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遺すために

「遺す」ということ
「残す」のではなく「遺す」

たまたまそこに置いてきてしまったこと
落とし物のように漏れ落ちてしまったもの
それらは忘れ去られるかもしれない

そうではなく明確に、
とある地点に、何かを置いておくこと
ほとんど多くのひとには忘れ去られるとしても
誰かのため、あるいは自分のために
消えないように置いておくこと

それが「遺す」ということ

一時、それを望み、動いていたけれど
やめてしまったのはいったいなぜだろう

きっといくつかの理由を話していたのだと
思うけれど、飽きてしまったのかもしれない

「遺す」ということについて
そして、自分自身というものと、
そこから出てきたものについてはやはり
価値を感じ得ないものがあったのだろう
だから、飽きる

価値とは何だろう

価値があるから「遺す」のだろうか
では、価値がないものは「遺す」ことは
許されないのか

きっと、許されないわけではない
必要とされなければ、誰の目にも止まらないから
「遺す」にはなれず「残す」にしかならないのだ

文学的な価値はない
誰かを救うものでもなければ、
感動を呼ぶものでもない
客観的にみたときには価値はない

でも「残す」ではなく「遺して」おきたいと思う
それは何故だろう

それは何故かと考えること
そこにはもう意味がないのかもしれない


たとえばそれが手作りでも良いのかもしれない

ふと、孤独を感じたとき
眠りにつくときにそっとそこにある
意味や考えを押し付けるものではなく
目を置いた半径に邪魔せずにそこにある
そんなふうにそこにあれたら、と思うから

新しいことをしてみようと思う
いや、ちがう方法で『遺す』ことを
考えてみようか


たんなるにっき(その36)

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