賀さんが先週見せてくれたウサギのスケッチを思い出す
箱の中には、古賀さんが作ったウサギの砂糖菓子が入っていたのだ

結婚式の引き出物を依頼され
新婦の父親からうさぎの砂糖菓子をぜひ入れてほしいと依頼されていた

うさぎは、耳の垂れたウサギと耳がたったウサギの2種類で
耳の垂れたウサギは茶色いんだと
嬉しそうに新婦の父が話していたのをよく覚えている

結婚する娘のことよりもウサギなんだろうかと
思ったが、古賀さんはそうではないと思いますって言っていた

それから、うさぎの入った小箱を私に手渡すと
古賀さんが部屋から出て行ってしまった

窓の外から入ってくる風が心地よい
電車が通過する音
きっと貨物だろう

白い小さな箱を3種類、手にした古賀さんが
葉山さんとともに戻って来た
引き出物に使う箱の相談をするために

今日も仕事が始まる

#自由詩 #物語 #ポエトリーリーディング #詩

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