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てがみをかきたい

綾野花南さんのやさしさのおかげで
文通がいっかいで途切れずに
にかいめの往復が出来る
そして、今週末お返事を発送する

花南さんの気遣いはすごいなぁと思った
相手に寄り添って色々と選んでくださった
ことが本当によく分かるモノとことばで
埋め尽くされていてお返事を書くことに
尻込みしてしまうくらい素晴らしかった

特にすごかったものがあって、それは
文通でしか出来そうにないものだったのだけれど
ご本人にも許可を得ていないので
また別の機会にご紹介したい
可能ならスタエフで2人で話しながら
振り返ってみたいなあ
(実現した時には聴いてくださいね。
諸般の事情によりお友達限定とかになるかも
ですけれども)



昔、私は長く文通をしていたことがあって
毎日毎日ポストを見るのが楽しみだったことが
記憶には強く残っていた
『うつくしいこどく』のセルフライナーノーツ
でも書いたように、おてがみや連絡を頂けることは
とてもとても嬉しい
今回にかいめをご準備頂いている時もそうだった
けれど、『こんな自分なんかのために申し訳ない』
と思ってしまうくらい、おてがみや連絡が自分に
来ることはすごい貴重なのだ、といつも感じる

ただ、今回再発見したことがあって
それは、私はてがみを書くことが好きなんだ
ということ

noteでも他のSNSでも、コメントとして
何か感じたことをお伝えしたい、という気持ちは
あるけれど、感じた日々のことや思っていることを
肉筆で届けたい、何かを伝えたいのだなあと思った

私はてがみをかきたい



だからね、書くことにしたの、もうお一方にも

おなまえは今は伏せます
いつもたくさんの方の記事を拝読出来ることは
日々の楽しみなのだけれど
その方の記事は満月をたのしみにするような
心待ちさがあるの
月齢をいつも調べているとかではなくて
日々を過ごすなかで、ふと帰り道に見上げると
わぁ、今日だったんだね、と思うような
待ち方と嬉しさがある
(わかりにくい例えだけれど、私の感覚だから)

でもね、最近はおやすみをしていて
だから、あと少し残っている未読の過去記事を
そっと読んでスキをつけた
私の望まないものが、私と書いたことばを
黒く塗りつぶされそうな感覚がしたから
読みにいった

そこにある、誰かが見過ごしてしまいそうなこと
そこにあった、みんなが忘れてしまった
歴史やおもいでを大事にゆっくりと見つめて
それをことばにしてくださっているから
読むたびに、私は私を思い出す気がするの

そっと切れ端に短いことばを教室で
渡すみたいにコメントをして
おやすみしているのにお返事を頂けて
それで『おてがみ書いてもいいですか』と聞いて
ご了解を頂けるに至る



花南さんも他の方もそう、皆さんに優しく
接して頂けて本当に感謝しています

自分で言うのは変だけれど、感受性が強いし
きっとすごく繊細だから、おそらく汚れていない
ところは多いのかなあと思う
でも、それだけに汚れやすい
浸食されるように黒くなって、嫌な感情を
人よりも持ちやすい
面倒で嫌な人間で、扱いにくい
そして、生きづらいんだとてもとてもとても

意味のわからない詩やエッセイについて、
すごく良い方に解釈してくださったり
ことばをかけてくださったして、ありがたいなあ
と思っています
続けるかどうか、を考えている時もどなたも
考えや要望を押し付けたりする方もおられず
私が過ごしやすいようにしてくださった

本当にありがとうございます

最終回みたいになってきましたね
たくさんのお名前が浮かんできて
おひとりずつにおてがみを書けたら良いなあと
思ったりします

〈つづく〉

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