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子どもを亡くした母親が気持ちを投稿すること(あね)

いもうとへ

永らく間が空いてしまったので、話題をガラッと変えようと思います。

今朝インスタを開いたら、あなたの読書記録の投稿が最初に出てきました。段々とあなたらしさが出てきた文章を読んで、嬉しく思っています。このnoteでの往復書簡を始めてから、私たちは互いに想いを綴ってきたけれど、相手へのメッセージのそれと、自分の内なる表現のそれとは、また性格が違って面白い。とにかく、私たちはこれらを始めてよかった。あなたもそう思うでしょう?

それで、今回は「人間は何のために生きているのか」という、青臭いような、それでいて深い哲学のような、誰もが答えを探し求める質問についてを話題にしたいと思います。それについて、私は自分なりの明確な答えを持っているのです。

それは、自分を表現するため、ということ。生まれた時から私たちにすでに備わっている自分らしさを、私たちは表現するために生きているのだと思います。赤ちゃんの頃から性格はあるし、子どもは快と不快のみで感情を表すでしょう?それなのに、あぁそれなのに、成長とともに、養育者のふるまいや社会の価値観に触れて、良い子であるために、あるいは良い子になんてなりたくないと思うがために、私たちは自分を作り上げる。本来の自分らしさなど、もう忘れたかのように。

でも、ちちがよく言っていたように、人生にはその後の人生を変えるほどの大きな転機が幾度かあって、それは多分本来の自分らしさを思い出した時なのだと思う。そしてそれに少しずつ近づくようにして、私たちは生きていくのだと思う。自分を表現するために私たちは生きている。その表現が、自分を、他人を、幸せにする力を必ずもっている。こんなふうに、思うのです。

私のインスタの投稿も、気づけば200を超えました。子どもを亡くした母親として、その思いを表現することが、私の今の生きている意味でもあると思っています。それはタブーなんかではない。あの子を失ってから紡ぎ出された物語を、知らない誰かが読んでくれて、何かを受け取ってくれたらよいなぁと思っています。

これからもお互い、綴っていこうね。

https://www.instagram.com/p/CU_Z6uRpiKm/?utm_medium=copy_link

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