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マツケンサンバは語らず踊る

1.マツケンサンバはサンバなのか

マツケンサンバⅡを聴いていたときに、ふと思った。

「これ、サンバなのかなあ?」

この「なのかなあ」という不安さを孕んだ語尾には理由がある。チェリッシュ(1973)〈てんとう虫のサンバ〉や郷ひろみ(1981)〈お嫁サンバ〉は全然サンバに聞こえないのだが、〈マツケンサンバⅡ〉はちょっと微妙なラインではないかと思ったのだ。

この件に関して、Wikipediaの「マツケンサンバ」の項目には次のようにある。

タイトルが「サンバ」でありながら音楽的には歌謡曲だったり、『II』の歌い出しが「叩けボ〜ンゴ」(サンバでボンゴは使用されない)だったりと、正統的なサンバとして作られた曲ではない。(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%84%E3%82%B1%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%90#%E3%81%9D%E3%81%AE%E4%BB%96

なるほど、サンバではないのか。しかしこんな出典不明の情報で判断するわけにもいかないので、音大生の妹にも訊いてみた。

兄「マツケンサンバⅡってサンバなの?」
妹「サンバじゃないと思う。サウンドがサンバっぽくない(サンバはもっとパーカッションの音が強いイメージがある)し、サンバはボンゴ使わないもん

ネットで調べると某有名ミュージシャンが「音楽的にはサンバじゃない」みたいなことを言っているという話もあり、「サンバじゃない派が多数派なのかな」と思っていた矢先、知人のミュージシャンがこのようなnoteを発表しました。

ここでは熱い文体で「マツケンサンバⅡはサンバ」論が展開されている。この文章の面白いところは音楽的にはサンバではない、という指摘に対して明確に反論している点だ。

さて、こうして家族や友人らを巻き込みながら「マツケンサンバⅡってサンバなの?」という話を聞いて回っていたのだが、いよいよ「あなたはどう思うんですか?」という逆質問が来るようになった。漠然と「マツケンサンバⅡはサンバっぽくない気がする」くらいに思っていたが、ここであることに気づいた。

じゃあ何がサンバなんだ?

そう、ここにきて自分がサンバ曲を1曲も知らないことに気づいたのだ。では僕は何と比較して「サンバっぽさ」を判断していたのか。僕の知っている音楽の中でサンバのイメージに最も近い音楽を探したところ、THE BOOM(1995)〈風になりたい〉が見つかった。

〈マツケンサンバⅡ〉と〈風になりたい〉は何が違うのか。どういった違いが僕の中での「サンバっぽさ」を形成しているのだろうか。

2.リズムとタクト

サンバの特徴はそのリズムにある気がする。そこで、人文屋の視点でサンバのリズムにアプローチしてみた。

哲学者ルートヴィッヒ・クラーゲスは我々が漠然と「リズム」として認識しているものを、「リズム」と「タクト」とに分けて論じている。まずは「タクト」の部分を引用しよう。

tangere=触れる、突く、打つに由来する拍子Taktは、音響芸術においてはもともと弦を規則正しく打つことあるいは爪弾くことあるいは時間の歩みを打楽器によって強調することに用いられるものであった。(クラーゲス(2011)『リズムの本質について』平澤伸一・吉増克實訳p.7)

なるほど、メトロノームや時計の針のようなチックタックの要素が「タクト(拍子)」のようだ。では「リズム」の方はどうか。

ギリシア語のレイン=流れるに由来するリズムの語を文字通りに受け取るなら、それは何か流れるものであり、したがって途切れることのない連続性である。(クラーゲス 2011 p.21)

クラーゲスにとって「リズム」とは「途切れることのない連続性」、つまり寄せては返す波のようなひとつの流れのようだ。

僕が〈マツケンサンバ〉と〈風になりたい〉との最大の違いであり、僕の中での「サンバっぽさ」を形成している点もここにあると思う。

〈マツケンサンバ〉はかなり強く音を切っている部分がある。曲のはじめや「マツケン・サ・ン・バ~♪」の直前など、明確に「タクト」的なリズムが意識されているように聴こえる。

一方〈風になりたい〉では一貫して、流れるような〈リズム〉が意識されているように聴こえる。もちろん「リズム」と「タクト」は表裏一体の概念であるとは思うのだが、〈風になりたい〉の主旋律は、まるでそのまま永遠に歌い続けていられるかのような「途切れることのない連続性」が感じられる。僕の感じる「サンバっぽさ」の正体はこういったものなのかもしれない。

しかしブラジルのサンバでは、本当にそのような「途切れることのない連続性」が意識されているのだろうか。このような疑問を抱きつつサンバについて調べていた僕は、すぐにこの問いがナンセンスな問いであることに気づいた。サンバと呼ばれる楽曲群は僕が想像していた以上に多様な性質の音楽を含む広大なジャンルであることに気がついたのだ。

むしろここで問うべきは僕が「サンバっぽさ」という大きな言葉でくくってしまったステレオタイプなイメージの、その雲のような曖昧さの影、すなわち「そもそも『サンバっぽさ』、換言するなら『ブラジルらしさ』とはなんなのか」である。

3.ブラジルの水彩画

まずはブラジルで最初にヒットしたサンバとして知られるドンガ(1917)〈ペロ・テレフォーネ(Pelo Telefone)〉を聴いてみよう。

〈マツケンサンバⅡ〉が想起させるサンバのイメージとは異なる印象を受けるのではないだろうか。それどころか、今日我々がイメージするサンバとはほとんど共通点がないように思える。

高橋亮太(2008)「サンバとナショナリズム――ヴァルガス独裁政権との蜜月――」によればサンバがブラジルの国民音楽として発展した背景にはジェトゥリオ・ヴァルガス(Getulio Vargas)による第一次独裁政権(1930-1945)が強く影響しているという。ここで少し、ブラジルの近代史とサンバの関係についてみてみよう。

高橋によれば19世紀後半、パラグアイ戦争や奴隷解放、カヌードス戦争によって古いブラジル社会は根底から打ち壊されたという。また住吉育法(2003)「ブラジルの政治と大衆文化」によればブラジルにおける黒人奴隷廃止(1888)後、ブラジルではポルトガル語をめぐるナショナリズムの高まりが顕著になったのだという。

そして1915年までにはカポエイラやカンドンブレーに代表されるアフロ・ブラジル文化がリオデジャネイロに大挙して押し寄せた。その結果、多数のアフリカ系ブラジル人が居住する市内北部のプラッサ・オンゼ(第11広場)は「小アフリカ」と呼ばれるようになった。(高橋 2008 p.125)

そうした情勢下で、ブラジル大衆音楽の母と呼ばれるシキーニャ・ゴンザーガが大衆音楽の解放を目指して活動する。1914年、彼女の作曲したマシシェ(maxixe)と呼ばれるブラジルのタンゴ〈Corta-Jaca〉を大統領夫人が官邸カテテ宮でギター演奏するという事件が起こり、これ以降エリートのサロンでも大衆音楽が自由に演奏されるようになったようだ。(住吉 2003)

こうした時代背景のなかでサンバは生まれた。1917年プラッサ・オンゼにあったチア・シアータの家で、ブラジルで最初にヒットしたサンバ〈ペロ・テレフォーネ〉は作られた。チア・シアータの家のような社交の場はいくつもあり、解放奴隷たちがサンビスタ(サンバ演奏者)として活躍した。

しかし当時のサンバは警察権力から疎まれ、抑圧されていたという。(高橋 2008)

20世紀のはじめ、プラッサ・オンゼではサンバ自体が禁止されており、加えてリオの低所得者層はたびかさなる都市開発によって移住を余儀なくされていた。こうした状況のなかで、サンバを支援したのがヴァルガスだった。ナショナリズム政策の一環として「ブラジリダーデ(ブラジルらしさ)」を具現するべく、ヴァルガスはマスメディアを利用した文化操作を行った。サンバ全体を支援しつつ、マラドラージェン(ならず者の生きざま)を賛美するような歌詞は報道宣伝局の検閲により削除され、サンバは勤労や愛国を歌う音楽へと変質させられていった

こうしたヴァルガス独裁政権の影響下で、1938年につくられた曲が〈ブラジルの水彩画(Aquarela do Brasil)〉であった。愛国心に溢れたこのサンバは1941年に来伯したウォルト・ディズニーによってアメリカに伝えられ、ブラジルを代表する音楽としてのサンバが知られるようになった。

この曲には我々のイメージする「サンバっぽさ」が至る所にちりばめられていると思う。僕たちの思う「サンバっぽさ」は20世紀初頭、一人の独裁者の権力によって作られたものだったのかもしれない。

明るく、愛国心に溢れたサンバ、貧しい怠け者を賛美するサンバ、サンバの世界は僕が最初に思っていたよりずっと広く、それに比べて僕が「サンバっぽさ」として感じていたものは驚くほど狭い。これを踏まえたうえで、最後にあえて問いたい。

〈マツケンサンバⅡ〉はサンバなのか?

4.「らしさ」の甘い罠

〈マツケンサンバⅡ〉は実際、ステレオタイプな「サンバっぽさ」に溢れている。しかし〈マツケンサンバⅡ〉の歌詞だけを見てみれば、それは日本におけるステレオタイプなラテンのイメージがちりばめられたものであり、音楽や踊りの引き立て役のようになっている。歌詞の内容は「踊ろう」の一点張りであり、語りと呼ぶにはあまりにも内容が薄い。

もちろん、この一点だけで〈マツケンサンバⅡ〉をサンバではないということはできない。実際、サンバというジャンルは一般に認識されているよりもはるかに広い楽曲群をさす言葉であり、〈マツケンサンバⅡ〉をサンバではないと断言することは難しいと思う。しかしサンバの歴史を調べる中で、歌詞がサンバの重要な要素であることがわかった。サンバの歌詞はときに検閲され、ときに歪められながら大切なメッセージを語ってきた。そうした語りの一形式としてのサンバを考えた時、〈マツケンサンバⅡ〉にはこれが欠けているのではないかと思えてきたのだ。

一方〈風になりたい〉には「~になりたい」といった意志の表明がある。それは相手を説得するような「風になろう」ではない、希望としての「風になりたい」であるのだが、同じ歌の中には語りの対象である「あなた」もまた明確に示されている。歌詞を通して語られているのは、困難のなかにあっても「あなた」と出会えたことの幸せを感じて「風になりたい」と願う話者の祈りである。「風」というのは自由さであり、不定形さであり、心地よさだ。降りかかる困難の中で「風」になりたいと願う話者の祈りは、土地に縛られた「愛国」や職業に縛られる「勤労」とは対極の生き方であり、初期サンバにおけるマラドラージェンの讃美と共通の根をもつ詞として読むこともできるかもしれない。

〈マツケンサンバⅡ〉は「サンバっぽさ」「ラテンっぽさ」をちりばめられてつくられた「サンバもどき」ではないかと思う。いろんな「らしさ」をちりばめてお祭り的な曲をつくるのもいいじゃないか、そういう意見も理解はできる。実際、ブラジルのサンバも複数の文化の混淆のなかで生まれてきたものであるし、そもそもあらゆる文化は複数の文化の混淆の中で生まれてきているはずで、「もどき」的なものこそが文化の大切な萌芽であるというのも紛れもない事実である。

一方で我々はすでにヴァルガス独裁政権が利用した「らしさ」の甘い罠を知っている。ヴァルガス政権はサンバの「ブラジルらしさ」を強めながら、都合の悪い部分を排除していった。この歴史からは、語りに耳を傾けることの重要さを受け取ることができると思う。「らしさ」に気を取られるあまり、大切なものを見過ごしていないか。常に自問していきたいものである。

参考文献

・高橋亮太(2008)「サンバとナショナリズム――ヴァルガス独裁政権との蜜月――」言語と文化 2  pp.121-136

・住吉育法(2003)「ブラジルの政治と大衆文化」京都ラテンアメリカ研究所紀要 3  pp.93-111

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