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なぜいわきFCに感謝するのか?

「浜を照らす光」とは何か?
光は浜の何を照らしているのか?
なぜ、ただのスポーツクラブに、感謝の気持ちを抱くのか?

いわきFCサポの鹿児島遠征に密着したYouTubeを見て、いわきを離れた方や、いわきに縁が無かった方が、いわきFCを通して、いわきとの繋がりを保ち、帰省のきっかけとなり、果ては新たに興味を持つことに繋がっていることを知りました。


また、前回の記事に書いた通り、ホームタウンの住民にとっても、地元に目を向けて、誇りを新たにする契機となっています。

いわきFCが語られる時、特に地元や地元出身者が語る時、感謝というワードが非常に多く出てきます。もちろん、自分自身も、スポーツチームに対する応援を超えた、感謝の気持ちがあります。

なぜ浜通りの民は、いわきFCに感謝してしまうのか?何に感謝しているのか?

前回同様、ホームタウンの一人の住民の目線から、記してみたいと思います。



◯誇りや自信は無かった。でも何となく、この場所が好きだった


前回のNOTEにも書いた通り、いわき市民、そしておそらく双葉郡の方々も、地元に対しての誇り、自信、郷土愛なんて、震災を経験する前や、いわきFCが誕生する前までは、皆無だったと思います。

そこそこ何でもおいしけど、全国的な名産と呼べるものは無い。観光スポットはハワイアンズとアクアマリンしかない。文化、芸術の香りは皆無。治安やガラが悪い。ダサい、何もない、誇りなんて持てやしない。
そのような意識の中、同級生の多くは進学とともに地域を去り、そのまま首都圏で就職してしまう…
 
しかし、暮らしにくく、居心地が悪く、捨て去ってしまいたい場所だったかと言われれば、そうでもなかったはずです。

または、進学や就職で他地域に出た後、気候、風土、食事などの面で、他の地域に比べて、いわき市・双葉郡が、著しく見劣りしたかと言えば、そうではなかったのではないかと思います。
 
多分、文化やインフラ的な部分よりもっと根本的な、文字通り「生きて」行く場所としては、それなりに満足できる場所だったのではないかと思います。

海と山、両方の自然の恵みがあり、降雪地域などに比べれば気候が穏やかで、変な言い方ですが、生物が生息する環境という面で見れば、過ごしやすい場所だと思います。

また、最低限困らない程度には生活環境が整っていて、東京・仙台のいずれも 2時間半程度で遊びに行けます。

列記してみると、めちゃくちゃ魅力的では無いものの、まぁ、最低限満たされてはいるし、悪くはないです。

都会や、そこに進学や就職で出た同級生への劣等感は多少あれど、親、親戚、知り合い等、地方都市ならではの煩わしさはあれど、穏やかな気候に囲まれ、日々の生活も最低限は満たされた中、季節ごとの「うめぇもん」食って、地元の友人や帰省した友人と酒飲んで、たまには都会に遊びに行く…

災害により傷つき、一部は失われてしまった今はわかります。

結構、満足していたし、それなりに幸せを感じていたと思います。ここでの暮らしに。

◯本物の終末感、震災と原発事故


2011年3月、東日本大震災が発生。その直後、福島第一原子力発電所の事故にも見舞われます。

他の被災地域と同様に、沿岸部を中心として、地震・津波による甚大な被害を受けました。

一方、他の被災地域にはない特異な被害、原子力発電所の事故による放射性物質の拡散と、その影響による、真偽入り乱れた安全性への懸念、いわゆる風評被害にも見舞われました。

目に見える、地震と津波による甚大な被害。そして、目に見えない、得体の知れない、未知かつ未曾有の災害、原発事故。そして更なる破滅的な事態に至る可能性もありました。

恐らく近代日本では他に例の無い、生命や財産だけではない、生活の基盤があり、家族、親戚、友人が住み、思い出の詰まった地域の、大袈裟に言い換えれば、世界の破滅すら感じさせる、本物の終末感に押しつぶされそうになりました。

皆さんの地元にも、〇〇街道や国道○号バイパスと呼ばれ、朝夕は渋滞が発生し、全国チェーンの家電量販店や衣料品店、いわゆるロードサイド店舗が並び、ヘッドライトと電光看板に遅くまで照らされる、地域の中心となる幹線道路があると思います。いわき市では、鹿島街道や国道6号バイパスが、それに当たります。

原発事故直後、ほぼ全ての店舗が営業を休止。夜、目の前を照らすのは、信号と自分のヘッドライトだけになりました。

信号以外の全ての明かりが消え、漆黒の闇に赤いライトがどこまでも伸びる。その中を、自宅から職場、職場から仕事先へ、誰ともすれ違わずに走る…

世界から取り残されたような孤独感、未知の、見えない脅威への恐怖、更なる破滅的な事態の可能性…それらが全て漆黒の闇となり、押し潰されそうになる気がしました。

◯見えない恐怖が、誇りを傷つけ、分断を招く


2011年の4月くらいまでは、生活の傍には、常に破滅の予感があったように感じますが、その後、どうにか今日まで破滅的な事態は迎えずに来ています。(収束した、とは言いませんが)

原発事故では、多くの人命と財産が失われるととともに、地域全体が、様々な影響を受けました。

その影響はあまりにも膨大であるほか、専門的な書籍や記事が多数存在するため、ここでは一例を記載します。

・事故直後、物資やガソリン運搬のトラックがいわき市・双葉郡地域への運送を渋るケースがあった。
・いわきナンバーの車両への給油拒否など差別的な扱いがあった。
・一部の影響は今にも続いているが、農産品の取り扱いや、観光などによる来訪者数に影響があった。

これらは、大変悲しかったとはいえ、未知かつ未曾有の事故であり、特に事故直後に関しては、仕方ない部分もあると思っています。同じようなことは、新型コロナウイルスの流行直後にも見られましたし、自分も差別的な言動には至らないものの、恐怖を抱く気持ちは体感しました。

また、地域外からの扱いだけでなく、地元住民にも大きな影響を及ぼしました。上記と同様に、一例を記載します。

・原子力発電所事故発生の直後から、他地域への避難する住民が多数発生した。
・多くは2011年4月頃までには帰還したように思えるが、他地域に移住し、2度と戻らなかった人もいる。
・家族間で危険性への評価が分かれ、別居や離婚を選択する方もいた。(自分の周りでも複数のケースを見ています。)
・地元に居住しているが、地元農水産品を危険視し、採り入れない。農家や自家栽培からの野菜を断る。(作っている人、子供への影響を考慮して地元産品を避けていた人、どちらも知っているので、複雑でした。)

虚実入り乱れた様々な情報により、周囲からは危険視され、人と人、人と地域の分断が起こりました。

一方、前回のNOTEでも書きましたが、災禍という同じ痛みを乗り越えたことで、地域一体に対する郷土愛のような気持ちが芽生えつつあったため、誇りが育まれると同時に、その誇りが傷ついていくという、苦しさがありました。

また、地域の農水産品は相変わらず魅力的で、出荷再開後は、以前よりも感慨深い魅力と味わいがあり、一層愛おしく感じました。

でもその味わいには、除染や放射性物質の検査を徹底してもなお危険視されることへの、一抹の寂しさも付きまといました。
「うまいんだけどなあ」「でも仕方ないか」「ずっとこうなのかな」と。

◯いわきFC。その存在と挑戦が、承認と救済に繋がる


少し震災・原発事故関係の記述が長くなりました。お待たせしました、ここからいわきFCが登場します。

震災から少し時間が経過した2015年の末、現体制のいわきFCが誕生しました。その後、9年間で7回の昇格を果たし、現在はJ2リーグで戦っています。

現在所属してくれている選手はもちろん、これまで多くの選手が、自身のレベルアップとステップアップを目指し、挑戦の意思を持ち、希望を抱いて、いわきFCでプレーしてくれました。

未知かつ未曾有の災禍に見舞われ、マイナスイメージが付き纏い、人から避けられたり人が出て行ってしまっていたこの地を、プロとしての希望と野心を持って、挑戦の地として選んでくれたという事実に、大いに励まされます。

個人的に特に嬉しいと感じているのが、韓国出身のジュヒョンジン選手、ヒョンウビン選手が、高卒後最初のプロチームとして、異国かつ被災地域に立地する、いわきFCを選んでくれたことです。

韓国では、福島県産の農水産品の輸入が制限されており、未だに原発事故への評価が厳しいと聞いています。そのような中で、いわきFCへの入団を決意してくれたこと、この地で挑戦してくれていることが、本当にありがたく、また意義のあることだと思います。ここ福島・いわきで、韓国を代表するような選手に成長してくれれば、韓国における福島・いわきのイメージや評価が変わるのではないかと期待しています。

そして、いわきFCの「日本のフィジカルスタンダードを変える」「90分間倒れない、止まらないサッカー」の体現のためには、ハードなトレーニングと同じくらい、栄養補給も重要です。

その栄養補給の一環として、トレーニング後に提供される食事に「常磐もの」と呼ばれる地元の水産品が取り入れられています。地域振興のためという狙いもあるでしょうが、プロ選手に提供する食事です。データやエビデンスに基づき、医師や栄養士が厳しくチェックし、栄養補給面での有益性はもちろん、当然ですが健康上も問題ないと判断した上で提供されているはずです。

これまでも、復興支援、風評被害払拭などの名目で、農水産品販売促進のための様々な情報発信やキャンペーンが展開されていました。しかし、データを示して「安心、安全」を訴えるだけでは、限界がありました。

そのような中で、地元の農水産品を食べたプロフットボーラーが、ムキムキに進化し、相手を吹き飛ばしながらカテゴリーを駆け上がり、J2でもプレーオフ争いを演じる…風評被害払拭を優に超え、新たなプラスの、ポジティブで力強いイメージを与えてくれる、どんなキャンペーンにも勝る存在と感じます。

またチームから提供される食事だけではなく、プライベートでも地元農水産品を楽しんでくれていることにも、とても励まされる思いです。(泉駅前の名店「酒縁てる」さんに、選手が訪れている様子をSNSなどで目にしました。)

◯感動と情熱と喜びが、地域に光を当て、人と地域を再結合、新結合させる


また、特にJ2昇格以降は、多くのアウェイサポーターの皆様が観戦に訪れ、ホームタウン地域を満喫してくれている姿を、SNSで目にします。食べ物が美味しい、いいところだ等、非常に多くのポジティブな評価をいただいています。

友人との酒宴などで、ひっそりと、少しの寂しさと共に味わっていた、地元の農水産品。「うまい」の後には、常に、うっすらと「んだけどな」がついて回りました。

しかし今は、選手やアウェーサポーターのSNSを通じ、美味しさや魅力への理解、共感を感じることができます。

徹底的な除染が行われ、農水産品に対しては放射性物質の厳しいチェックや管理が行われ、科学的には、安全性が担保されているはずです。しかしその事実だけでは、マイナスイメージ
と、それによる売り上げや来訪者の減少を、完全に回復することはできませんでした。

固定化したイメージ(多くはいわゆる偏見などではなく、漠然と、うっすらとしたものと思いますが)を払拭するには、事実やデータを提示するだけでは限界がありました。

そのような中で、いわきFCという存在、J2というコンペティション、今まで地域に存在しなかったコンテンツと、スポーツによる新たなプラスのイメージが、復興支援・風評被害払拭の取り組みを優に超えた、新たな繋がり、誘客を生み出してくれています。

かつて、危険な、汚れた場所と扱われたこのが、プロフットボーラーの大いなる挑戦の地となり、多くの人に喜びや楽しみをもたらす地となりつつある事実が、災禍で傷ついた自信と誇りを取り戻すとともに、この地で生きてきたことが認められ、救われるような気持ちにさせてくれます。



そして何よりも、私をはじめとする地元在住のファンや、進学、就職などにより地元を離れた出身者に、地元を心理的に近づけたことが、最大の功績だと思います。

ホームゲームの時に見られる、好きなハッシュタグがあります。「いわきサポいわき遠征」です。

進学、就職、あるいは避難により地元を離れた出身者が、いわきFCがあることで、2週間に1度、いわきに帰ってくる。試合が無くとも「いわき(FC)」に思いを馳せてくれる…

災禍を共に体験した、私をはじめとする、地域住民なら理解できます。あの終末感の中では、どのような選択をしても不思議ではないし、あの時下した全ての選択は、間違いではないと思います。また、住宅や勤務地の被災や閉鎖により、やむを得ず地元を離れた人も居るはずです。

しかし、いわきFCを通して地元を思い出してくれる、繋がりを保ってくれているという事実が、原発事故直後、汚れた地として扱われ、多くの人から避けられ、離れられ、世界から取り残されたような孤独感を、拭い去り、救済してくる。そんな気がします。


◯勝利や華麗なプレーじゃない。存在と挑戦こそが誇り


このように、いわきFCは、勝ち点や華麗なプレーといった、スポーツ的な部分以前に、すでにその存在により、多くのものをもたらしてくれています。
 
地域住民に、地元への誇りを取り戻して、あるいは新たに与えてくれました。

地域から離れた人の気持ちを、もう一度いわき・双葉郡に向けてくれました。

今まで関わりの無かった人、興味のなかった人に、サッカーを通じて、来訪のきっかけを作ってくれました。
 
カテゴリーや勝ち負けではなく、いわきFCの存在と挑戦そのものが、上記のような効果を生んでいると思います。

これこそが「浜を照らす光」だと思います。

これこそ、ファン、地域住民が、一番感謝している部分だと思います。


繰り返しになりますが、勝利やカテゴリー以前に、この地で唯一無二のフィロソフィーを掲げ、その実践に挑んでいる…その時点で、既に励まされ、救われています。

しかし、だからこそ、彼らが望むもの、目指すものがあるなら、叶えてほしい。それがプレーオフ進出であるなら、全力で後押ししたい。

ただし、結果は問いませんが、目標の前に怖気付いたり、目標と現実のギャップにフラストレーションを溜め込み、それがプレーに現れるような姿は見たくありません。

何度も書きますが、勝ち負けでは無く、存在と挑戦こそが、魅力であり「浜を照らす光」だと感じるからです。

◯終わりに


毎回、小学生の発表のような文章になってしまいます。

また、前回の記事から、こんなに間が空いてしまうるは思いませんでした。定時、定期に記事を上げられる記者やライターの方は本当にすごいです。

第一弾を投稿した時に、レギュラーシーズン終了までに5本上げる事を、目標としました。

あと3本、自分自身もunleashして、書きたいと思います。一応、照山選手への惜別と、ブーイング問題についての記事を作成中です。(そちらを先に書いていたのですが、鹿児島戦のYouTubeを見てインスパイアを受けたので、本記事が先になりました)
 
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

また記事を上げたいと思います。

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