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『誕生』(いもうと)

あねへ

こんにちは。いもうとです。
札幌は平年より遅いらしいみぞれ雪を確認した後、秋の名残のような日が続いています。ぽかぽかとあたたかい日の光、時間がわからなくなるほどの厚い雲、雨を含んで靴の裏でじゅんと鳴る落葉、ひいやりと冷たい夜。
そして、また冬が来るのでしょう。目に映るもの全てましろく、会いたいものが遠ざかるあの雪の中を、ただ次の一歩のことだけ考えることでやっと前に進める吹雪の道を、また歩くのだと思います。(やだなあ)

四男、お誕生おめでとう。ようこそ。生まれてきてくれてありがとう。生まれてくれてwelcome。
あね、お疲れさまでした。ほんとに身体を大切にしてください。

時折あねから送られてくるもちもちむちむちの四男の写真。良い顔をしているなあと思います。ほっぺただの腕だの足の裏だの、全身のもちむち具合を楽しみ、小さいのにきちんとついている手足の爪や、ホワホワに細くて柔らかい髪の毛やまつ毛やらに触れて、人体の不思議を堪能させていただきたいです。

お祝いに、おばちゃんが四男に中島みゆきの「誕生」を歌ってあげよう。

めぐりくる季節をかぞえながら
めぐり逢う命をかぞえながら
畏れながら憎みながら いつか愛を知ってゆく
泣きながら生まれる子供のように
もいちど生きるため泣いてきたのね

中島みゆき「誕生」

赤んぼうが泣くとき、暑いとか寒いとかお腹すいたとか、知らない人が触ってきたとか、お世話する人が何にもわかってないとか、快い状態を失った、あるいはふいに何がしかの欠落に堕ちて、大袈裟でなく言葉通り、その度に何度も「世界が終わってしまう」のだろうなあ、と思うことがあります。
でもそれは、赤んぼうに限らないのかもしれない。生きているものは、生きながら、泣きながら、何度も生まれ直していくのかもしれないね。

四男も、三男も、生き抜いてお母さんの「もちもちのクロワッサンやワクワクするようなデパート」と同じ、楽しい記憶の中に入った女の子も、命にめぐり逢うたびに、ほろほろとこぼれる涙のたびに。
めぐり逢うもの全ては、生まれてきて、出逢って、この瞬間を一緒に生きて、そして私が覚えているように、同じように覚えていてくれる。そんなふうに思います。

そうだ。
「本好きは家好きで猫好き」について。
もちろん個人差はあるでしょうし、私も猫と暮らすまで猫については全く知らなかったので、これは私の思うことです。
ずばり、もう充分、だから。
本は私のペースに合わせてくれます。読めなくなったらそこで閉じても、また開くまで、何も言わず待っててくれる。
家は縄張りです。片付ける努力の分だけ応えてくれ、散らかっているときは自分でも気づかぬ心の乱れを指摘してくれさえする。
猫はなんなんでしょう、この毛だらけの柔らかくて丸い生き物は。私みたいな適当な人間に、全部委ねて全信頼を寄せてくれる。肯定されているな、と思います。そして「愛したい欲」も満たしてくれる。かまいすぎてときどき噛まれているけど。
本!家!猫!他に何を望もうか。いや望まない。
慣れ親しんだ毛布、手のひらに触れる毛のぬくみ、ここにありながら、果てのない世界。充分です。足るを知るどころか、むしろこぼれそうなほどです。
読みたい本も欲しい家具も、猫を増やしたい気持ちもありますけれどね。

それでは。

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