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マチネの終わりに、より(あね)

いもうとへ

前の手紙からもう一月も経ってしまいました。あなたの手紙に衝撃を受けたのに、うまく言葉にできなかった。

「どんな人も、どんな雇用形態でも、休みたいときには不安なく休めたらいいのに。死後見つかった父の手帳には、ある日の日付に「解雇」と記されていました。どんな気持ちで家に帰ってきたのでしょう。」

というのが、その件です。ちちは苦しいとか辛いとか、そんなことは言わなかったね。悲しみや嘆きも見せたことはなかった。ちちの感情表現は、怒りだった。うまくいかないことに、満たされないことに、感情をうまく表現できないことに、いつも怒っていた。解雇された苦しみを、ちちはどこで吐き出していたんだろう、と思いました。

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「マチネの終わりに」という映画を観ました。主人公の2人もまた、誰かに苦しみを吐き出すことはなく、矛先は自分の内面の奥深く深くへ向けられていました。大人になるにつれて、とりまく環境や自分自身の感情は複雑になっていき、それが大人になるということでもあるのだと思いました。

けれど、2人はこうも言っていました。 

「開かれているのは未来だけでなく、過去もまた、未来によって変えることができる」のだと。2人の過去は、未来によって書き換えられていくのです。

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ちちの苦しかった過去は、あなたの「解く」作業によって、確かに変えられたと思うのです。自分の好きなように生きているように見えたワガママなちちは、家族思いで、思っているほどに自分に自信がなくて、孤独な寂しがり屋だった。愛しい人です。

私の「解く」作業はまだまだ終わりません。終わるのかしら。大切な三男の病気を発見することができなかった、あの時から亡くなるまでの過去は、未来によって書き換えられると思いますか?





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