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陸に上がったペンギンは何を想うのだろう
電車に乗って行ける場所に向かって
敢えてバスに揺られることで
敢えて非日常をつくりだす
スピッツの『運命の人』を少し思い出して
10月には不釣り合いな陽射しをガラス越しに
感じて居眠りをする
今朝方みた夢は実に壮大だったからなのか
いつもみたいには操作することが出来なくて
もどかしさは背伸びをしたときの
うなり声になって現れる
電車は改札口を早く通り抜けたい
気持ちだけで誰にも何も言わないでいるのに
バスとタクシーは降りるときには
『ありがとうございました』というのは
いったいどうしてなんだろう
決められたみちであっても線路と道路では
違って感じるのかもしれない
◇
ある場所で大道芸人さんがパフォーマンスを
やっていて『東京都公認ですからね』と
陽気な音楽に紛れてアナウンスが聞こえる
そういえばそういう制度もあったなあと
思い出して調べてみると2002年に始まった
制度なのだそう
それは生活に根づいたり、制度として確立した
というよりも、風化してしまっているのでは
と思わざるを得ない
それは大道芸人さんのせいではない
制度もルールも法律も動かず側の努力と
利活用する私たちの意識が必要なのだろう
とてもたくさんのことを気にならなくなって
いつしか忘れてしまう
大塩平八郎の乱のことは覚えているのにね
◇
月の満ち欠けに合わせたかのように
心身は変化し続ける
諦めてしまえばそこで終わり
だなんてことはきっと誰しもが知っている
心も体も朽ちていくときに能動的にかつ
明示的に諦めるなんてことは実はあまりない
頭で分かっても心が分かってなかったら
諦めてないのかもしれない
頭は客観、心は主観、いや願いに近い想い
諦めてしまっても続く日々があるのは
心が諦めても、体が諦めていないから
なのだろうか
惰性だけはやめておこう
月曜日にいるだろう私へ
たんなるにっき(その63)
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