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わかってもらえるということ。(いもうと)

おねいさま!
「魔女になりたいわたし」はポプラ社ではないのです。「フォア文庫」。岩崎書店、金の星社、童心社、理論社の協力出版によるフォア文庫です。わたしたちが愛してやまないブライトンの「おちゃめなふたご」シリーズを出しているのがポプラ社。いまはポプラポケット文庫という名前になったのね。

品切重版未定…!悲しい…!

私、この本の内容はあまり覚えていないのだけど、「ぶっか」のくだりは確かに覚えてる!「けいき」の方がいいんじゃないか、と思ったから。すでに景気は良くならないのに物価ばかり上がる時代の子供だったから。初版は1979年なんだね。わー、ちょっと図書館を探してくる。ぜひまた読みたいです。


あねはこの本を読んだから読書感想文を書きたいと思ったの?それとも読書感想文を書こうと思って本を選んだの?もう覚えてはいないかな。でもどちらだったんだろう、と思います。あねの、無垢な創造性がほとばしる瞬間のこと。なんて書いたか覚えてる?

「おじさんのかさ」の感想文、なんて書いたか思い出そうとして、なぜか同じクラスの男の子が書いた冒頭を思い出しました。「おじさん、こんにちは。おじさんのたからものは、かさなんですね。ぼくのたからものはサッカーボールです。」……
たからものを見せ合って、どちらのたからものもいいよね、という内容だった気がする。いいなあ。
自分の書いたものはひとつも思い出せません。


あねに出した手紙を読み返してみて、いやまだ何か、私が考えたことの先に何かあるな、でもなんだろう、うまく言い表せない気持ちがある…と思いましたが、あねの言う「知る努力」がそれなのだと思う。

その人の中にあるのに、示されなかった、表現の術がなかった、あるいは叫んだのに受け止められることのなかった気持ち。消えていかざるを得なかった気持ち。伝わらない気持ち。そんな存在のあること、またそんな気持ちが自分の中に存在することに気づかないこと、それはやはり悲しい、と思う。
だから、あねの尊敬するNPO法人の方の「知ることが支援の第一歩」と言う言葉は、心の底に沈む気持ちに手を伸ばそうとしてくれる声だ、と思います。正の方向に進む気持ち、負の方向に引きずる気持ち、醜くても情けなくてもささやかでも、何であろうと紛れもなく自分の中に存在しているものを、否定することなく聞いてくれようとするのでしょう?
その人の中に生まれた感情は確かにそこに「ある」ものだけど、誰かに届いてやっと発見される。どれだけ社会から距離を置いても、他者に届いて色を持つのだと思う。
あねがのぶちゃんをかっこいいと思うのは、あねに「のぶちゃん」が届いたから。私にも創造性があると信じてくれるのは、私の何かがあねに届いたから。あねがいま、手を伸ばそうとしているのは、上手く生きよう、頑張ろうとして置き去りにした、「わたし」。忘れられていた、見失われた、気づかれなかった存在。

正だろうが負だろうが、そこに存在することに変わりはない。あるがままにあるもの。それを聞こうとしてくれる手を、誰もが欲しているのだと思う。お母さんの再婚に戸惑う子どもの気持ちも、傘を大切に思うあまりに雨を楽しめない生き方も、届かないと恐れを孕んだ叫びも。
あねに気づかれた全ての気持ちがありがとうと言うよ。あねが気づいてくれたことで、あねに届いたことで、伝わった。


それでも誰にも届かないかもしれない、気づいてもらえないかもしれない、そんな叫びのために、文学や芸術はあるのではないかと思います。
世界中の叫びの中には、同じもの、せめて似通ったものがきっとある。人間は多種多様で、やはり誰かに連なるものだと思うから。


また弟になんか言われそう。これもいつかの弟の言葉です。
「言葉に頼りすぎない方がいいよ。数式だったら簡単に分かり合えるのに、言葉が介在するからわからなくなるんだ。」
それでも数式を持たない私には、やはり言葉を尽くすしかないのだよ。


おちゃめなふたごの宣伝しとこ。

私が読んだのはこの装丁。

やられたらやりかえす、やるときはやるガール!

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