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陸に上がったペンギンは何を想うのだろう

電車に乗って行ける場所に向かって
敢えてバスに揺られることで
敢えて非日常をつくりだす

スピッツの『運命の人』を少し思い出して
10月には不釣り合いな陽射しをガラス越しに
感じて居眠りをする

今朝方みた夢は実に壮大だったからなのか
いつもみたいには操作することが出来なくて
もどかしさは背伸びをしたときの
うなり声になって現れる

電車は改札口を早く通り抜けたい
気持ちだけで誰にも何も言わないでいるのに
バスとタクシーは降りるときには
『ありがとうございました』というのは
いったいどうしてなんだろう
決められたみちであっても線路と道路では
違って感じるのかもしれない



ある場所で大道芸人さんがパフォーマンスを
やっていて『東京都公認ですからね』と
陽気な音楽に紛れてアナウンスが聞こえる

そういえばそういう制度もあったなあと
思い出して調べてみると2002年に始まった
制度なのだそう
それは生活に根づいたり、制度として確立した
というよりも、風化してしまっているのでは
と思わざるを得ない
それは大道芸人さんのせいではない
制度もルールも法律も動かず側の努力と
利活用する私たちの意識が必要なのだろう
とてもたくさんのことを気にならなくなって
いつしか忘れてしまう
大塩平八郎の乱のことは覚えているのにね

月の満ち欠けに合わせたかのように
心身は変化し続ける
諦めてしまえばそこで終わり
だなんてことはきっと誰しもが知っている
心も体も朽ちていくときに能動的にかつ
明示的に諦めるなんてことは実はあまりない

頭で分かっても心が分かってなかったら
諦めてないのかもしれない
頭は客観、心は主観、いや願いに近い想い
諦めてしまっても続く日々があるのは
心が諦めても、体が諦めていないから
なのだろうか

惰性だけはやめておこう
月曜日にいるだろう私へ


たんなるにっき(その63)

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