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(小説)逍遥するマカローニ

 逍遥するマカローニ、マドンナをみつける。花のような美しさ。マカローニはついふらふらとついていく。季節は夏、日陰にはよい風が吹く。太陽に輝く女の髪。マカローニは直視できない。仕方なく、女の影をみてあるく。軟弱なマカローニ、アスファルトの影を追う。
 街角のマドンナはパン屋へ入る。マカローニもパン屋に入る。なんていい香り。焼きたてのパンの、豊饒な香りがマカローニの鼻を健全にする。小麦とバターの魔法。マカローニは棚を眺める。クロワッサンを二つ、胡桃パンも買っていこう。マカローニは店を出た。紙袋からクロワッサンをとって食べる。サクサクとした食感が嬉しい。香りも申し分ない。昼下がりの街、歩く人は少ない。ベビーカーを押す女が、マカローニの前を通る。ちらとみえた赤子のかわいらしさ。マカローニは胡桃パンを取ってかじりつく。マカローニの顎が胡桃パンを裂く。しっかりと残る歯の跡。マカローニは買ったパンを平らげた。すると、パン屋からマドンナ。マカローニは、雷に打たれた。そのしびれた足のまま、マドンナの影を追う。
 彷徨するマカローニ、美しい女のかかとを追いかける。もし振り向いてくれたなら、なんて声をかけようか。マカローニはナンパな男。声をかけるなんざ、息をするようなもの。でもなぜかしら、マカローニ。息の仕方も忘れちゃって。マドンナのかかとが角を曲がる。マカローニも角を曲がる。その先に橋。道を走る車の音が、幸福な妄想を途切れさせる。マカローニ、マドンナを見る。歩く速度が、あってくる。マドンナが右足を出せば、マカローニも右足を。マドンナが左足を出せば、マカローニも左足を。指先の動き一つまで、マカローニはマドンナの影になった。息も、リズムも、マドンナのものになった。
 マカローニはマドンナよりもマドンナに。もはやかつてのマカローニはそこになく、ぽっかりと空いた身体はマドンナで満たされた。マドンナの貌(かお)は見えないが、マカローニは忠実にその表情を模倣した。唇の感じ、まつ毛の感じ、頬の感じ、全てはマドンナになった。マカローニの逍遥、マドンナよりもマドンナらしく。マカローニの相貌、マドンナよりもマドンナらしい。橋を渡り切るころには、マカローニはすっかりマドンナになった。他には誰もいない町。二体のドッペルゲンガーは、古い建物が残る街並みを、並んで真っすぐ歩いてる。
 覚醒するマカローニ、俺はなんてバカなことをしていた。突然、マカローニは羞恥に襲われた。恥ずかしいぞマカローニ、マドンナははるか遠くの蜃気楼。ゆらゆらとゆれるマドンナを、慌てて急いで追いかける。景色は面から線となり、疾走するマカローニ、貌の輪郭もふざけて揺れ動く。加速してくマカローニ、やがてすべては色鮮やかな線となる。遠近法は消え失せて、色と立体と速度になった。
 抽象的マカローニ、とうとうマドンナに追いついた。晴れた日の横断歩道、信号に並ぶ二人の線描。恋焦がれた瞬間——でも、息の仕方がわからない。頬を伝う汗。マドンナは涼しい顔して美しい。マカローニは……心臓の音さえ聞こえそうなのに。
 逆走するマカローニ、俺にはもうわからない、何ひとつ。なんてちっぽけでみじめな男。万人が彼に石を投げる。血まみれになってうずくまる。そんな妄想すら、慰めにならない。マカローニは間違えた。しかし、生まれてきてしまった。まるで世界に独り。世界の解像度が落ちていく。どこにも焦点が合わない。拷問のような幻想。気づけばさっきの橋の上。
 爆散するマカローニ、肉片と血が橋を汚した。太陽が小さな体を臭くする。橋はマカローニの臭い。何の前触れもなく破裂した。瞬間、世界が転倒、肉をアスファルトが焼いたまま。焦げた臭いが橋を包んだ。破裂したマカローニ、お前は汚れなき愛の殉教者。しかし肉は橋を臭くした。

 いつの間にか、橋の周りには人だかりができていた。警察がうろうろと仕事をしている。群衆のなかにはマドンナもいた。マカローニの臭いはマドンナの鼻を不健全にした。破裂したマカローニの傍に誰かが近づいてくる。白衣に身を包んだ長身の、灰色の皮膚を持つ男。彼はマカローニの何かを持ち去った。橋からマカローニはいなくなった。

 機械化したマカローニ、目覚めると彼は哀れなサイボーグ。鉄の身体に感覚はなく、あるのは記号化された思考だけ。彼がいたのはとある研究所。しかし誰一人そこにはいない。マカローニはフラフラと動き出す。そう、破裂した、あの日のように。
 亡霊追うマカローニ、あるいは彼こそがすでに幽霊。無機質な壁を越えて、外へ、外へ、とにかく外へ!もしも叶うならもう一度、恋に震えた記憶のあの人に。なぜか残ったこの命、錆びつく前にもう一度。機械の身体を引きずって、弱く、強く、歩き出す。もはやあの日の彼ではない。鋼の目玉に鉄の魂、もはや揺れることはない。真っすぐに、ただひたぶるに、次の一歩を踏み出して。前進するマカローニ、とうとう研究所から脱け出る。
 絶望するマカローニ、時代は果てしなく過ぎていた。見慣れた景色はもはやなく、未知の技術が世界を覆ってる。あの人はきっと生きてはいまい。鉄の歩みはたよりなく、心泣けども涙はでない。落涙できぬマカローニ、なんてちいさくみじめな裸。季節は冬。凍った道に転ぶも鉄の身。起き上がり、またとぼとぼと。気がつけばあの橋の上。そこに小さな面影。
 逍遥するマカローニ、小さな、小さな、マドンナの親子を追いかける。マカローニは鉄の唇で、そっと少女に声をかける

「あの、君の親戚に、ここで、爆発した男を見た女の人はいますか。」
「ばくはつ?」
「あの、ここで、追いかけたんです、マドンナを。夏の日に、それで、僕は……」
少女の母が振り返って言う。
「去年亡くなった祖母がそんなことを言っていたような気がします。今からそのお墓参りで」
マカローニはいつかのように、雷に打たれたようになった。少女の母は言う。
「祖母の、お知り合いの方かしら?あの、名前は……」

 墓前に座すマカローニ、長い旅路もここまでか。ああ、ようやくここで落ち着いた。墓の下にある魂が、マドンナかなんてどうでもいい。思い出せれば、それでいい。たった一度の一目惚れ、それが今や生きる理由か。

(機械の熱が雪を水にする。水がマカローニを壊していく。意識は徐々に薄れていく。)

 落涙するマカローニ、鋼の目玉が雪を水にする。水は頬を伝って落ちる。まるで桜を散らす五月雨。
 沈黙するマカローニ、そろそろ旅も終わるのかしら。

 無垢な少女は母に問う。
「あのロボットのおじさんはどうしてああしてるの?」
「あのロボットのおじさんはね、とっても短い、長い時間を生きたのよ。」
「ママ、あのロボットのおじさんのこと知ってるの?」
「知らないわ。」
少女の母は笑って言う。

「だってあの日、ちょっと前を歩いていただけなんだから。」

 崩壊するマカローニ、最後までマドンナの顔は見れず。

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