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cannotではなくwill not(あね)

いもうとへ

ハロー。あねです。元気ですか?私はぼちぼーち、です。低空飛行、でも燃料補充はしっかりと、てな感じ。

ところで扉絵の写真なのですが、これは次男がアトリエで3週かけて作り上げた、ティラノサウルスです。無心で作ったというそれを見ると、子どもとはいえ人間の、やりたいという込み上げる気持ち、意欲という名の欲望を感じます。人間は何のために生きるか、は、自分を表現するため、という私の考えがまさにここにあります。彼はまさに、生きているのだな、と思います。

さて、あなたの言う「私の物語を生きるため」というのも、つまりは私たちは同じようなことを言っているのではないかな、と思いました。あなたが誰かの物語を欲して、本を読んで読んで、そしてその感想文を綴って公開していること。それこそが、あなたが自分の物語を生きていることなのだと思います。

下手でええねん、というちちの言葉。目尻の下がった微笑みを浮かべて、優しい声でそう言ってくれたちちに、ものすごく会いたくなりました。「肩の力抜けや」という意味だと思っています。

今、子どもを亡くした私は、たくさんの後悔と失望が浮き沈みする、不安定な人生を生きている自分を何とか助けたいと思っています。その助るものとは、哲学者の思想や、歴史や、学問であり、読んでは考え、言葉をつむぎ、一つ一つ自分の心を明らかにしています。そして人と会い、話をし、自分の鏡となってもらいます。あるいは、見返りを求めない優しさに包んでもらうこともあります。そんな日々です。生産性は無く、人から心配されることもあります。

この日々を、ちちの、「考えろ」の言葉に後押しされて、支えられて過ごしてきました。考えることは、精神を崩壊させることを防ぎ、寝食を整えてくれる大切な作業でした。でも、少し疲れたようです。悲しみの自分と、考える自分とを分けて考えても、肉体は一つです。先日吐き気がするほどの頭痛に襲われて、一度身体を壊しました。

ちちに、疲れたよ、って言いたい。きっと父は、「休めばええねん」って言ってくれると思う。下手な人生でええねん、それが人間やねん、って。

ひとつ、あなたにアドラーの言葉を送ります。トラウマ、を人生の嘘だといい、今ここを生きるべきだというアドラーは、「やることができない」というものはなく、それは意志を持って「やらない」のだ、と言っていました。

堂々と、生きたい。今は訳があって仕事ができないのではない。意志を持って仕事をしていないのです。cannotではなく、will not!でも、私の今の時間はとても濃密です。自分の物語を生きています。



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