詩かな

計算が絶望的にできない。お客さんの対応をした支部からの問い合わせ。「全6回の定期購読商品を3回まで受け取っているが、それ以降はキャンセルするからいくら返金すればいいか。」取引先へ連絡すると
①お客様への返金②仕入れ値を払った弊社への返金。2つの数字が取引先から返ってきた。さて、決済する伝票にはどちらの数字を記入しないといけないのか、考えても全然わからない。今もわかってない。わからないまま、取引先にどちらの数字を書けばいいのですかと聞いて、言われるまま処理した。考えるのを手放した。数字が二つあったのは片方は参考のために記してあったそうだが、それがなんの参考になるのかすらわからないのであった。
数字のあれこれが絶望的。手応えがない。飲み会などで割り勘の計算などしたら、余計に混乱を生むのでしないのが世のため人のため。
今日もお問い合わせの電話が鳴る。通り過ぎていく問題をたくさん処理した。慎重に言葉を選ばないといけないお詫びのメールならすぐに書けるのに、数字が絡むと処理速度が落ちて、おまけに頭が痛くなる。
苦手なことはしないほうがいい。数字が苦手だからドリルを解いて鍛えようなんて思わない。苦手ならツールで補ったり、他の人に任せるのがよい。
プログラミングを使いこなせたらいいのに。最初の一回だけ苦しい思いをして仕組みを作ってしまえば、あとのことは処理してくれるようにしたい日常がいっぱいある。
庶民でもできる生活をちょっと便利にする実用プログラミング講座、の講師を務めるためにも今から勉強してはどうか。ラズベリーパイとかいう、ちっちゃいパソコンを使うと勝手がいいそうだ。
勉強は痛い、苦痛。知らないことを覚えないといけない。本当は何もしたくない。仕事のついでにプログラミングを覚えようとExcelの VBAの本を読んでみたりする。ついでじゃないとやらない。あと、Youtube先生のお力を借りないと。
エントロピーの無限に晒されてバラバラになりそうな体を、なにもしたくないと言ってネゲントロピーを囲い込む努力をする。
できないことが多いほうが、実はできることが多いのではないか。知ってしまうと、知らなかった頃には戻れない。なにもかも欲しがるとエントロピーに魂を持っていかれる。魂を維持しつつ、ほどよく遊ぶ。頭の体操、暇つぶし程度に知識欲を据え置く。
こうしてバランスをとりすぎてしまって、1人では一歩も動けない。頭の中での処理が至上。ハイになれる。それさえあればいい。だから他人が必要だ。
エネルギーが有り余ってる。自信が出てくる。体が強い。まだまだ情報を処理できる。柔軟に方向転換する。方向転換した先で適切に処理する。
こんなに生気がもりもりしているけれど、完璧にはなれない。なれないことを知っている。自信喪失して、負けず嫌いなんて言えなくなった、傷ついた大人だ。

構造はその外部との緊張を孕んだ相互作用によって、姿態転換を行うが、その時必ずや新たな残余が生成して外部へと排除される。そうして排除された部分の抵抗が、また新たな変動をひきおこすことになるのである。こうして、構造とその外部、秩序と混沌の弁証法は無限へと開かれ、起源なしの過程として立ち現れることになるだろう。

わけがわからない。詩かな。

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