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高齢出産の悲哀、2019年は老いを受け入れた年

30代後半で出産して、子どもの世話に明け暮れて数年がたった。

今年の春、鏡を見ると顔面が大変なことになっていた。肌はぼろぼろになり、見たことのない初対面の薄いシミがこぞって出てきていた。「はじめまして、こんなところに隠れていらしたのですね」である。出会いは大切にしたいと思っているが、こんな出会いはいらない。

夜泣きが数年続いた子どものためにろくに眠れず、24時間労働に励んできたのだから、肌の衰えは仕方ない。想定内だ。でも、昼夜を問わずこんなに働いているのに、体重が増えるのは納得がいかない。

「ママ」は夜9時には閉店したいのだが、「夜中も営業しろ!」との抗議の泣き声が響き渡る。生まれて数年間は、夜中も「ママ」を開店させた。いや夜中だから「スナック・ママ」か。あの泣き声はほとんど脅迫の域だな・・・などと思いながら、自分を神様だと思っているお客様(娘)のもとへはせ参じる毎日であった。それなのに体重まで増えるのは、本当に納得がいかない。

さらに体中の肉があるべき場所より下へ下へ、横へ横へと迷子になり始めた。「これ以上下がると危険です!これより下は立ち入り禁止です」と言っているのに、やんちゃな肉たちは「関係ねぇ!知るかそんなこと!」と言って、お構いなく横へ下へと立入禁止地区に侵入しに行ってしまうのだ。私の体の肉が不良少年になった瞬間である。

私はあわてて炭水化物ばかりだった食事を見直し、赤子を少し待たせておいてまで丁寧にスキンケアをしたり、ストレッチや腹筋運動をしたり、インスタグラムで「3人産んでもこんなにきれい」みたいなママたちの写真を見て闘志をみなぎらせてみたり・・・といった美の追求を始めた。

でもなぜか出産前のようには効果が出ないのである。

以前は、体重のコントロールなど、少し努力すればすぐに結果が出た。
少し多めにクリームを塗っておけば、翌朝にはツヤツヤお肌がよみがえった。しかし今は、「電気自動車なの?」というくらい、動いてもガソリン(肉)は減らない。どんなにクリームを塗っても、翌朝にはしっかり乾燥とシワが戻ってくる形状記憶肌になった。インスタグラムのキラキラママ達に関しては、そもそも出産年齢が違うことが分かり、がっかり感を加速させただけだった。
そういえば産後の抜け毛も凄まじかった。数ヶ月したら生えてきたのは嬉しかったが、生えてきた毛は白髪であった。

いろいろな試行錯誤を試みた末に、私はついに悟った。
自分の若さと美しさは、もはや自分の手の内にはないということを。努力とか心構えとか、そんなぬるいものではコントロールできないほど遠くに行ってしまったものであるという現実を。

そもそも衰える年齢であったことと、人間を一人産んだことが重なると、こんなにも老いは加速するのか。母乳にはコラーゲンが大量に含まれているらしい。どうりで娘はツヤッツヤで私がカッサカサなわけである。私の中にわずかに残っていた貴重なうるおい成分コラーゲンも、数年前に娘がすべて持って行ってしまった。

でももしこれが20代なら、体のダメージもいくらか回復したかもしれない。老いもここまで露骨に顔を出さなかったかもしれない。

無事に出産したときは、健康な赤ちゃんを産めただけで感謝でいっぱいだった。そのうえ若さもキープしたいなど、贅沢な悩みなのかもしれない。
しかしこの老いの実感は、あまりに短い期間にまとめてやってきたので、受け入れるのにだいぶ手こずった。

こんなことでいちいち悲しんでいては、これから自分の体に確実に起こるであろう老いに耐えられないのではないか?老いていく自分を受け入れてなんとか折り合いをつけていかなければいけないのは、想像以上に哀しいものだった。2019年春夏の私は、まるで喪中のように、若さとの別れを惜しみ悲しんでいた。

でも秋になり、若かった緑色の葉が紅葉し始め、色とりどりの色彩を披露する美しい季節になると、自分の体のあらゆる部分に表れた老いの姿をゆっくりと受け入れられるようになった。2019年ももうすぐ終わり。私は「これからも、このやんちゃな体と共に生きていこう」と、すべてをすっかり受け入れた。不良少年も根は純粋で優しかったりするものだ。そんな自分の肉を愛して生きていこう。

夜泣き娘も5歳になった。夜8時半にはベッドに入り、朝までぐっすり寝てくれるようになった。夢のようである。あの数年間で失った若さはもう戻って来ない代わりに、信じられないほど手がかかるけどかわいい娘がなんとか育っているのだ。もうそれだけでいいではないか、と思うようになった。

今年はこんな葛藤があった、激動の2019年だった。

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